Gallery of the Week-Sep.14●

(2014/09/26)



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建築の皮膚と体温-イタリアモダンデザインの父、ジオ・ポンティの世界- 展
LIXiLギャラリー 京橋
ジオ・ポンティは、1920年代から70年代まで、イタリアにおけるモダニズムの旗手として、デザイナー・建築家として活躍したマルチ・アーティストである。この展覧会は、その中でも「デザインにこだわった建築家」としての側面にスポットライトを当てて紹介するものである。
彼はイタリアの陶磁器メーカーリチャード・ジノリのアートディレクターとしてキャリアをスタートさせただけに、陶磁器の持つ表面感覚を建築に生かすべく、ファサードの外装でも、室内インテリアでも、タイルを多用するスタイルが特徴となっている。LIXILの元となったINAXが、2008年にポンティ設計の「サン・フランチェスコ教会」修復の際、外壁タイルを製作したことが、本展開催のきっかけとなっている。
イタリアにおけるモダニズムというのは、ヨーロッパのどの国とも違う、独特な位置付けがある。ルネッサンスを生み出し、ヨーロッパ近世のあり方を規定した分、そ小に吸い寄せられる力も、それを乗り越えようとする力も半端ではない。だから、他の国からするとモダニズムには見えないものも「モダン」の記号となったり、伝統に対する極端な否定が働いたりする。
それはまた、デザインに対する考えかたやセンスに大きな違いをもたらす。イタリアンデザインのパワーの源泉は、そこにあるのだろう。ある意味、ジオ・ポンティのようなマルチ・アーティストが活躍できるのも、そういう基盤があるからということなのだろう。イタリアのデザインの裏にあるもの理解するにはいい機会だろう。



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「せいのもとで lifescape」展
資生堂ギャラリー 銀座
資生堂の「資生」は中国の『易経』の一節「至哉坤元 万物資生」が出典で、「すべてのものは大地の恵みから生まれる」という意味という。その世界観はCIにも反映され、「花椿」マークや「唐草文様」のデザインモチーフも、季節ごとに新しい命が生まれる植物の生命力により「万物資生」を視覚化している。
この「せいのもとで lifescape」展は、この「万物資生」の世界観を、アートにより表現する展覧会である。彫刻家の須田悦弘氏がキュレーションを行い、クリスティアーネ・レーア氏、志村ふくみ・洋子氏、珠寳氏、宮島達男氏の作品により構成される。いずれも生命をテーマとし表現するアーチストである。
このように、通常の企業文化活動としてのギャラリーでの展覧会と違い、コーポレートコミュニケーションと密着した、主張すべき明確なテーマのある展示となっている。企業の理念をテーマとし、なおかつアートの展覧会としても成立しているという、新しい試みであり、そういう意味では資生堂ならではの企画ということができる。
資生堂ギャラリーでの展示は、そのコンパクトな空間を活かし、全体のインスタレーション自体がひとつの作品となっているような構成のものが多い。最近は、特にその傾向が顕著である。今回の展示も、オーソドックスな展示形式を取っているワリには、全体としての一体的構成感が強い。それこそが、資生堂の企業メッセージということになるのだろう。そういう意味では、なかなか試みとしてはウマく行っているのではないだろうか。



9/2w
So French  Michel Bouvet Posters
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座
フランスのポスターアーティスト、ミシェル・ブーヴェ氏の世界を紹介する個展。その強烈な個性で、強力なメッセージを発する作品を見ると、グラフィックデザイナーというより、ポスターアーチストと呼ぶにふさわしいことが良くわかる。展覧会や演劇公演のポスターとして実際に使われたポスター約40点を、現物とプレゼンテーション形式で展示する。
シンプルで強力なアピール力を持つヴィジュアルアイコンを全面に出した作風は、ポスター大国のフランスでも、図抜けた存在感がある。しかし、それを自然に街の中に溶け込ませてしまうヨーロッパの文化的風土の懐の深さも、半端でないものがある。このあたりは、もはや歴史や文化の違い以外の何者でもない。
確かに日本においても、展覧会、コンテスト、演劇、映画といった領域では、ポスターが重要な存在になっている。単に告知のためのメディアというだけでなく、世界観を示すための重要なツールの一つとなっている。一方彼の地でも、ポスターだけで告知ができ、認知度を取れるという時代ではなくなっている。
とはいえ、やはり違うのである。欧州のポスターはエキゾチックなのだ。それはきっと、ヨーロッパ人にとって日本の看板やネオンがエキゾチックなのと同じ理由なのだろう。日本人は長い間欧州のことを「追いつき追い越せ」の対象としてしか見てこなかった。それは、相対的に両者の文化を比較する視点を失わせてきた。そういう「違い」を知る意味では、これはいい入り口かもしれない。



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長野陽一 料理写真展「大根は4センチくらいの厚さの輪切りにし、」
ガーディアン・ガーデン 銀座
長野陽一氏は、沖縄や奄美諸島の島々に住む10代の若者たちの写真で、1998年ガーディアン・ガーデン主催の「写真[人間の街]プロジェクト Part.2」に入選し、その後もポートレートや人物写真を中心に活躍している写真家である。昨年、雑誌「ku:nel」に料理写真が掲載されて以来、新しい料理写真の担い手として注目されている。
この写真展は、長野氏のそんな新感覚の料理写真の世界を紹介するとともに、長野氏が開く新たな料理写真の可能性を問うものである。仕事柄いつも感じることだが、全く同じモノを撮っても、広告写真や雑誌のカットのような商業写真と、アーチストとしての写真家の撮る作品との間には、超えようがない深い谷間がある。もちろん、これは個人的に得意とするジオラマ模型の写真においても同じである。
それは、フィクションのストーリー性の存在だろう。商業写真でそういう「創られた」ストーリーが前に出てしまえば、いわゆる「偽装」になってしまう。その反面、ストーリーがないものは、表現作品たり得ない。実は撮る方からいえばこのあたりは紙一重で、ブツ撮りでも、ウソにならないギリギリのところまでは、夢が膨らむように撮るし、ポストプロでレタッチもカケる。
確かに、料理写真にこういうストーリー性を持ち込み、「作品」にしてしまう、という発想はユニークである。もともと雑誌等の料理取材で撮影されたカットゆえ、そこにいるはずのない「この料理を食べて満足するヒトたちの笑顔」までが、画面からほとばしってくる。その違いは、ほんとに紙一重なのである。自分がシャッターを押すヒトにこそ、一度見て欲しい写真展だ。




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