Gallery of the Week-Mar.14●

(2014/03/28)



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明日のデザインと福島治[Social Design&Poster]
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

ソーシャルデザインの第一人者として、デザインによる社会貢献を探求する福島治氏。この展覧会は、デザインの力でNPOに寄付を集めるソーシャルプロジェクト「GIFTHOPE」を中心に、東日本大震災以降展開してきたソーシャルデザイン・プロジェクトを紹介するとともに、彼のライフワークともいえる劇団山の手事情社の公演ポスターにより、今までの業績を振り返るものである。
1Fがソーシャルデザインプロジェクト関連の展示、BFが劇団山の手事情社の公演ポスター展示と大きく分かれており、会場の雰囲気はかなり異なっている。それでも福島氏の展覧会としてトナリティーを感じさせるのは、どれもガチンコで正面からぶつかる、正攻法のストロングスタイルとでもいえるようなデザインだからだろう。
純粋な芸術作品でありながら、政治的なメッセージ、社会的なメッセージを訴えようという作品がある。個人的には、非常にキライである。政治的なメッセージは政治活動で、社会的なメッセージは社会活動で主張すればいいことであって、個人の心の声を語るべき美術館の中に、そういう血生臭いメッセージを入れてほしくない。
しかし、商業デザインの力はその逆である。そういう一方的な強引さや勝手な自己主張ではなく、北風と太陽のたとえのように、相手の心を開かせ、違う主張にも耳を傾けさせる優しさを持っている。理屈では分っていても、なかなかその域に達した作品に出会うことは少ない。ここでそういう作品を目の当たりにすることができるというのは、貴重な機会ということができるだろう。。



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ブルーノ・タウトの工芸‐ニッポンに遺したデザイン‐ 展
LIXILギャラリー 京橋

ドイツのモダニズムを代表する建築家の一人である、ブルーノ・タウト。日本では、彼の名前は桂離宮と合わせて語られることが多い。しかし、日本との関係はそれだけでなく、昭和8年から11年の3年間に渡って日本に滞在し、仙台、高崎などで工芸の指導・育成に従事した。この展覧会は、この時代の彼の業績にスポットライトを当て、その活動の跡を振り返るものである。
モダニズムは、ジャポニズムからその機能性やミニマル性を受け継いだ、直系の子孫である。それは、モダニズム自体大衆文化の興隆を前提としており、すでに18世紀に江戸など大都市では町民文化が栄えていたように、世界的に見ても大衆文化の先進国であった江戸時代日本の文化が、階級文化から大衆文化へパラダイムシフトを起しつつあったヨーロッパに大きな影響を与えたことを意味している。
もちろん、タウトの桂離宮論は、モダニズムへのジャポニズムの影響を論じた嚆矢であり、彼の日本の工芸への注目は、いわば先祖返りということもできる。実際彼は、日本の工芸家が、西欧の美術や工芸の模倣に終始していることを嘆き、日本の伝統工芸が本来持っていたオリジナリティーを再び取り戻すことを主眼に、工芸に関する開発・指導を行なった。
ジャポニズムがモダニズムを生み、その寵児がジャポニズムのエッセンスを取り戻すことに尽力する。まさに、メビウスの輪のような連関がそこにはあった。しかしさらに進んで、日本人になぜモダニズムが受けたのか、バウハウスを模倣したがったのか、そこまで理解して初めて、単に日本文化好きの欧米人という以上の影響やインパクトを残すことができただろう。そのためには、3年間では余りに短かったということである。



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第8回shiseido art egg 古橋まどか展
資生堂ギャラリー 銀座

資生堂ギャラリーの開催する公募展、第8回 shiseido art eggのしんがりはは、古橋まどか氏の個展である。今回のart eggは、「立体と平面」というのが大きなテーマとなっているが、古橋氏の作品は、いままでの二氏とはその角度がちょっと違い、日用品の不用品を組み合わせて作った「オブジェ」を撮影した写真作品と、その被写体となった「オブジェ」を組み合わせたインスタレーションである。
現代美術においては、この手の身近な「ブツ」を組み合わせてオブジェ化する作品は、一つの定番表現となっているが、古橋氏の作品は、その構成要素が、家具や家電など、生活の中に入り込んでいる、実際に使い込まれた身近なモノである点だ。それだけに、見る側は、作品と対峙するというより、日常の延長で作品を捉えることができる。
オブジェになった小便器をみて、思わず触りたくなる人は少ないだろうが、氏の作品を見ていると、つい触ってみたり、積みなおしてみたくなったりといった衝動にかられてしまう。やはりポイントはここであろう。もしかすると、その衝動を利用し、観客参加型で姿を変えてゆくオブジェなどという作品も可能だろう。
やはり、生活のにおいがするものは、それだけオーラがあるということだ。それを組み合わせることで、単に形が語るものだけでないストーリーが紡ぎ出されてしまう。これを突き詰めてゆくと、編集者視点的なアート表現みたいなものの可能性を考えることもできる。シンプルなようで、いろいろな意味を考えさせる作品ではある。



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「ハイレッド・センター」直接行動の軌跡 展
松涛美術館 渋谷

今や「前衛」といえばギャグとパロディーの対象でしかないが、かつて確実に「前衛」が夢と希望のある未来を象徴している時代があった。そんな時代に、いかにアバンギャルドであっても、静止したアート作品では表現できないエネルギーを、社会的パフォーマンスにぶつけたアーティスト集団があった。高松次郎氏、赤瀬川原平氏、中西夏之氏を中心とし、1963年に結成された「ハイレッド・センター」である。
日本においては、60年代末から70年代にかけて、アンダーグラウンドやサブカルチャー的なものが一大ムーブメントとなり、それ以降の新しい文化を生み出す胎動となった。まさに、その前段階を準備したものが、60年代前半の「前衛」である。今回の展覧会は、ハイレッド・センター結成50周年を記念し、その「直接行動」も記録を振り返るとともに、高松氏、赤瀬川氏、中西氏の作品により、ハイレッド・センターの活動を回顧するものである。
50周年といえば、先日、テレビ東京が開局50周年ということで、そのエッジなカウンターカルチャー的な貢献を振り返る、50周年記念番組がオンエアされていた。さすがに「ゴールデンも深夜放送」といわれた局だけあり、「これは今では、コンプライアンス上オンエアできません」というコンテンツ続出という演出で、その独自性を再確認するような構成であった。それも、60年代、70年代という時代背景の成せるワザである。
「ハイレッド・センター」の三氏は、もちろん卓越したアーティストではあるのだが、その三氏をはじめとするメンバーをその気にさせ、踊らさせてしまった時代背景にこそ、今一番注目しなくてはいけないだろう。ルールクソ喰らえ。コンプライアンス何するものぞ。表現というのは、湧いてきたら止まらないものなのだ。遠慮することはない、やってしまったものが勝ちである。みんな高度成長の中で喰ってゆくことに精一杯で、そこまで干渉できなかったのかもしれないが、これこそが、アートな魂なのではないかと、改めて考えさせられた。




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