Gallery of the Week-May.08●

(2008/05/30)



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アラン・フレッチャー:英国グラフィックデザインの父
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座
今月は、微妙に第五週がある月。ということで、変則5発目は、2006年に亡くなった、イギリスデザイン界の大御所、アラン・フレッチャーの回顧展である。アラン・フレッチャーは、60年代の「デザイン・アンド・アートディレクターズ・ソサエティー」、70年代の「ペンタグラム」と、ロンドンが世界のポップ文化の発信源だった時代、常にイギリスのデザイン界の中心でそのスタイルを築き上げてきた。
今回の展覧会は、主としてそれ以降の、80年代、90年代のポスター作品を中心に、アラン・フレッチャーの世界を垣間見る回顧展である。尖がった先鋭的・アバンギャルドな要素と、正統的・伝統的な要素を、引用やパロディーを含めたウィットで包んだ表現は、60年代・70年代のイギリスらしさを発展的に継承している。「その時代」に生き、ロンドンに憧れを持った者なら、思わずニヤリとしてしまうモノだ。
そういう意味では、サイケデリックやポップアートにこよなく惹かれる、アナログ・レトロおたくみたいな連中はさておき、一般の若者が、これを見て何を思うのかは、大いに気になるところ。極めてオーソドックスなモノにみえるのか、はたまたレトロなものにみえるのか、それとも斬新な要素を見抜けるのか。こういうところが気になるというのも、それだけこっちが「レトロ」な存在になってきたということだろうか(笑)。



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森山大道展 I.レトロスペクティブ1965-2005 II.ハワイ
東京都写真美術館 恵比寿

アラーキー師匠と並び、日本で写真を現代アートの行きまで高めた「巨匠」、森山大道氏の半生を、主要作品で振り返る大型企画展。歴史的な主要作品を集め、時代と共に振り返る第一部「レトロスペクティブ1965-2005」と、最新作としての第二部「ハワイ」の2部構成となっている。第一部に揃えられた作品は、個々の作品としてはおなじみのものが多いが、編年的に集め振り返ることで気付く発見も多い。それは、圧倒的な「動体視力」での表現を売り物にセンセーショナルに一世を風靡していた大道氏が、「静体視力」での表現を再発見し、それをも意のままにあやつるようになるプロセスともいえるだろう。
氏には「自分のために撮る」という名言があるが、デビュー当初においては、その「主観」があまりに時代性を的確に反映していたがゆえに、主観以上に時のヒーローになってしまった感があるのも事実だ。それを、自分の手の届く範囲に、引き戻すまでの苦悩なのかもしれない。一方、「ハワイ」の方は、まさに個人的作品と呼ぶにふさわしい。現代のハワイを撮影した作品であることは間違いないが、そこに描かれているのは、昭和13年生まれという、大道氏のみた世界そのものといえる。これが、40年にわたる遍歴の答えと考えれば、この2部構成の意味も理解しやすい。
開始早々とはいえ会場は盛況で、かなりの観客がいたが、興味深いのはその多くが、20歳前後の美大生・専門学校生とおぼしき学生である点だ。彼ら、彼女らにとっては、ここに展示された作品の多くは、自分が生まれる前の歴史である。ぼくアタりまでだと、主要な作品については、その発表時の状況も知っているし、主要な被写体である新宿については、新宿の外れのほうで育ったこともあり、写真の画面から、そこの空気の臭いまで感じてしまうぐらいのリアリティーがある。
これは、大道氏の写真が、極めて主観的であるからこそのリアリティーでもある。多分、キャプションの付け間違えとおぼしき写真も発見してしまった。しかし、海外からの観客(これも結構多い)も含めて、そういう共通体験を持っていない人たちが、これらの作品から何をどう感じるのだろうか。これは、知り過ぎてしまっているぼくには想像もつかない。しかし、惹きつけるものがあるからこそ、見に来ているわけだ。それこそが、写真の持つ力である、第二のリアリティーの創造ということになるのであろう。



5/3w
タイムトンネルシリーズVol.26 十文字美信展 「写真に落ちてゆく」
クリエーションギャラリーG8/ガーディアン・ガーデン 銀座

71年の鮮烈なデビュー以来、表現者としても広告写真家としても、常に第一線で活躍し続けてきた十文字美信氏のこれまでの作品を振り返る展覧会。クリエーションギャラリーG8では、氏の制作ポリシーを反映し、代表的な作品について、その制作意図を問わず、年代をおって展示している。また、ガーディアン・ガーデンでは、3Dフォトや映像作品も含め、氏のテーマの一つである「日本的なもの」を追求した作品を特集して展示している。特に、ガーディアン・ガーデンでは、黒をベースとした暗い空間の中に、黄金の仏像写真を配置しており、インスタレーションとしてもインパクトがある。
氏のプロデビューした70年代初頭の写真界といえば、まだ60年代後半の影響を受けていて、写真家という存在自体が時代を切り開くフロントランナーであったと同時に、これまた60年代のノリをキープして、社会的・政治的メッセージ性が、ある種の前衛性・尖鋭性を担保していた時代だった。そんな中で、極めて内面に即した、おどろおどろしいともいえる情念を込めた氏の作品には、理屈でなく人の心に働きかける何かがあったコトを覚えている。
表現の世界で、70年代後半から起った世界的な変化として、ファインアートな作品と商業的な作品とをへだてるモノがなくなったコトがあげられる。70年代半ばには、それまでのポップスに代り、ロックがヒット曲の主流となり、ミリオンセラーが続出するようになる。それらの作品は、決して大衆に媚びたモノではない。大衆の審美眼が上がったからこそ、それまではオルタナティブでしかなかったモノが、ビッグセールスを記録するようになったのだ。
デザイン・写真・映像・音楽など、メディアと関わる表現は、この受け取る側の変化を鋭敏に反映することになる。まさに十文字美信氏の一貫した表現は、この流れとシンクロした。特に80年代に入ってバブルへ向かう時期、質の高い広告表現は、ブランドの価値を高めるだけでなく、社会をワクワクさせる文化として貢献した。個人的には、ティーンズの学生として眺めていた70年代と、業界内部の人間として関わった80年代という二つの時代を、タイムカプセルのように新たな視点から鳥瞰させてくれる、興味深い企画展であった。



5/2w
東海道 江戸の旅 近代の旅
鉄道歴史展示室 新橋

江戸時代の旅と、19世紀末以降の近代の旅を比較し、鉄道が庶民の生活レベルでどう受容され、どう生活や意識を変えてきたかの一面を探る企画展。江戸時代においては、旅行ガイドや旅行用品も高度な発展をしたほど、現代の我々が想像する以上に旅が盛んであった。その代表的なものは、江戸でいえば成田山、箱根、日光等、大都市周辺の名所旧跡への小旅行と、御伊勢参りに代表される一世一代の大旅行であった。
この時代においては、目的地を訪ねて楽しむだけではなく、旅の途中にある名所旧跡をじっくり訪ねながら旅行するのが一般的であり、いわば旅全体が一つのテーマパークのようになっていた。このような旅のあり方は、明治初年になっても変わらず、鉄道が開通しても、ところどころで鉄道に乗車すること自体がまた、テーマパークのアトラクションに乗るようなモノとして物珍しがられていた。
このような旅のカタチを変えたのが、東海道本線全通以降の、主要幹線網の開通である。これにより、旅とは「目的地に行くこと」になり、途中のプロセスは、車窓の風景を楽しむ以上のものではなくなった。これは、旅にともなう肉体的経済的な負担の軽減ももたらし、旅の一層の大衆化を実現したが、庶民の意識の変化に与えた影響も大きいということができる。実物資料を中心に、この二つの旅の対比が中心だが、ひので号のヘッドマークを中心に、唐突に修学旅行関係の展示が、取ってつけたようにある。これは多分、メインターゲットである60歳前後の熟年層を意識したモノだろう。



5/1w
椿会展2008 Trans-Figurative
資生堂ギャラリー 銀座

1947年の資生堂ギャラリー再開にちなみ、スタートしたグループ展である「椿会」。60年の歴史の中で約80名の作家が参加し、その中から幾多のビッグネームも輩出した日本でも有数のグループ展となっている。今回は、2007年に活動を開始した第六次椿会の2回目の展覧会である。第六次椿会は、「Trans-Figurative」というコンセプトのもと、過去の椿展の伝統も、各作家の持つ世界をも越える何かを、メンバーのコラボレーションの中から生み出すことを目的としている。
第六次のメンバーは、伊庭靖子氏、塩田千春氏、祐成政徳氏、袴田京太朗氏、丸山直文氏、やなぎみわ氏の6人からなっており、この中から4人が作品を出展する。2回目となる今年の出品作家は、2回目となる今年の出品作家は塩田氏、袴田氏、丸山氏、やなぎ氏の4人である。
ひとまず初年度のワンラウンド目は「顔見せと様子伺い」という感じだったのに対し、トゥーラウンド目の今年は、多少ワザの応酬を絡めてきたかな、という感じで、去年よりは新境地を感じさせる作品になっている。とはいうものの、まだまだ手の内は見せていない感も強く、ここから先は来年、ということか。これは多分、3年分見続けないと本性が見えてこない展覧会なのだろう。



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