Gallery of the Week-Jul.15●

(2015/07/31)



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シネマブックの秘かな愉しみ
東京国立近代美術館フィルムセンター 京橋

世の中いろいろな展覧会があるが、およそその展示内容や形式にはいくつかのパターンがある。「本」を展示物とする展覧会というと、著名なアートディレクターの行なった装丁やエディトリアルデザインの個展や、本の形式をとったアート作品の展覧会など美術系のもの、歴史的な古書・古文書を展示する歴史・考古的なもの、レアな奇観本を集めた古書市的なものなどが典型的であろう。
しかし、通常図書館に収蔵している一般流通した書籍のみを展示物とする展覧会というのは、実にユニークである。一体どんなものなのか。そもそも展覧会として成り立つのか。そのコンセプトを聞いただけで、それがどういうものなのか、一度見たくなってしまった。こういう展覧会もあまりない。というわけで、会期末も近付いてきたので、会場に足を運んでみることにした。
映画は総合芸術といわれるだけに、作品を作るまでの裾野も広く、そこに関わる人々も、多様な分野、多様なプロフェッショナリティーに渡っている。かくいう私も、音楽では末席を汚していたりするし。さらに、作品そのものもエンタテイメントからドキュメントから、いろいろな方向性を持って作られている。一言で映画といっても、関わるヒトの数だけの「映画」観が百花繚乱ということになる。
そういう意味では、「映画の本」というくくりは、アってないようなもの。何でもありなのだ。その幅ガルからこそ、ああいうのもあれば、こういうのもある、というバラエティーを楽しむだけでも、意外と「見世物」にはなってしまう。オマケに、それぞれ語る人の思い込みが強い分野なだけに。本の想定や体裁もかなり思い込みが入って、多様なバラエティーに富んでいる。でも、映画の作品は作品自体が一番雄弁に語らなきゃね。まあ、映画は建築と並んで、いろいろ後付けで理屈を語るひとが多い領域なんだけど。



7/4w
吉田志穂展「INSTANCE」
ガーディアン・ガーデン 銀座

ガーディアン・ガーデンにおける個展は、「ひとつぼ展」時代からのグランプリ受賞者の特典として脈々と受け継がれている。今回は、第11回写真「1_WALL」グランプリ受賞者である吉田志穂氏の個展である。彼女の作品は、アナログとディジタル両方のプロセスを組み合わせて画像を加工し、元の「写真:とは違う何かを創り上げるところに特徴がある。
今回の作品も、受賞作品と同様それらのプロセスを繰り返すことで「創造」されたものである。というか、「作品」の画面からは、もはやそれがもともとどういう絵柄で、それにどういうプロセスの処理を行なって創り上げられたものかは、ほとんど想像することが不可能である。というより、リアリティーの痕跡を消すために、処理を行なっているというほうが正しいのだろう。
そういう意味では、これは旧来の「写真作品」を見てそこから何かを感じ取るというものではないのだろう。会場の中には、昔なつかしいコダックのカルーセルが設置され、そこから35mmポジ(いかつてのいわゆるスライド)が投影されている。動いているカルーセルを見たのは、ほとんど30年ぶりぐらいではないか。その時会場には他に誰もいない状態。
そんな中で黙々とカルーセルが動いているというのは、スチームパンクではないが、レトロテクノな作品である。多分、これなんだろう。そこで投影されている画像ではなく、淡々と動くカルーセルの存在自体が、ある種の作品である。確かにそこからは、強烈なイメージが伝わってくる。皿を見せるのが目的で、その皿を引き立たせるために、さらに料理が載っている。まさに、コロンブスの卵ではないか。



7/3w
エリック・サティとその時代展
Bunkamura 渋谷

このコーナーとしては、久々に有料の展覧会である。作曲家の回顧展というのもしばしば行われているが、これはそういった類のものとはちょっと違い、作曲家であるエリック・サティの名を冠した美術展である。サティに対しては、マン・レイが「眼を持った唯一の音楽家」と語ったことが知られているが、サティ当人ではなく、彼を中心とした世紀の変わり目のパリで新たな表現を生み出していったアーティストたちの足跡を見せる展覧会である。
19世紀末モンマルトルのキャバレー文化に、芝居の作曲者・演奏者としてどっぷり浸る中から、自由で刺激的な発想の作家や芸術家との交流が生まれた時代からスタートし、20世紀に入ってからの評価の高まり、そして晩年のジャン・コクトーやパブロ・ピカソとのコラボレーションによるバレエ・リュスの公演「パラード」などモダンアートへの接近を経て、ダダイストたちにも影響を与える。
まさにサティは、アートに限らず表現の意味や形態が大きく変化した世紀の変わり目を挟んで、その渦の真っただ中にいた。それは、美術でも音楽でもそうだが、貴族社会的なパトロンが芸術を支えた古典的な時代から、大衆社会化とともに、大衆自身のペイメントが芸術を支える時代へと変化する中で、大衆芸術が確立するとともに、それへのアンチテーゼとして、より純粋な表現形態を目指す現代アートが生まれてきた時代でもある。
そのような変動の中で、ウマく波に乗り新分野の第一人者となったアーティストもいれば、時代の変化についてゆけずイメージ的には「前世紀のアーティスト」となってしまった人もいる。そう、1866年生まれで、1925年に亡くなったサティは、曲から想定されるイメージから比べると、ずっと昔の人なのである。ずっと純粋な表現を求めぶれずにいたからこそ、最後に時代が追い付いてきたのだということが、あらためて実感できる。



7/2w
2015 ADC展
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座
クリエイションギャラリー G8 銀座

今年もまたADC賞の作品展示の季節がやってきた。この1年ちょっとは、直接マーコム作業の現場ではなかったが、広告関連のビジネスに携わる者としては、日々発表される広告作品には、それなりに注意や関心を払っているし、注目すべき作品は当然業務上の視点からチェックしている。とはいえ、それらはあくまでもリアルタイムで流れてゆくこと。なかなか一年間を振り返って、その年が広告やデザインにとってどういう年だったのかを、改めて確かめる機会は意外とない。
そういう意味でADC展は、その1年間がどういう年だったか、改めて振り返って考えるいいチャンスになっている。賞選考の対象期間は2014年5月から2015年4月までと、ほぼ2014年度。実感としては、消費税率アップの反動はあったものの、円安や石油安といった世界経済の動向、エベノミクスの名協などあり、意外にも好況感があった一年という印象である。
それを繁栄しているのだろうが、確かに例年になく「作り込み」というか、手間とコストを掛けて正攻法でじっくり制作した作品が目立つ。もちろん、この賞自体がハイエンド作品のコンテストという面を持っているので、全体の平均値ではないし、数からいえば「ローエンド」作品のシェアが高まっているコトも否定できない。しかし、そうではない作品も確実に多く制作された年であることは間違いない。
それはまた、制作プロセスのディジタル化が行き着くところまで行き、ディジタルというだけでの目眩ませや猫騙しが利かなくなったこととも繋がっている。ここ数年の原点回帰というか、やはり徹底したクラフトへのこだわりは、保守本流というか、「わかる人にはわかる」究極の差別化ということが再認識されたことと、「景気浮上」で質的な違いにお金を出す人が現れてきたことの両者がマッチングしたことによるのであろう。このプロセス自体は非可逆的だが、このトレンドが今後も続くのかどうか。それは広告デザイン業界の問題ではなく、経済動向の問題なのだが。



7/1w
中島あかね展「レジャー」
ガーディアン・ガーデン 銀座

第11回グラフィック「1_WALL」でグランプリを受賞した中島あかね氏が、その賞品として得た開催権により開催する初の個展である。彼女の受賞作は、鉛筆で描いたシンプルな線をスキャニングしてデータ化し、写真加工・編集ソフトで色を加えることで制作するという独自なプロセスを経て制作される抽象画である。今回の個展の出品作も、受賞時の作品に、同様の手法で制作された新作を加えて構成されている。
絵画・彫刻といったアート分野に限らず、音楽であっても、文章であっても、およそ表現者であれば、その表現欲求の一番根っこの部分は、なんとも形容がしがたいが、ある意味「天から降ってくる」感じでインスピレーションが湧いてきて始まる、というイメージはご理解いただけると思う。この原初的な「降ってきたモノ」は、人によって微妙にカタチが違うのだが、即作品化できるものでないことは共通している。
自分はそれを感じ取ることができるのだが、それを他人が理解してもらえるものとするためには、記号化というか形象化というか、一連のプロセスによって他人から把握可能なものに「纏め上げて」ゆくことが必要になる。これが、作品化である。しかし、このプロセスは前頭葉というか理性が関わる行為なので、最初のイマジネーションの全てを残さず漏らさず表現に盛り込むことは難しい。言語化のような理性的処理では切り捨てられてしまう部分が、どうしてもつきまとう。
そのプロセスを一番端折って短縮したのが「抽象画」であるが、それとて既存の画材を使うことで、既存の絵の文法から全く自由とは言えない。中島氏の作品は、画材としてディジタルを使うことで、ここをもっと短縮してしまった。まさに、ケの存在となったディジタル技術を、手段として使い切った手法ということができる。よりイマジネーションに近いものをそのままカタチにするという意味では、絵画形式に限らず、あらゆる表現について示唆を与えてくれる作品ということができよう。




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