Gallery of the Week-Nov.09●

(2008/12/18)



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三菱一号館竣工記念 「一丁倫敦と丸の内スタイル」
三菱一号館美術館 丸の内

三菱地所の本丸たる丸の内地区で、その文化のセンターとなる使命を帯びて、かつての場所に復元された三菱一号館。その施設の大部分は、美術館として使われる予定だが、今回の展覧会は、そのプレ展示として、三菱一号館と明治・大正の欧米型建築文化、そして再建プロセスにスポットライトを当てた企画展である。オリジナルの三菱一号館は、外観を見たことはあったが、なんせ小学生時代なので、中にはいるのは初めてである。
確かに、建築基準法等への適合から、現代の建築材料や建築法を使っているところもあるが、全体は、近代美術館工芸館や、国立博物館表慶館といった、今に残る明治期の建築物と同様の作りや雰囲気であり、その再建にかけた只ならぬ意欲が伝わってくる。展示されている再建プロセスは、建築に興味があるヒトにとって意味があるのはもちろん、資料から考証、技法の選択から実際の製作というプロセスは、模型製作とうりふたつであり、スケールモデラーにとっても得るものは多いだろう。
伊勢神宮の式年遷宮ではないが、日本は稲作に由来する「草の文化」というか、「一旦枯れて、また生えてくる」ことを美しく思う精神的土壌がある。その分、ハコモノは、新陳代謝が激しい。そうやって、歴史を越えて残るモノが少ないゆえ、その数少ない残ったモノについては、なるたけ手をかけず、あるがままをまなでる傾向がある。
他の国なら、寺院の伽藍とかも、創建当時の荘厳を保つべく、常にリニューアルするだろうが、なぜか日本では、当初とは似ても似つかない「枯れ果てた」姿をもってよしとする傾向がある。その分、補修とか再生とかをバチモン視する傾向も強かった。しかし、生きている建物なら、時代時代に合わせて生まれ変わるコトにより、その姿を保つのが当たり前である。
ある意味、古い建物を保存する以上のリソースを投入して、できる限りオリジナルに忠実に三菱一号館を復元した意味は、日本社会がフロー型からストック型に転換するべき時代を象徴するアクティビティーといえる。ハコモノ行政とは全く逆の意味で、建設したハコ(建築物)自体に価値と意味がある。ゼネコンができるのは、バラ撒き行政に癒着した公共事業だけではないコトを、見事に示している。やはり、建築とは施主次第なのだ。



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広告批評展 ひとつの時代の終わりと始まり
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

1979年の創刊から30年、この春に休刊となった雑誌、「広告批評」の軌跡を振り返る企画展。雑誌をギャラリーで「展示」する、という試み自体、かなり変わった企画であるが、初代編集長・天野祐吉氏が選ぶ30年間の各年を代表する広告と、アートディレクターが変わるとともに、数年ごとに大きく変化する全号の表紙デザインの展示により構成されている。
ある意味、広告批評という雑誌のポジショニング自体が、極めて活字文化の権化のようなものである。広告がコトバであることは、今も昔も間違いないが、80年代初頭には、すでに活字では広告が作れない時代になっていたコトは確かだ。このように、スタート時点からすでに、なんとも微妙な立ち位置になっていた雑誌である。もっとも、その存在の「浮き世離れ感」こそだ、30年も続くコトができた原動力ともいえるのだが。
1Fに展示されている、30年間の各年を代表する広告と、誌上から採録されたそのコメント。同時代をインサイダーとして、リアルタイムで見てきた者としては、半分ぐらいは「なるほど、そうだよな」と納得できるが、残りの半分は「どうしてこれなの、あれがあったじゃないの」という感じがする。「広告」と銘打っていても、決して「広告業界」の雑誌ではなかったことは、この点からもわかる。
ある世代のカルチャーを代表する雑誌ではあったが、決して時代そのものの中に生きている雑誌ではない。サブタイトルに「ひとつの時代の終わりと始まり」と銘打たれているが、80年代以降の30年間が、高度成長期的、あるいは20世紀的な日本のエンディングであり、それだけの年月をかけて、やっとエンドマークが出てきた、ということかもしれない。



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ザ・テレビゲーム展 〜その発展をささえたイノベーション〜
国立科学博物館 産業技術史資料情報センター 室町

国立科学博物館 産業技術史資料情報センターで開かれている「ザ・テレビゲーム展」は、12月26日から、北九州イノベーションギャラリーで開かれる同名の企画展のプレ展示という位置付けのイベントである。ここで取り上げるのにふさわしい展覧会であるかどうかについては疑問もあるが、コンパクトな展示ながら、我々の世代にとっては、極めてインパクトのある内容である。
大きめの教室ぐらいのスペースに、過去のゲームマシンが並んでいるだけ、と言ってしまえばそうなのだが、長いようで短いコンピュータゲームの歴史を、あたかも和歌や俳句のように、簡潔に語り切ってくれる。ゲームマシンの元祖といわれる、オシロスコープ上の「テニスゲーム」(なんたって、波形で描いてるんだから、アナログ・テレビゲームだ)の再現にはじまり、はじめての「ゲーム機」であるブラウンボックスの製作者ラルフ・ベア氏自らの手によるレプリカ、それが商品化された「オデッセイ」以下、1970年代末以来のおなじみのテレビゲーム機のハードが顔を揃える。
それにしても、これほど社会的影響のあるテレビゲームであるが、全部「記憶の中」なのだ。それぞれの時代背景なども思い出されて、なんとも感慨深い。しかし、こうやって改めて全体を見渡すと、初代ファミコンの存在がなんと大きいことか。ところで、ファミコンがこのポジショニングを築けたのは、風営法の影響であるコトを、どれだけのヒトが覚えているだろうか。
それまでゲームセンターは、百貨店屋上等の子供向け遊戯施設からはじまったこともあり(セガなどモロにそれがルーツ)、小学生以下の子供が主たるターゲットであった。しかし、ゲームセンターが風営法の対象となり、小中学生の入場に時間規制が敷かれたため、高校生以上の大人がアーケードゲームのターゲットとなった。この隙間を埋めるように、子供向けの家庭でやるヴィデオゲームとしてファミコンは生まれ、大ヒットした。世界に冠たる日本のゲーム業界を築いたのは、風営法なのだ。
ところで、今回の会場になった国立科学博物館 産業技術史資料情報センター、その存在と、科学史資料のデータベースは知っていたのだが、三井本館の中にこんな施設があるとは知らなかった。戦前風のオフィスビルは、アメリカではけっこう残っているが、日本では残り少なくなってしまったが、重厚な廊下の内装をはじめ、アールデコの残り香が香るその建物自体が、歴史資料という感じで、なかなか的を射た立地という感じである。



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