Gallery of the Week-Jun.15●

(2015/06/26)



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金沢の町家‐活きている家作職人の技‐展
LIXILギャラリー 京橋

北陸新幹線の開通とともに、観光ブームに湧いている金沢。戦災に遭わなかったその街並みは、江戸時代の前田百万石城下町の風情と伝統を今に伝えている。もともと小京都と呼ばれたように、文化的・経済的に関西圏とのつながりが強かった金沢だが、新幹線の開通で、東京からも一躍着目を集める町となっている。
今も古い町家を数多く見かけることができる街並みを維持するためには、伝統的な建築技術の維持と継承が欠かせない。このため、20年以上前から「金沢職人大学校」が作られ、伝統的な日本建築を修復するのに欠かせない、大工・石工・瓦・左官・畳・建具・表具という7つの伝統技術の継承に努めてきた。今回の展覧会は、この「金沢職人大学校」をベースにした職人の技から、金沢における伝統技術の保存・継承のあり方を見せてくれるものである。
いわば静態保存のような「建物園」ではなく、動態保存のように実際に使われている街として伝統建築群を維持してゆくためには、並々ならぬリソースとエネルギーが必要になる。そのためには、伝統建築と伝統技術が一つのエコシステムとなり、循環的に自立している必要がある。そのためのカギとなっているのが「金沢職人大学校」である。
言いかたを変えれば、金沢の街という規模感を伴って、伝統の維持発展を考えているからこそ、それらが補助漬けではなく、ビジネスとしても自立的に成り立っており、それが他の地域の伝統建築保存にも大きく貢献している。さらにそのエコシステムは、日本全体へも広がり繋がっている様子がよく伝わってくる。テーマとしてもLIXILギャラリーらしい、小粒でも興味を惹きつける展覧会である。。



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李傑展「The voice behind me」
資生堂ギャラリー 銀座

この数年、世界的な活躍により評価が高まっている、香港出身で現在台北在住の中国人アーティスト、李傑氏の世界を紹介する個展である。彼の作品は、布やダンボールに描いた絵画、家の中にある日用品、それらと映像の組み合わせなど、日常の一部を切り出してきたかのようなテイストを持っている。
しかし解説によると、彼の作品のベースには身の回りの社会や政治状況に対する批判があるという。だが、作品からはそういうメッセージ性は微塵も感じられない。メッセージを前面に押し出しすぎて単なるプロパガンダになってしまい、表現というめんがおろそかになっている作品が多い中、これは彼の作品に特徴的な点である。
彼の作品は極めて叙情的であり、心の中のモヤモヤとした情念をそのまま作品の中に込めている。もちろん、その「情念」が沸き起こる原因としては、社会的・政治的な要素があるのかもしれないが、そこに沸き起こる感情は、決して社会的・政治的メッセージではありえない。
こういってしまうと極めて当たり前のことのように聞こえるが、ここをきっちりと峻別して作品を創作したアーティストは少ない。社会性と作品性の調和という非常に困難な課題に対して、彼の作品はひとつの解を提示している。ここで完全に解答が出ているとは思わないが、少なくとも今までになかったような「解法」のサジェッションとなっていることは確かだろう。



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ライゾマティクス グラフィックデザインの死角
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

多方面で活躍するデジタルプロダクションであるライゾマティクスによる、グラフィックデザインに関する新たな視点からのプレゼンテーションである。田中一光氏、横尾忠則氏など、日本を代表する4人のグラフィックデザイナーの作品を、統計的に分析し、その作風を把握するとともに、「らしさ」の再構築を試みる実験的な演出である。
具体的には、ポスター印面の配色とレイアウトを一定の法則で定量化する手法を構築し、これを各氏の年代別の作品について適応、作者特有の色別利用頻度や配色の法則性、図柄やテキストのレイアウトのパターンを数値化することで、その人「らしいデザイン」を定量的に把握、それをもとに一番らしい配色とレイアウトを導き出すものである。
確かにグラフィックアートだろうと、音楽だろうと、文学だろうと、表現には「その人らしさ」がつきものである。音楽で言えば、作曲でも編曲でも演奏でも「自分っぽさ」というものは付きまとう。だからこそ、「ものマネ」ができたりするわけだし、他人の曲でも、「なんか自分の曲にしか聞こえないな」というものも出てくる。
そういう「らしさ」が歴然と存在する以上、それを定量的に把握することは可能だろうし、極めて面白い試みといえよう。特に表現者は、相手にフェイントを掛けるような感じで、時に敢えて「自分らしくない」作品を作ってしまうこともある。とはいえ、そういう作品でも、意識化に自分らしさが滲み出てしまうこともある。このアタりを、機械がどうとらえるかは、大いに興味のあるところだ。果たして、再構築された作品はいかなるものか。その評価は実際に見てのお楽しみとしておこう。



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「三井の文化と歴史」 -日本屈指の経営史料が語る 三井の350年
三井記念美術館 日本橋

三井文庫財団設立50周年、三井記念美術館開館10周年を記念する記念特別展として開催された、「三井の文化と歴史」展。前期展として「茶の湯の名品」が開催されたのに続き、後期展として開かれているのが「日本屈指の経営史料が語る 三井の350年」である。現在、三井文庫や三井記念美術館に代表されるように、三井には江戸時代から歴史や記録を重んずる伝統があり、それらを実物資料により展示する企画展である。
近世・近代を通じて、日本の歴史に大きな存在感を発揮し続けていた三井。その350年におよぶ事業の歴史は、その事業記録の多くが実物資料として三井文庫に残されているという点でも稀有な存在である。三井文庫の膨大な所蔵史料から選ばれた、ナマの経営史料に目を触れることができるというのも貴重な機会である。
実は、筆者の卒論は「江戸時代の商家にみる「企業化精神」と、その明治以降の経済発展への貢献」がテーマであった。当時はまだ江戸時代を古臭い封建時代と定義し、その残滓があった戦前より、民主的な戦後の方が正しく優れているという、「リベラル進歩史観」が全盛であった。しかし、昭和30年代、東京オリンピックまでは、庶民の生活は戦前と変わらないことを体験していた身としては、絶対江戸時代と近代は連続しているし、近代のタネは江戸時代に撒かれていたと直感していた。
そういう立場から見ると、これらの江戸時代商家の経営資料は極めて興味深い。日本的なシステムとの整合性はとりながら、当時の西欧の企業よりも近代的といえる経営システムを、いち早く編み出して先取的に取り入れていたからこそ、他の豪商が没落する中でも発展を繰り返して生き残り、今に続く伝統の歴史を築いていることがよく理解できる。経営史のみならず、歴史における近世の意味をもう一度考え直すきっかけとしても優れた展示である。




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