Gallery of the Week-Mar.13●

(2013/03/29)



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集落が育てる設計図‐アフリカ・インドネシアの住まい‐ 展
LIXILギャラリー 京橋

世界の伝統集落や住居の調査・研究を40年以上に渡り行なってきた、東京大学生産技術研究所の藤井明研究室には、世界のあらゆる大陸から、50ヶ国以上、500の集落のデータが蓄積されている。それらの資料からは、風土が類似していても、集落を構成する共同体の価値観により、住居の形態が大きく変わることが読み取れる。住まいの形とは、部族のアイデンティティーなのだ。
この展覧会では、それら豊富な資料の中から、西アフリカのサバンナ地域に見られる「コンパウンド」と呼ばれる土の家と、インドネシアのスンダ諸島に見られる、木や竹、ヤシや茅を用いた、屋根の形に特徴のある高床式の家に着目し、それぞれの中で、部族による違いがどう現れてくるかを、現地調査による図面・画像資料と、住居模型により再現する。
実は極めてアカデミックな比較文化研究なのだが、ジオラマ党としてはやはり建築模型が気になる。一棟だけの1/20とか大型の模型もあるが、大部分は1/60〜1/100と、われわれにとっても見慣れたサイズなので、不謹慎ながらどうしてもジオラマとしての興味が湧いてしまう。確かに、建築の構造を示すだけでなく、集落の生活も含めて感じさせる模型となっている分、建築模型よりジオラマなのだ。
逆にいえば、ちゃんとスケールダウンして集落そのものを再現したジオラマなら、二川幸男氏の民家の写真ではないが、民俗学的な資料としても価値もあることになる。地面をスケールで作るのは、スペース的に中々困難だが、これはこれで意味があるかも。少なくとも、作るために撮ってきた資料写真とか、再寸図面とか、そういう人が見たら、別の価値があるコトは確かだろう。



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LIFE 永井一正ポスター展
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

DNP文化振興財団に、永井一正氏より寄贈された、ポスター、版画を中心とした4,000点におよぶコレクションである、「永井一正アーカイブ」。そこに収められた、高度成長期以来日本のグラフィックデザインを牽引してきた氏の代表作の中から、1980年代後半以降文字通りライフワーク的に製作してきた、「LIFE」をテーマにしたポスター作品139点をた紹介する個展である。
しかし、この圧倒的な存在感は何だろう。もはや、ポスターであることを越えている。かつて、中島みゆきの音楽のコトを「一人ワールドミュージック」と呼んだことがある。一人が一代で作り上げた音楽世界なのだが、まるで長い歴史を持つ伝承音楽のように「形」の美学を持ち、それを今に伝える人間国宝に見えてくるぐらい、強固な世界観と一貫性があるからだ。
その比喩で行くなら、永井一正氏のLIFEシリーズは、「一人民族美術」である。これまた、何百年という歴史と伝統をバックに持つ、世界の民族美術に匹敵するような、様式の重みが作品の後ろからのしかかってくる。それがあるからこそ、会場はある種、アニミズムのような宗教的オーラに包まれている。
一枚一枚のポスターなら、それぞれ語ることも、説明することも可能である。しかし、ここで味わうべきは、全体がかもし出す、神秘的で霊的とも言える空気感だろう。美術にしろ音楽にしろ、元々は神々しく宗教的なものであった。この作品の霊性は、印刷という手段を通しても変わらない。これを示すことが、展示品がポスターである意味なのかもしれない。



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夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史 北海道・東北編
東京都写真美術館 恵比寿

2007年の「関東編」、2009年の「中部・近畿・中国地方編」、2011年の「四国・九州・沖縄編」に続いてきた、幕末から19世紀の間の作品を調査記録しアーカイブ化するプロジェクト、「夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史」。今回はその第四弾であり、北海道・東北の約2,400ヶ所の施設から集めた情報をもとに、北海道と東北地方に縁のある写真作品・資料約500点で構成される、シリーズ完結編である。
全体は年代順に、写真流入期の作品である「第1部 であい」、第一世代写真師の作品である「第2部 まなび」、第二世代以降の作品である「第3部 ひろがり」の3部構成となっている。基本的に今までの3回と同様に、ある程度写真技術が確立した段階で、一気に写真が導入された日本ならではの受容の特徴を浮き彫りにする展示である。
展示される作品は、当人が顧客となるポートレート、外国人を中心顧客とする観光写真、組織や公的機関を顧客とする記録写真と、およそ3ジャンルに分けることができる。その中でも、当時の北海道・東北地方の状況を考えると、道路や鉄道、各種施設などの建設記録の写真が目立っており、「開拓史」の名前が二重の意味でふさわしい。
見ず知らずの他人のポートレートも、これだけの数が集まると、当時の人々の生活を考証する資料としての価値も生まれてくる。特に、明治期の北海道・東北地方のドキュメントベースの記録は少ないだけに、限られていても豊富な情報量を持つ写真の語るものは大きい。普通の人の普通の写真をアーカイブするプロジェクトの必要性を、改めて感じさせてくれる。



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第7回 shiseido art egg #3 川村麻純展
資生堂ギャラリー 銀座

今年で第7回目を迎えるshiseido art egg、そのトリとなる第三弾は川村麻純氏の個展である。主題は対話。メインの作品は、二つのスクリーンに母と娘の映像を映し、そこに母親の思い出を語るナレーションがランダムに流れる作品であるが、同様の構成で妹が姉の思い出を語る作品と、妊婦のスチルを構成した作品が組み合わされる。
スチルの組写真においては、実際にそこに写っているリアルな世界とは別に、虚構の世界、虚構のストーリを作り上げ、それを以て作品とする偽小説的手法は、80年代からしばしば見られるようになった。特に、写真が現代アートの媒体として重視されるようになると、それは極めて普遍的な手法として定着したということもできる。ここで重要なのは、それが写真家の側からではなく、現代アーティスト(現代アートからも評価される、サブカル的写真家は含まれる)の側から出てきた点である。
これが映像作品となると、映像作品を製作するコストが低廉になったのが、デジタル化が進んだこの十数年であり、長らくコストがかかる作品であったこともあり、映像製作者と現代アートとのオーバーラップは少なかった。その分、現実のドキュメンタリーをコラージュして、フィクションのストーリーを組み立てるという試みは、あまりなされなかった。ある種、映像作家にとって、それは常識以前のタブーだったからだ。
しかし、映像がアートの世界に引きずり込まれれば、もはやそんなタブーはない。まさに、ドキュメント映像からリアルを切り離し、コラージュのようにフィクションを作ってしまったのだ。それはまた、ベースになった作者自身の私小説とも違う。そう思ってみると、登場人物自体が、別人にも関わらず、架空の人格のセルフポートレートのようにも見えてくる。まだまだ習作的な荒削りなところもあるが、「デジタル映像は全て虚構」と割り切れる時代になったからこそ登場した作品といえよう。



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第8回グラフィック「1_WALL」展
ガーディアン・ガーデン 銀座

「ひとつぼ展」をリニューアルした「1_WALL」展も、これで8回目。すっかりそのコンセプトが定着してきたようで、今回は、まさに「1_WALL」と呼ぶにふさわしいような、壁面とその空間をいかしたインスタレーションの作品で一杯である。作品を持ち寄って展示するのではなく、空間そのものを同作品化するかというのが、強く意識されるようになった。
そういう意味では、今回出展している6人の作品は、スタイルこそ大きく違うものの、どれも荒削りながら大きさや存在感を生かしたパワーで迫ってくる。そりゃよく見れば突っ込み所は満載なのだが、その口を押し塞いでしまうぐらいの暴走感がいい。かなり意図した選出だとは思うが、ギャラリー全体に、これが「1_WALL」なんだという存在感が満ちている。
思えば、20世紀の末期には、いろいろ難しく考えさせる作品が多かった。それはそれで、世の中全体がバブルで浮かれているときにはいいのだろうが、高度成長とか金利とか言うコトバが死語になってしまう安定成長の時代には、ちょっと暗すぎてそぐわない。そういう意味では、デカさというのはバカバカしくもインパクトがある。そういう転換点にさしかかっているということだろうか。





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