Gallery of the Week-May.11●

(2011/5/20)




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nakaban展「this far land」
ガーディアン・ガーデン 銀座

nakabanは、雑誌や書籍のイラストレーションをはじめ、絵本やアニメーションの創作も手がけるアーチストである。制作手法こそ、目的にあわせて多彩なものの、どれも独特な世界観を持ち、見る者をnakabanワールドへとひきこんでくれる。90年代半ばの『ひとつぼ展』でグランプリを取り、今回はその「The Second Stage at GG」としての個展である。
今回の展覧会は、木炭紙に油彩で描いたオリジナル作品により構成される。油彩とはいっても、油絵具を使うのではなく、色鉛筆の顔料をテレピン油でのばして描くという、独特の手法を用いて描かれている。この不思議なタッチが、ミニマルな構図とあわさり、見たことのないような世界を現出させてくれる。
特に「発想の余白」が多い絵面なだけに、見る人の数だけ、「読み方」が生まれてくる。このあたりが、描き込まずとも飽きさせない理由になっているのだろう。しかし、さすがというか、この手法、生で見たときの世界観と、印刷にしたときの世界観が全然違う。特に光沢のある紙に印刷すると、けっこうビシっと見えるのがスゴい。この辺の深さも見所だろう。



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あるべきようわ 三嶋りつ惠展
資生堂ギャラリー 銀座

三嶋りつ恵氏は、ベネチアを中心にヨーロッパで活躍する、ガラス立体造形のアーティストである。欧米では、ガラス細工というと色味があるのが普通だが、そこであえて無色透明なガラスを使うことで、より立体的なカタチをテーマとした作品を作り出している。また、事前のイメージをガラスにより具体化していくのではなく、溶けたガラスと対話する中からイメージを創り上げている点も特徴となっている。
資生堂ギャラリーといえば、全体のインスタレーションがポイントという観があるが、今回の展示は、「地下神殿」をイメージした空間をコンセプトとし、建築家の青木淳氏が空間を設計している。その雰囲気は、ギャラリー・美術館というより博物館のようであり、三嶋氏のおどろおどろしくも「生き物」を感じさせる作品群を、原始からの化石標本のように引き立たせている。
三嶋氏の作品は、その制作プロセスもあり、「動」の情念を感じさせるダイナミックな作品が多い。しかし、それが全てというわけではなく、ミニマルな「静」の作品も出展されている。実は、この対比がいいのだ。「柔よく剛を制す」ではないが、シンプルなフォルムの持つ強い存在感が、改めて実感できる。作品のありようもふくめて、可能性への実験を感じさせる展覧会である。



5/2w
ポスターに見る戦中・戦後 第2期:商業広告・文化催事を中心として
昭和館 九段下

偶然通りかかって「第1期」を見た、「ポスターに見る戦中・戦後」。その時から第2期も見たいものだと思っていたのだが、忙しくしているうちに会期末が近づいていた。これまた偶然に九段下の駅で乗り換えて思い出し、やってきた次第。そういえば、わきの九段会館では、東日本大震災の際、都内で死亡者が発生したのであった。
さて、商業広告・文化催事というテーマだが、実は広告デザインについていうならば、戦前と戦後は、完全にシームレスである。戦前から、最先端の高度なデザインが取り入れられた作品がある一方、戦後でも「印刷意匠」の域を出ないデザインがいくらでもある。このフトコロの広さゆえ、差が見せにくいのだ。
昭和館はその成り立ちゆえ、もともと「戦中」と「戦後」を峻別したがる傾向が強いが、そのあたりをどう見せるのか気になるところではある。結論からいうならば、作品テーマで戦中・戦後の差を見せつけているが、デザインという面では、やはり一貫性のほうが強く感じられる。まあ、デザイン技術という面でも、庶民の暮らしという面でも、それが実態なのだから、妥当なところだろう。
今回の展覧会で、意外と面白かったのは、日本デザイン史に残るような広告作品ではなく、POPや中吊り広告といった、泥臭いプロモーションメディア用の広告作品が多く出展されている点だ。まあ、昭和館の収集品の展示なので、おのずとそういう傾向になるのかもしれないが、昭和初期〜20年代の、この手の現物というのは、実はなかなか見る機会が少ない。そういうOOHメディアの発達史という麺からも、大いに興味をひかれた。



5/1w
芸術写真の精華 日本のピクトリアリズム 珠玉の名品展
東京都写真美術館 恵比寿

日本において「ピクトリアリズム」というと、乾板方式の普及と共に、欧米の影響を受けつつ、「芸術」としての写真のあり方を模索した20世紀初頭の一連のアマチュア写真家のムーブメントとして捉えられる。写真といえば、肖像写真を中心とする商業写真館で撮影するものだった時代に、高等遊民としてのアマチュアならではの自由さで表現を追及したその活動は、江戸の粋さを生んだ町人文化と共通するものを持つ。
特に、大正時代に入るとゴム印画やブロムオイル印画といったピグメント印画法やソフト・フォーカスを駆使した作品が数多く生み出され、福原信三氏の一連の作品のように、日本の写真史に大きな足跡を刻むことになった。しかしそれは同時に、「ピクトリアリズム」を、そういうタッチやトーン持った作品を総称するものというイメージを形作ることになった。
その結果、日本の写真史を振り返るとき、必ず触れられ、いくつかの代表的な作品こそ紹介されるものの、肖像写真の時代と、本格的な写真表現の時代の間に咲いた、異端な「あだ花」というような扱いになっているコトが多くなった。しかし、今回の展覧会のように、「ピクトリアリズム」の作品ばかり100点以上展示すると、そこからは全く違ったアイデンティティーが見えてくる。
その特殊なタッチの向こう側に見えてくるのは、極めて普遍性の高い日本的な「構図」である。すなわち、ピクトリアリズムの写真表現は、まだ未熟だった機材や技術の制約を受けてはいたものの、日本の伝統絵画と明治以降受容した西洋絵画の表現の中から、写真的な要素を発見し受け継ぎ、日本独自の写真の構図を創りだすプロセスでもあったのだ。
その「遺伝子」は、昭和に入り芸術表現としての写真が確立しても、きっちりと受け継がれている。日本人がの心を捉える構図や、感動を与えるシャッターチャンスは、確実にこの時代に極められたものだ。それは、新たな発見である。そういう意味では、「ピクトリアリズム」の意味自体を再構築する展覧会ということができるだろう。



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