Gallery of the Week-Oct.08●

(2008/10/31)



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JPA展
東京都写真美術館 恵比寿

JPA展は、JPA日本写真作家協会主催の、会員作品展(第19回)と公募作品展(第6回)を組み合わせた公開展である。JPAは、職業カメラマンと、セミプロ、ハイアマチュアのカメラマンからなる団体であり、各種コンテストや展覧会、フォーラム等を実施している。そういう意味では、普段我々がイメージする「写真家」とはちょっと違う「写真」の世界を垣間見ることができる。会員展のほうは、撮影技術者やセミプロ的なカメラマンが主体と思われるが、技術的にはあるレベルをクリアしている反面、それだけに、個々人のイマジネーションの多寡が、ストレートに作品から読み取れてしまう所が面白い。レタッチ加工した作品など、もとのイメージが明確で、それを的確に表現できているモノと、レタッチ技術時代はハイレベルだが、それだけに、その作品で、その加工で、何を表現したいのかが全く見えてこないモノと、その落差が皮肉ではなく面白い。これもまた、写真の歴史の一つの断層が、地表に現れた姿といえよう。
ハイアマチュア主体の公募展は、また違う興味を惹く。プロのしわざというのは、イマジネーションと技術を駆使し、作品を「創りあげる」コトができる点にかかっている。あるレベルを下回る作品が出てこない反面、作者さえ思いもよらなかったような、とんでもない作品が「生まれてしまう」コトも少ない。スポーツにおけるプロもプレイも、コレと共通するところがある。ところが、アマチュアというのは、基本的に運とチャンス任せで、創発的に作品と作ってしまうところにある。ほとんどの作品がザコになる運命ではあるが、宝くじと同じで、万に一つ、億に一つは、プロが逆立ちしてもできない、神懸りな作品ができてしまうことがある。まさに、すれ違う瞬間の写真がとれるかどうかと同じ理屈だ。
デジタル一眼レフが普及してからは、そのラティテュードの広さから、ピントにしろ、露出にしろ、カラーバランスにしろ、技術的な面で撮影に失敗する可能性は極端に減った。あとは、その場に居合わせて、その瞬間を目撃し、的確にシャッターを押しているかどうか(それも、高速連写でフォローできたりする)だけの問題である。アマチュアにとって、とんでもない作品が創発的に撮れる可能性は、飛躍的高まっている。そういう意味で、デジカメに撮ってもらっている写真の中に、アマチュア的意味で非常にいい写真が増えてきているということを実感した。これが、技術のほうではなく、絵心を見切る目を養うことにつながるなら、決して悪いことではない。中高年の銀塩カメラオタクの「作品」よりは、「絵」を意識している分、余程ましなのだから。



10/4w
アジア民族造形の旅 暮らしの多様性 監修金子量重
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室 新橋

今月は、相変わらず忙しく、この取材のためにまとまった時間がとれない。ということで、今週も近場で失礼。今回は、おとなりさんである。この企画は、戦後50年にわたり、アジア各国を400回以上訪ね、民俗学のフィールドワークと資料収集を行ってきた、アジア民族造形文化研究所所長金子量重氏の膨大なアジア民族造形関連コレクションの中から、その「ほんの一部」を垣間見せる展覧会である。
九州国立博物館をはじめ、韓国国立中央博物館やベトナム民族博物館にも資料をそのコレクションの一部を寄贈し、特別室が作られているという。限られたスペースとはいえ、鉄道歴史展示室にびっしりと集められた展示資料は、金子氏のコレクションの奥深さを感じさせるに充分なものがある。
しかし、これJR東日本とどういう関係があるのだろうか。しいていうなら、「旅」というキーワードかもしれないが、アジア各国からの鉄道研修生の受け入れ、というパネルが、妙に浮いて見える。ところで、展示されているアジアの地図の中に、鉄道が書きこまれているのだが、日本の国内では、新幹線しかかかれていない。もっとも、東海道、山陽、九州もちゃんと書いてある。この点のみ、妙に確信犯的なものを感じてしまった。



10/3w
「白」原研哉展
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

原研哉氏は、日本デザインセンター代表であると同時に武蔵野美術大学教授もつとめる、ベテランのアートディレクターである。その活躍は、広告やエディトリアルといったグラフィックデザイン、CI等はもちろん、プロダクトやパッケージデザインといったインダストリアルデザインから、空間プロデュースまで、デザインのあらゆる分野に広がり、ヴィジュアルコミュニケーションディレクターであるということもできる。
今回の展覧会は、そんな原氏の世界を、ギンザ・グラフィック・ギャラリーの空間に拡げて見せる個展である。原氏の提示する世界観は、余分なものをなくし、本質だけを切り出すところに個性がある。この展覧会は、「白」と題されていることに象徴されているように、何もないと同時に、全てをイメージできる白い世界に、彼の世界観を投射したモノである。
一階は、パッケージデザインとエディトリアルデザイン数点。地階には、水滴を利用したインスタレーションが3点。シンプルでミニマルな展示ではあるが、まさにその裏側に拡がる「見えざる世界」までも感じさせるところが、無にして全という世界観を象徴している。そして、その裏側が見切れない深さを感じさせるところが、原氏の力量を見せつけてくれる。水滴一つにしても、本当に見ていて見飽きない。まさに、デザイン界の老荘思想といえようか。



10/2w
『ひとつぼ展』30回記念展「@hitotsubo.jp」PHOTOGRAPH
ガーディアン・ガーデン 銀座

半期〆の期末・期首で、どうにも忙しい。ということで、今週も安易な対応になってしまったが、お許し願いたい。ということで、今週も手近なところで、手短に。先ごろ行われた、グラフィックアート部門に続く『ひとつぼ展』30回記念展。またまた、ポストカードオークション。今度は、写真ひとつぼ展の入賞者勢揃いである。
グラフィックアートと同じ趣向で、全164人の入賞者が、ポストカードサイズの作品を制作し、会場のオークションで即売する。グラフィックアートの時は、多種多様の作品が集まった感じが強かったが、今度は一転して、全体の統一性が強く感じられる。個々の作品は、作者の個性を反映した幅広いバリエーションがあるし、既存の写真の枠を越えようとチャレンジしている作品もある。
それでも、なぜか「写真」を強く感じさせてしまうのだ。よく考えて見ると、それはこのポストカードというサイズによるモノであることに気付く。我々が思う「写真作品」は、アートとしてのコンテンツ以上に、フォーマットなのだ。コンテンツがなんであろうと、このサイズの印画紙に定着させてしまったものは、なにより「写真」として認識されてしまう。
それは、美術展のミュージアムショップで売られている絵葉書が、元のコンテンツが油絵だろうと、銅版画だろうと、浮世絵だろうと、はたまたミックスドマテリアルのオブジェ的な作品だろうと、すべて一義的に「アートの絵葉書」になってしまうのとよく似ている。ある種、写真というメディアの持つ不思議な力を改めて感じさせられた。



10/1w
和田裕也展「/」
ガーディアン・ガーデン 銀座

和田裕也氏は、昨年の第29回写真『ひとつぼ展』グランプリを受賞者であり、その賞としての個展を、一年の制作期間を経て開催したものである。グランプリ作も、写真という表現手段の枠を越えたインスタレーションであったが、今回の展示も、手法は全く異なるものの、既存の写真という表現の概念を打ち破る、強力なインパクトを持ったインスタレーションとなっている。
床面も、壁面も縦横に活かし、不定形に大型の写真作品を「バラ撒いた」展示は、二次元に封じ込められるコトを宿命とする写真を逆手に取り、三次元の表現の構成要素として再構築する。個々の写真作品のインパクトもさることながら、空間そのものが和田氏の表現手段となっているのは、極めてユニークである。
その独創性ゆえ、多少実験的で粗削りな部分もあるのだが、それを含めてスリリングな世界を構成している。また、どうしてもインスタレーションとしてのマクロ的部分に視線が向きがちだが、個々の写真作品も、既存の枠を打ち破るユニークさを持っている。それは、画面への時間軸の焼き付けである。
ストロボの光によって、夜間の雨や川の水を白く浮かび上がらせることで撮影したそれらの作品は、全て動きを持っている。静止画と動画の違いは時間軸にあり、静止画たる写真は、時間の流れを切り取ることにより生まれるモノである。しかし、和田氏は、あえて、プリントの中に時間軸を持ち込む。そして、それが並べられることで、動画とは違う意味での時間軸が創り出される。これもまた、既存の表現に対する大きな挑戦といえる。はたして、これを写真を呼べるかどうかを含めて、偉大なる問題提起ととらえることができよう。



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