Gallery of the Week-Jul.08●

(2008/07/25)



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昭和の記憶 カラーで顧みる1950年代の汽車・電車
JR上野駅Breakステーションギャラリー 上野

三谷烈弌氏が、当時極めて貴重だったコダクロームを使い、カラーポジに残した「戦後」の鉄道風景。その貴重なコレクションから、十数作をよりすぐり、B0判という大型のプリントで構成する写真展。写真自体は、同名のRMライブラリーに収録されたモノであり、同書は持っているので、当然見たことがあるワケだが、さすがに、元駅構内という大空間に並べられた大型プリントは、書籍の中とは違う迫力が充分である。
デジタイズしてのプリンタ出力なので、当然修正は入っているが、そのクオリティーにはビックリ。いかに修正しても、「ないものは作れない」し、それを合成していてはCGになってしまう。そういう意味では、映画館での上映システムとして作られたコダカラーの底力を見せつけられる。確かに、ぼくが蒸気の撮影に行った70年代になっても、国産フィルムと輸入フィルムの落差はまだ大きく、三十数年を経た今となって、その状態の違いは歴然たるものがある。改めて、彼此の差を感じる瞬間である。
さて、鉄道写真が「表現」になったのは、70年代初頭のSLブームで「にわか鉄道カメラマン」が増加し、猫も杓子も「お立ち台からの定番写真」を撮るようになってからである。それ以前の鉄道写真は、ドキュメント性、記録性が強い作品が中心だった。もちろん、ここに展示された作品も、その時代の作ではあるが、キュレーターの構成がよく、一般の人が見ても懐かしさを感じる昭和の風景となっている。場所柄も含め、鉄道が人々の暮らしを支えていた時代を振り返るにふさわしい展示といえよう。



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2008 ADC展
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座
クリエーションギャラリーG8 銀座

ADC展は、その年の「ぎょーかい」の置かれた状況を鋭く反映しているので、毎年楽しみにしている。今年も、その時期がやってきた。会員の作品はある意味当然としても、一般作品も含めて、モロ芸風の横綱相撲とでもいうような作品が多かったのが、今年の特徴だろうか。これは、とりもなおさず、「得意技」に持っていかざるをえなかったモノや、「得意技」を炸裂させまくっても、何ら問題ないものが多かった結果と見ることができるだろう。確かに、これはある意味、今の状況をよく反映している。
もともとデザイン自体は、タコ壷の奥の「ロングテール」をターゲットとしたモノも、マス中のマスたる「ショートヘッド」をターゲットとしたモノもどちらも可能である。というより、自在に全体の中からターゲットを切り出せるのが、デザインのパワーなのだ。なんでもかんでも数を取ればいいワケではなくなった今だからこそ、デザインの力が重要視されており、必要ともされている分、アートディレクションの範囲が拡大しているともいえる。
そういう意味では、デザインパワーを最大限に引き出すモノは、戦略的なターゲッティングだ。ある意味、現状の問題点はここにある。これだけ、ツールも技法も発達し、誰に対しても、ピンポイントのメッセージングが可能となると、「誰に何を伝えるか」が曖昧なメッセージでは、逆に創りようがなくなる。さあ、武器と仕掛けは揃いましたよ。これで、どういう獲物を狙いますか、クライアントさん。いわば、キャッチボールはもう一度クライアントサイドに投げ返されたのだ。



6/2w
バウハウス・デッサウ展 「文字景 -typescape」
東京藝術大学大学美術館 上野

春からスタートしていた展覧会だが、すっかり真夏日になってやっと行く機会を持てた。バウハウスといえば、モダニズムの源流にジャポニズムがあるせいか、日本では格別人気が高く、リアルタイムの1930年代から、多くの影響をもたらしてきた。当然、「バウハウス展」も、何年に一度かは、定期的に開かれている。今回のバウハウス展は、今や世界遺産登録されたバウハウス校舎を拠点に、バウハウスの有形・無形の遺産を維持・保存している、バウハウス・デッサウ財団のコレクションを元に、その源流から、幅広い成果までを網羅した展覧会となっている。
ぼくは、個人的にはモダニズムよりアンチ・モダニズムなほうなのだが、20世紀の自由主義経済圏に生まれ育ったからには、モダニズムの影響を受けないワケにはいかない。それに、アンチ巨人ファンは、実は一番巨人にこだわる野球ファンだという説があるように、敵の手の内を知らなくては、対抗策はとれない。そんなこんなで、国内で開かれたバウハウス関連の展覧会は、ほぼ全て見ていたりする。そういう意味では、今回も是非見ておきたいモノであった。
バウハウスというと、アートに詳しくないヒトには、建築事務所かデザインオフィスのようなイメージでとらえられているが、基本的には教育機関である。そういう意味では、芸大美術館でこの展覧会が開かれる意義は大きい。実際、その成果や作品以上に、教育機関としての実績やカリキュラムにスポットを当てた展示となっており、バウハウス出身者が、学生時代に提出した課題作品なども、実際の教育プロセスを理解する上で意味が大きい。
同時開催の「芸大コレクション展」でも、連動企画として、バウハウスに留学経験のある芸大教授、水谷武彦氏、山脇巖氏と、その生徒達の作品群が展示されている。直系である水谷氏、山脇氏のオリジナリティーを持ったモダニズムと、弟子たちのバウハウスへの素直な憧れ(悪くいえばパクり)との落差が、実に興味深い。模倣ができたことで追いついた気になってしまうのは、今も昔も日本人の特質というべきであろうか。



6/1w
The Second Stage at GG #23
居山浩二展 「文字景 -typescape」
ガーディアン・ガーデン 銀座

またぞろお手軽案件ではありますが、しばしお許しを。今回は、日本デザインセンター等を経て、イヤマデザインを設立して活躍中のアートディレクター居山浩二氏にスポットライトを当て、彼のこだわる「漢字の部首や画」を題材とした、オリジナルな作品で構成する個展である。
漢字というのは、世界の文字の中でも不思議な魅力を持っている。記号論的にいえば、記号性のみが求められるはずの文字であるにもかかわらず、その発展してきた経緯を踏まえると、意味性が同時にビルトインされてしまう。ここが、アルファベットのタイポグラフィーにない漢字の魅力であり、また、書道のような芸術が生まれる要因ともなっている。
漢字を扱うアートというと、浅葉氏の作品のように、このシニフィアンとシニフィエのズレを活かしたものが多い。個人的にも、実際の漢字にはない偏と旁の組合せの文字を作り、それを読んだり(音読みなら、論理的に読める法則性がある)、意味を考えてみたりという遊びが大好きだ。また、「峠」のような和製漢字を中国のヒトが見た時にも、同様の「思考ゲーム」が行われれうだろう。
しかし、居山氏の作品の魅力は、漢字の「部品」を題材に扱っているにも関わらず、そういうひねくれたゲーム性が入っていない点にある。純粋に、カタチの面白さ、美しさ、シュールさを、そのまま引っ張り出す。それは、はじめて漢字を見た西欧人が感じるエキゾチズムのようでもある。漢字に浸り過ぎた我々からすると、逆に新鮮な視点を感じさせてくれる。これこそ、アート的な視点といえるのかもしれない。



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