Gallery of the Week-Feb.15●

(2015/02/27)



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ポスターでみる映画史Part 2 ミュージカル映画の世界
東京国立近代美術館フィルムセンター 京橋
「ポスターでみる映画史」シリーズの第2回は、「ミュージカル映画の世界」と題した、ハリウッド製のミュージカル映画のポスターのコレクションの展示である。これまたアメリカ文化の象徴ともいえるブロードウェイのステージをベースに、ダンスと音楽というこれまたアメリカンエンタテイメントの華を加味して生まれたハリウッド・ミュージカル
。 それはトーキー技術の完成とともに、それをエンタテイメントとしてフルに活用すべく生まれた。アメリカのゴールデンエイジの経済力をバックに、その映像表現は高度に発達し、アメリカ映画黄金期を象徴する大衆娯楽として世界を制覇した。この展覧会はその絶頂期といえる1950年代の作品を中心に。1930年代の誕生から末期の1970年代までの歴史を、ポスターで振り返るものである。
出展されたポスターは、ミュージカル映画ポスターのコレクションでは両巨塔といえる、イラストレーターの和田誠氏とコレクター大山恭彦氏の収集品からセレクトされたものである。まず一見して驚くのは、1950年代のアメリカのグラフィックデザインの水準から大きくかけ離れたデザインセンスである。ある意味、1930年代からほとんど変わっていないルックアンドフィールである。
もう一つは、そのルーツである1930年代のステージの状況をそのまま引きずっている、構成や演出である。設定こそ千差万別だが、白人のヒーローとヒロインが繰り広げる予定調和のストーリーというのは、すでに1950年代の現実とは乖離していたことは、当時の音楽シーンの状況(ショービジネス的なティンパンアレイのポップスから、アーティスティックなロック、R&Bヘの移行)と比べてみれば、その違いは良くわかる。ある意味70年代以降のアメリカ映画の変質は、すでにそのスタートからビルトインされていたことを、このポスターたちは雄弁に語ってくれる。



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Line in the sand: Paul Davis
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座
ロンドンを中心に世界的に活躍するイラストレーター、ポール・デイヴィス氏の30年に渡る活躍を振り返る個展である。タイトルである「Line in the sand」とは、過去と現在の境界線、はたまたをアートとイラストレーションの境界線を意味している。この作品展が、「その線」を越えて新しいフェーズへ進む境界であるという意思を込めたものであることを示している。
この展覧会では、デイヴィス氏が自ら厳選して選んだ作品を、原画で紹介している。そのシンプルでプリミティブなタッチを活かした表現は、ありそうでない独創的なものであり、見るものを彼の世界へと引き込んでゆく。時代性からも地域性からも超然としたその画風こそが、多くのグローバル企業やメディアがクライアントとなっている理由であろう。
その一方で、「フェイクアド」シリーズに代表されるように、あえて商業美術作品的な形態を纏わせたアート作品も制作している。このあたりの融通無碍さは、パロディーもどんどん斜に構えてゆくと最後には純粋芸術になってしまうとでもいうような、いかにもロンドンのアートシーンっぽい雰囲気があって面白い。
とにかく、紙に描いた一本の線が、以下に雄弁にモノを語るか。その原点をもう一度振り返らせてくれるアーティストである。タイトルも、作者自身が説明する表の意味のほかに、そういう、一本の線が表現できるものの大きさみたいな裏の意味をも含んでいるのかもしれない。



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第9回shiseido art egg 飯嶋桃代展 Home Bittersweet Home -カケラのイエ
資生堂ギャラリー 銀座
飯嶋桃代氏は、一貫して「家族の記憶」をテーマにした作品を制作している。今回の展覧会では、「古食器」を素材とした、「Fragments pf glacier」と「Singular」という2種類のインスタレーションが展示されている。
「Fragments pf glacier」は、樹脂に陶磁器の食器を封入し、それを多面体に切り出したオブジェの組み合わせである。ネタバレになってしまうが、写真から想像していたものからすると、現物ははるかに大きく、圧倒的な存在感がある。重なり合った食器が塊となるサマは、まるで貝塚か化石かという存在感がある。
一方「Singular」は、高い台の上に一つづつ茶碗と照明をセットし、それを50点組み合わせたものである。日本では茶碗は銘々茶碗で、一人一つ専用の茶碗があるのが普通なので、あたかもそれぞれの茶碗が象徴している個人の墓標が並んでいるかのようである。
作者は家族をテーマにしたと語っているが、化石と墓標、そこから漂ってくるのは濃厚な死の気配である。霊感の強い人なら、なにか妖気さえ感じるかもしれない。下手なお化け屋敷よりは、余程おどろおどろしい世界である。そういう視点からみると、また違ったメッセージが読み取れてしまう作品でもある。



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山下達哉「Decontamination −(除染)」
ガーディアン・ガーデン 銀座
第10回写真「1_WALL」のグランプリを獲得した山下達哉氏による、受賞記念の個展。今回の展示も、グランプリ獲得時の作品をスケールアップし、「Decontamination −(除染)」をテーマとしている。今回は、前回の作品に加えて、新たに福島で撮影された作品を追加して再構成されている。会場は、最近の写真展では見られないぐらい、淡々とモノクロのプリントが並ぶ、極めてストイックな展示となっている。
ぼくは基本的に、メッセージやプロパガンダが表に出た作品は嫌いである。というより、アート作品としては認めない。アートとは、コトバやカタチにならない自分の心の中を表現するものであって、理性の産物であるメッセージを伝えるために使ってしまったのでは、作品は単なる道具や手段になってしまう。あくまでも作品とは自分の心の表現そのものでなくては、ぼくにとっては価値を感じられない。
そういう意味では、確かに山下氏の作品は、メッセージやプロパガンダの手段ではない。それは、作品からタイトルや説明を外して、純粋に写真だけを展示してみれば良くわかる。日本の風景であろうということはかろうじてわかるが、単なる荒地の風景である。北海道や離島でなければmどこにでもありそうな景色である。かなり地元の事情に詳しい人でなければ、これが福島の汚染地域の景色であることはわからないだろう。
とはいうものの、自然の存在感に比べて、人間の存在感の小ささ、特に一人の人間が以下に小さな存在かということは、画面から強烈に伝わってくる。ここで、入口こそ社会的な題材っぽくあっても、作品そのものはそれを伝える手段ではなく、きちんと作者の表現になっていることが伝わってくる。そういう意味では、けっして後味はわるくない。




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