Gallery of the Week-Sep.11●

(2011/09/30)



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第5回写真「1_WALL」展
ガーディアン・ガーデン 銀座

バブル期以来20年以上に渡って、表現としての写真は大きな波に揺らされてきた。銀塩からデジタルヘの変化(それはマニュアルからフルオートへの変化でもある)。ファクトを切り取る道具から、フィクションとしての作品を創りだす道具への変化。レタッチのような、ポストプロにおける表現の可能性の変化。それを肯定するか否定するか、どう捉えどう生かすかに、アートしての写真は右往左往をし続けてきた。しかし、それも世代の交代が、あっさり答えを出してしまう時がやってきた。今回の写真「1_WALL」展は、そんなことを感じさせる。
ある時代において、あるメディアが果たしていた社会的役割は、時代の経過とともに別の技術をベースとしたメディアに取って代わられる。しかし、そのメディアが元来持っている表現力は、社会的役割とか関わりなく存在し続ける。19世紀末においては、ポスター印刷手法として、大量生産の手段であったリトグラフは、写真製版による印刷が一般化するとともに、石版画いう版画の一種として生き残ったことなどが典型だろう。
カメラのディジタル化、DTP技術の一般化により、銀塩ベースの頃に写真が持っていた社会的ポジションは、大きく様変わりした。ケータイで撮影され、ブログに貼り込まれる画像は、銀塩写真を遺影としてが仏壇に飾り拝んだ頃とは、明らかに意味合いが変わっている。しかし、変わったからこそ、より本来のあり方に近づくということも真実だ。
そういう中で、一つのキーワードとなるのが、「被写体としての人間」ということなのだろう。あまたの人間が、あまたの表情、あまたの身振りで、あまたの感情を示す限り、そして人間というものが、他人の存在に無関心でいられない限り、時間を切り取る写真は、その存在感を主張し続けることができる。



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辰野登恵子展 抽象−明日への問いかけ
資生堂ギャラリー 銀座

今や、日本の代表的女性アーティストとして、ベテランの粋に達した、辰野登恵子氏。今回の展覧会は、パリの版画工房「IDEM」で制作したリトグラフと、版画と並んで彼女の作品の主流となっている油彩の作品という、今年になってからの新作で構成された個展である。
資生堂ギャラリーの壁面に、整然と平面作品が並ぶ様子は、保守本流というか、ストロングスタイルというか、2001年から5年間「第五次椿会」のメンバーとして活躍するなど、このギャラリーとは縁の深い彼女だけに、この場で行われる展覧会の王道を行くとでもいうような貫禄を感じさせる。
抽象画というと、アバンギャルドな作品には、その時代その時代の流行に影響されるモノが多い中、時代や流行を超越するような作品となっているところも、よくその雰囲気とマッチしている。抽象画という概念が生まれる前から、この作品があってもおかしくはないと思わせる存在感こそ、その真骨頂というべきなのだろう。。



9/2w
日本の観光黎明期〜山へ!海へ!鉄道で〜
旧新橋停車場「鉄道歴史展示室」 新橋

鉄道が開業して以来、明治初期から中期にかけては、全国に社会インフラとしての鉄道網を整備することが最重点課題であった。しかし、20世紀に入って鉄道国有化がなり、官鉄による全国ネットワークが完成すると、鉄道ビジネスの発展も重視されるようになり、その一つとして、観光による旅客誘致が推進されることになる。それは、江戸時代の「お伊勢参り」の伝統をひく、国内の物見遊山だけではなく、外貨獲得のため外国人誘致にまで及んでいた。
この展覧会は、そのような鉄道による観光誘致がひとつのピークを迎えた、明治末期から昭和初期にスポットライトを当て、現物資料を通してその姿を再現するものである。特に、昭和期においてレジャーの御三家であった、海、山、スキーが日本に定着するに当り、鉄道の行ったプロモーションがいかに大きな役割を果たしたかを具体的に示している。
民営鉄道はもちろんのこと、当時は国営であった鉄道省も、観光旅客の誘致には極めて積極的であり、全国的なブームを生み出す上では最も大きな役割を果たしたことがわかる。当時のポスター等も、現物が展示されているが、当時のデザイン・印刷の水準を考えれば、相当に気合を入れてハイレベルな作品を送り出していたことがわかる。
ここで気付くのは、我々の知っている「親方日の丸」の「国鉄」は、決して戦前の鉄道省からの長い伝統ではなかったということである。他の官公庁と同じように、いわゆる1940年体制の確立前は、必ずしも上から目線一辺倒ではなかったのだ。それにしても、随所で指摘されているが、戦前の水着やブギーボードに代表されるようなレジャー用品を、よく集めてきたものだと感心してしまう。このあたりも、見所の一つであろう。



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第5回グラフィック「1_WALL」展
ガーディアン・ガーデン 銀座

「ひとつぼ展」をリニューアルした「1_WALL」展も、もはや第5回。「1_WALL」展ならではの方向性も、かなり定着してきた感じがする。今年の夏は、このWebでは初めての試みとして、約1ヶ月に渡って夏休み進行とさせていただいた。その分、比較的時間には余裕があったので、無理して手近なギャラリーでお茶を濁すという必要性もなかった。
ガーディアン・ガーデンは、そういう時に便利なギャラリーの一つだが、「1_WALL」展はそういう事情なしでも、ぜひ見ておきたい企画である。それは「今年の一文字」ではないが、かなり意図的にそのシーズンの気分を表すような作品を、ファイナリストとして選んでくるからである。「今」から振り返り、「今」から先を見通すスタンディングポイントとして、いろいろ示唆に富んでいるのだ。
さて、今回の「1_WALL」展。目だったのは、ストリート・パフォーマンスみたいな感覚である。極めてプライベートで、極めて内面的なモチベーションによる表現でも、繰り返していると、結果的にとてつもなくデカい作品となってしまう。極小なテーマが、巨大な壁画になってしまうというのは、確かに当世を象徴しているし、ある意味「1_WALL」展らしい世界である。
しかし、公序良俗の問題があるので、実際に展示できるかについてはさておき、生まれてこの方オナニーで使ったティッシュをそのまま乾かして全て取っておき、それを山のように積み上げるインスタレーションなんてのも出てくるんじゃないか、とふと思って爆笑してしまった。表現の根っこは、そういうことだよね。



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