Gallery of the Week-Nov.11●

(2011/11/25)



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東日本の職人と180人のクリエイターがつくる 印染トートバッグ展
ガーディアン・ガーデン クリエーションギャラリーG8 銀座

ガーディアン・ガーデンとリエーションギャラリーG8、2つのギャラリー恒例のチャリティー企画は、東日本大震災の復興支援の願いをこめた企画として、180人のクリエイターと岩手・宮城・福島・茨城4県・18社の職人のコラボレーションによって「印染トートバッグ」を競作・即売する。
「印染」とは、大漁旗に代表されるカラフルな伝統工芸の染物であり、被災した岩手、宮城、福島、茨城の4県では、水産業が盛んであったこともあり、「印染」の職人も多い土地柄である。販売収益金を義援金として寄付するだけではなく、直接被災地の地元企業に作業を依頼すること、ダブルでのチャリティー支援企画となっている。
作品はアーティストそれぞれの個性を生かした、多様な芸風となっている。しかし、大きく分けると、テーマが「印染」としてありそうかそうでないか、トーンが「印染」らしいからしくないかという、2軸の掛け合わせで4通りのパターンというところだろうか。その中では、テーマは「印染」だが、トーンは今までにないもの、という象限に入る作品が一番目を惹いた。
いわば、現代的な「印染」のあり方を模索している作品である。「印染」自体、1000年近い歴史のある伝統工芸だが、常に実用に供されてきた生きた技術である。そういう意味では、こういうトライが「印染」にまた新しい風を吹き込んで、活力を生むことに繋がるのだろう。



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ダヤニータ・シン展 「ある写真家の冒険」
資生堂ギャラリー 銀座

ダヤニータ・シンは、インドの女性写真家であり、アメリカで教育を受けた後、1980年代末から、フォト・ジャーナリストとして活躍を始めた。その後、自らのテーマに基づいた作品を写真集として発表するというスタイルで、フォト・アーチストととしても活躍するようになった。さらに近年においては、写真を組み合わせることにより、フィクションのストーリーを創りだすという、ユニークな表現方法へと主戦場を移してきている。
インドといえば、この1〜2年、新興市場としてその経済成長に注目が集まっている。しかし、インドに関心が高まれば高まるほど、ヨーロッパ的な西洋から見ても、東アジア的な東洋から見ても、どちらから見てもエキゾチシズムにあふれる、そのユニークな社会・文化環境の特異性がクローズアップされてしまう。なにせ、4000年以上「わが道を行く」世界である。当然、美術や表現といった面でも、独自の価値観・世界観がある。
彼女の作品は、アメリカで教育を受けたこともあり、インドの写真のメインストリームからすると、かなりグローバル的な表現になるらしい。が、一旦インドの外側に持ち出してしまうと、これまた極めてオリジナリティーの高い、インド的な世界が漂ってくる。そういうオーラというか妖気というか、えも知れない何かが濃密に迫ってくる。
それが何かはわからないし、そもそも我々のボキャブラリーには、それを語るべき言葉はない。でも、不思議な体験ではある。ギャラリーの中に入って出てくるまでに、脳細胞が一億個ぐらい破壊されてしまうような感じだ。表面的なルック・アンド・フィールはインドらしくないのかもしれないが、その本質はまぎれもなくインドということなのだろう。



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常設展 「生誕100年、あっぱれ太郎 女と男と岡本太郎」 展
企画展 岡本太郎生誕100年記念展 「芸術と科学の婚姻 虚舟(うつろぶね)―私たちは、何処から来て、何処へ行くのか」展
川崎市岡本太郎美術館 生田緑地

子供ができる前は、散歩方々郊外の美術館めぐりをよくやっていた。しかし、世紀の変わり目の頃からは、そういうブラりとでかけることは少なくなり、美術館や博物館も、目的を持って行かないと行けないし、限られたところしか回れないという感じになってきた。当然、川崎は生田緑地にあるこの「岡本太郎美術館」も、開設12年目にして初めての訪問ということになった。
さて岡本太郎氏というと、その活躍のかなりの部分を、リアルタイムで体験している。リアルタイムでの体験というのは、その作品が登場した「時代の空気」も含めて知っているという強みがあるものの、当時伝わっていたもの以上に知識が広がらない弱みがある。、歴史を学ぶように、裏も含めて、全てを体系的に知れるわけではない。ここに同時代を語る難しさがある。
つまり、「当時の評価」に引きずられて、客観的な真価が見えにくくなってしまうのだ。そういう意味では、今回、岡本氏の活躍の全体像を回顧する構成になっている展示を見て、改めて発見があった。氏の作品においては、独特のフォルムや色使いが目を惹くものの、実はカタチより、動きやあふれ出てくるものにこそ真骨頂があることがよくわかる。
そういう意味では、平面作品よりより立体作品のほうにより本質が現れやすく、美術作品とはいえないようなパフォーマンス・アート的なものにこそ、その真髄があふれ出てくる。まさに、その生きかた自体が作品でありアートだというのは、そういうコトなのだろう。ところで、企画展はちょっと?。個々の作品はいいのだが、全体の構成が今ひとつ散漫で、テーマが伝わってこない。伝わってこないから「虚」なのかもしれないが・・・。



11/1w
野田凪展
クリエイションギャラリーG8 銀座

アートディレクターとして、マルチクリエイターとして、広告をはじめ、映像、ファッション、プロダクト、アートと幅広く活躍しつつも、3年前に突然逝去した野田凪氏。この展覧会は、十数年という短い期間ながら、文字通り疾風怒濤の活躍で、人々の心の中に強い印象を残した彼女の足跡をたどる回顧展である。会場には、主戦場とも言える広告やグラフィックデザインを中心に、幅広く活躍した彼女の世界の広がりを感じさせるいろいろな作品が展示されている、
この数年、世界的な経済危機もあって、広告の世界は極めて低調である。景気が後退すると、どうしても売りに繋がる販促よりになってくるのは、別に今に始まったことではない。しかし、見込み顧客を捉まえて、商品の情報を流せばそれで売れるわけではない。「おすすめ」を並べるだけで買ってくれるほど、お客さまはナイーブではない。やはり、ワクワク、楽しくさせて、その気にさせる広告の役割はどこまでいってもなくならない。
そういう意味では、「誰に」「どのように」語るかという両輪が揃ってこそ、キャンペーンは機能する。顧客データが一気に蓄積された昨今は、「誰に」が進みすぎているが、時間が経てば、ターゲッティングが飽和し、またぞろそれだけではすまなくなり、「どのように」語ってワクワクさせるかのほうがホットイシューになるだろう。本当は、「誰に」「どのように」というのが、一つの広告作品の中で語られるのが理想なのだが。
さて、今回の展覧会、会場は、圧倒的に野田氏と同世代の女性というか、(広い意味の業界関係者と思われるが)30代〜アラフォーという感じの女性がほとんどである。というか、自分以外全部そうだった。つまり、彼女の作品には、当人も含めて、その世代の女性の「楽しい」があふれていて、「作品が自分向け」であることをすぐに感じ取れるモノなのだ。「誰に」「どのように」を一つのグラフィックで一度に語りつくせるデザイン。リアルとヴァーチャルがシームレスな世代に向けたメッセージを出さなくてはならなくなる今こそ、その意味をもう一度確かめるいいチャンスといえるだろう。



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