Gallery of the Week-Jun.13●

(2013/06/28)



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仲田絵美展「よすが」
ガーディアン・ガーデン 銀座

作品「美しい速度で」により、第7回写真「1_WALL」のグランプリを獲得した仲田絵美氏が、同グランプリの賞として開催する個展。グランプリ作品と同様、母親の遺品である洋服や小物などをテーマに、それらを着用したセルフポートレート、また父親の撮影したカットなども含めた作品群により、展示が構成されている。
そういう意味では、すべてファクトであり、記録であるはずだ。すくなくとも、1970年代までの写真の話法ならそうだろう。しかし、この狭い世界の中からも、フィクションのストーリーが湧き上がってくる。ここが彼女の作品の極めて現代的なところだし、単なる写真を超えた現代アート的な表現世界となっている由縁である。
演じるパフォーマンスとしてのセルフポートレートという形態は、90年代以降、森村泰昌氏などにより、現代美術の一ジャンルとして定着しているが、これはその作品制作において、写真と密接な関係がある。逆に、写真としてのセルフポートレート作品の中にも、この方法論がフィードバックしてきている。一部の女装家のセンスあるセルフポートレートの中には、完全にこの手の現代美術作品として評価した方が良いものもある位だ。
「偽日記」をはじめとする、80年代初頭にアラーキー師匠が白夜書房で発表した一連の作品以来、組写真は3枚あればフィクションの世界を構築できるコトが証明された。写真とアート表現の立場が逆転した瞬間である。実際の母親ではなく、彼女にとってもメタな母親像を、リアルな素材を使って創り上げる。どこまでがファクトで、どこからが妄想か。それは、もはや本人にもわからないし、意味がないことなのだろう。



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梅佳代展
東京オペラシティー アートギャラリー 初台

写真の原点とも言える作品で、女性写真家というだけでなく、日本の若手写真家を代表する梅佳代氏の、美術館での初の個展。学生時代の初期作品から、今までに発表したシリーズ作品、未発表作品を含め、570点の作品を再構成し、彼女のこの十数年の活躍を網羅的に振り返る。超大型プリントからL版プリントまで、あらゆるサイズの写真で構成されたインスタレーションは、それ自体見どころとなっている。
写真を撮っている人なら実感しているだろうが、写真作品は何も考えないのでは撮れない(猿がシャッターを押して、決定的瞬間が撮れてしまう場合がないとはいえないが、それは偶然であり作品ではない)。しかし、だからといっていろいろ考えすぎてしまっては、写真作品にはならない(写真を手段として使う現代アート作品や、商業芸術の作品はその限りではない)。彼女の作品のスゴさは、この両者のバランスのギリギリのところで、作品をモノにしているところである。
ある意味、最近の女性写真家らしい「素直な作風」を感じさせるものの、その視線は、1960年代末から70年代にかけての現代写真の全盛期の作品に通じる「瞬間」を切り取っている。写真としては本流である。それは、森山大道氏の新宿シリーズなどにも通じる。しかし、その時代の作品と違って、妙な技巧を一切排し、写真の本質だけを作品に定着させているところが、AEAF時代以降の写真家ならではといえるだろう。
それにしても、組写真をバラして一枚だけ取り出したら、「盗撮」だったり「児ポ」だったりするカットがけっこうある。今の議論だと、所持には弁解の余地はない。撮影するのは、女性カメラマンだから許されるのだろうか。ぼくもネタ写真の街頭スナップはよく撮る。中学生だった70年前後から撮っているので、電車の中で酔っ払いを撮るとか、ある種の度胸はあると思うが、それでも「盗撮」と思われないための細心の注意は払っていたりするが、男はツラいよ。確かに、客も多かったが、ほとんど女性客であった。



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Why Not Associates - We Never Had a Plan So Nothing Could Go Wrong 「予定は失敗のもと。未定は成功のもと。」
ガーディアン・ガーデン 銀座

ロンドンのデザインスタジオ「Why Not Associates」は、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート同級生であるアンディ・アルトマン、デイヴィッド・エリス、ハワード・グリーンホルグの3人によって1987年に創設されて以来、世界のデザインの第一線で活躍し続けている。タイポグラフィーを活用したそのデザインは、常に斬新なインパクトを放ちつつ、独自の世界を進み続けている。
今回の展覧会は、創設直後の1993年以来、日本では20年ぶりのWhy Not Associatesの展覧会となる。近年の作品を中心に代表作を集め、グラフィックと映像とにより展示している。近年、特に21世紀に入ってからは、メディア・コンテンツのグローバル化をうけて、グラフィックデザインでも、素材の世界共通化化進んできた。
それはある意味では時代の要請でもあるのだが、コミュニケーションの機微という面からすると、いささか効率化を重視しすぎて、きめ細かい質という面からするとマイナスとなる面もある。そういう意味では、タイポグラフィーなどは、そういう面での表現の奥深さを秘めた代表的なアイテムだろう。当然、より特定のバックグラウンドを持った人に深く刺さるやり方が可能だし、求められるはずである。
そういう意味では、共通化が進んでいるはずの欧米から、差異を強調するための手法としてデザインが再び重視されてくるというのは、非常に面白い現象である。ヨーロッパの宗教的・文化的バックグラウンドまで言外に語るようなタイポグラフィーは、日本人には正確には解読不可能である。しかし、そこに何かを切り分けるためのメッセージが込められていることはわかる。そこにデザインの力が活きるということが、彼らの最大のメッセージだろう。



6/1w
大門光展「ゲンガ」
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

2012年8月に行なわれた、第7回グラフィック「1_WALL」グランプリ受賞者の大門光氏の個展である。受賞作に続いて今回も、「ゲンガ」と題された、コミックスのキャラクターを落書き風に直接現場に描いた作品である。前回が「1_WALL」らしく壁面に描かれていたのに対し、今回は床にパネルを張り、そこに描いたものをその上を歩きながら見るという趣向である。
確かにそこには、キャラクターという「絵」が描かれている。しかしその絵が作品ではない。作品の構成要素になってはいるものの、作品は全体のインスタレーションであり、絵から見ればメタな存在である。大門氏の作品のインパクトは、やはりそこにあるのだろう。
グラフィックでありながらグラフィックでない。写真「1_WALL」でもそうだが、過去において「作品」とされてきたものを「利用」して、メタな作品を構成するというのが、最近の「1_WALL」展に見られる傾向だが、そういう面では、一瞬個々の「絵」に視線がいってしまい全体を見失いがちになるこの作品など、その最右翼といえるだろう。
そういう意味では、この作品のモチーフが、「落書き」のイメージになっているところも面白い。落書き自体、グラフィティーアートのようにアート作品として評価・解釈される時代になっているが、もともと、かってに描いた本人にとっては意味があるが、その他の多数にとっては汚れでしかないという、相矛盾する二面性を持っているのが落書きである。その二面性は、視線を引くいて見れば、容易にメタ解釈を生み出す隙間を生み出す。そういう意味では、コミックスのキャラクタでなくても、いろいろなものを引用してくることで、多彩な可能性を生み出す可能性のある手法ということができるだろう。




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