Gallery of this month-2019●

(2019/012/15)



18/01

田沼武能写真展 東京わが残像 1948-1964
世田谷美術館 用賀


終戦直後から写真家としての活動を開始し、戦後の日本写真界をリードし第一線で活躍し続けてきた田沼武能氏。今年2019年が生誕90年・写真家生活70年という節目になることから、それを記念して開催される展覧会である。田沼氏の長い現役写真家生活の中から、若さとバイタリティーを活かして最も華々しい活躍をしていた、昭和20年代と30年代にホームグラウンドといえる東京の下町で撮影した写真により構成されている。

写真学校を卒業後、名取洋之助氏のサン・ニュース・フォトス社に入り、木村伊兵衛の助手として写真活動を始めた田沼氏にとっては、自分の故郷でもある東京の下町の生活や人々をライカを使って写真に撮るのは、いわばライフワークのようなもの。そして明治いや江戸時代以来の江戸の生活が残っていたのも、前の東京オリンピックが行われる以前の昭和30年代までである。まさに写真に撮っておくべきものが残っていた時代といえよう。

同じく田沼氏の得意なテーマである「世界の子ども」や「文化人の肖像」に関する個展はこれまでも開催されたことがあるが、「東京下町」をテーマにした大規模な展覧会は実はこれが初めてだという。「昭和」が歴史上の存在になり、2020オリンピック・パラリンピックでレトロブームが起こっている今にふさわしい写真展になったということができる。

全体は4部から構成されている。「第1章 子どもは時代の鏡」は、田沼氏の得意技である「子供」×「下町」という黄金のタッグから生まれた作品である。主として昭和20年代の生活苦の時代、どちらかというと貧しい人々が多かった城東地区で、それでも子供たちが元気に育っていた姿をレンズが捉えている。子供たちの表情のみならず、彼等・彼女等が生活したいた街の雰囲気も含めてフィルムに残っているのが楽しい。

「第2章 下町百景」は、今度は江戸時代から続く情緒と人情があふれる下町の生活を、そこで暮らしている人々の表情を通して捉えた作品である。こちらは一層当時の生活環境が良く捉えられており、いつも言っているように「写真に写ってしまった記録」の重要性を改めて印象付けられる。戦時中も西太平洋の制海権が奪われて空襲が始まった昭和19年からはモノ不足で生活が苦しくなったが、それまでは軍需景気でそれなりに経済は廻っていた。

本当に生活が苦しくなったのは、経済活動が壊滅した戦後の混乱期である。その時期、人々はどう頑張って暮らしていたのかは、なぜか語られない。そこから脱するのは「もはや戦後(の経済混乱期)ではない」と経済白書に書かれた昭和31年を待つ必要があったこの時期のドキュメントとしても、それぞれの写真の語るものは大きい。変に社会的バイアスがかかっていない「明るい」表現なだけに、逆にリアリティーがあふれている。

「第3章 忘れ得ぬ街の貌」は、今度は古くからの東京ではなく、東京タワーが建ち、オリンピックに向かってどんどん変貌していく東京の姿を、時代の変化という客観的な視点から捉えた作品が並ぶ。古いものへのノスタルジアもあったものの、どんどん新しいものが生まれ、世界的なレベルに進化している様子を楽しんでいた当時の人々の視線をリアルタイムで記録している点が、今の視点でレトロを語るのとどう違うかが良くわかるのも、その時代(子供とはいえ)生きていた身としては懐かしい。

最後に「特別展示 世田谷の文化人」と題して、「新潮」「芸術新潮」のカメラマンとして撮影した文学者や芸術家のポートレートの中から、世田谷区に在住し世田谷に縁があった人たちの姿を展示している。作品を知っていると、ポートレートの表情の中からその作風が伝わってくるような感じで、田沼氏の人物撮りの上手さがひしひしと伝わってくる。

天気のすぐれない平日の昼に世田谷美術館に行ったのだが、中高年・シニア層を中心にそこそこの客が入っていた。どちらかというと写真ファンというよりは、昭和20〜30年代に子供時代をすごした高年齢層が、昭和の子供の生活のノスタルジーに浸りに来ている感じではあった。しかし、それぞれの写真が語るものが多いだけに、そういうお客さんもいろいろ思い出すことが多いのではないだろうか。









ミュージアムコレクションV
アフリカ現代美術コレクションのすべて


世田谷美術館2階のギャラリーで同時開催されていた展示会は、館蔵コレクションによるアフリカ現代美術の展示である。世田谷美術館は、1989年にガーナのアーティストであるサカ・アクエ氏の個展を日本で始めて開催して以来、アフリカの現代美術の紹介には特に力を入れている。同時に代表的なアーティストの作品収集にも力をいれており、日本でも有数のアフリカ現代美術コレクションを所蔵している。

今回の展覧会は、それらの館蔵アフリカ現代美術作品を一同に展示することで、現代のアフリカ美術のフロンティアを紹介するものである。館蔵の作品から、サカ・アクエ、アナパ、ソカリ・ダグラス・キャンプ、ムスタファ・ディメ、エル・アナツイ、アブラデ・グローヴァー、アブドゥライ・コナテ、イッサ・サンブ、パスカル・マルチーヌ・タユの9人の作品を紹介している。

これらのアーティストは、皆欧米で芸術の高等教育を受けたエリートだし、現地の美術教育自体もかつて植民地に宗主国だったイギリスやフランスの手法に大きく影響を受けている。そういう意味では、欧米の現代美術の影響がないということはできないのだが、極めて独自性を感じさせる表現手法を頑なにキープしている点は非常に興味を引かれる。まさにこの「民族の心」こそが、植民地支配を脱して独立をもたらしたエネルギー源であり、表現においてもそれは同様の存在であることを力強く感じる。










18/01

フェルメール展
上野の森美術館 上野


産経新聞創刊85周年・フジテレビ開局60周年記念事業ということで、フジ・サンケイの総力で盛り上げている感のあるフェルメール展。いろいろ思うところはあるものの、せっかくまとまってやってくるのだから、ここはやはり見ておくべきだろう。入場時間予約による前売制という珍しいシステムで、当初は連日満員御礼という感じであったが、ここにきて販売状況も入場状況もこなれてきたので、ちょうど仕事で都心に出て、若干時間があまりそうなタイミングで予約を入れておいた。

上野の森美術館が目的地ならば、上野駅も不忍口から出ればすぐである。一般の美術館・博物館はJRの公園口が絶対的に便利だが、メトロの上野駅からも近いというのは楽である。メトロ沿線から行くときには、新橋とか東京とか、比較的乗換が楽な駅で山手線に乗り換えてゆくことも多いだけに、これは助かる。それにしても、むかし「聚楽」と映画館があった、上野の山の端っコの妖しいエリアも、すっかり立て直されてしまい、なんだか上野っぽくない。上野・浅草エリアは、淫猥でないとねえ。

それはさておき、美術館の入り口に向かう。すでに前売りで売り切れる状態ではなくなっているようで、当日券を発売している。流石に当日券の窓口にはそこそこ行列が出来ているが、前売券を持っている人は行列なしでフリーパス状態。これなら中はぎゅうぎゅう詰めということはなさそうだ。場内はちょっと不思議なレイアウトで、通常の出入口は出口専用ゲートとして使用し、脇の事務棟の入り口をエントランスとして使用した動線となっている。

観客にはベタ付けで解説用の受信機とイヤホンを配るというやり方も、ちょっと珍しい。珍しいと言えば、絵に付けられたキャプションは画名と作者だけで、通常付けられている所蔵美術館をはじめとする細かい情報は、これまたベタ付けで配られるミニ解説書に掲載されていて、そっちを見てくれというやり方。そういうのを気にしない一般のお客さんにはいいかもしれないが、そういうものというのを前提にしている美術ファンにはちょっと違和感があるやりかたではあった。

一応こっちはイベントの仕事もやっていたので、美術展ではなく大量動員する大型イベントの運営という意味では、お客さんの流れを一定ペースに誘導することができるので、これはこれで意味があることはわかる。各時間帯の配券数も含めて、解説が流れる時間のペースで客を流してゆけば一定以上の混雑にはならないことを狙っているわけで、運営側としては相当な来場数を想定していたことが伺われる。

平日の昼間だったこともあり、確かに中はそこそこ混んではいたものの、それなりに流れていて、それなりにちゃんと余裕を持って見られた。会場は大きく分けて、通常だと出口側に位置づけられるギャラリーを使用したフェルメールと同時代の17世紀オランダ美術の代表作の紹介と、現存する35点のフェルメールの作品の中から9点を集めたフェルメール作品の展示とに分かれている。br>
17世紀オランダ美術の展示は5部に分かれており、第1章は肖像画を集めた「オランダ人との出会い」、第2章は宗教画を集めた「遠い昔の物語」、第3章は風景画を集めた「戸外の画家たち」、第4章は静物画を集めた「命なきものの美」、第5章は風俗画を集めた「日々の生活」という構成になっている。コンパクトではあるものの、この時代のオランダ美術の特異性は充分に伝わってくる。

他の多くのヨーロッパ諸国の美術が宮廷や貴族がパトロンとなって支えられて発展したのに対し、そのような伝統とは違う文脈で経済が成長したオランダでは、富裕な市民層を中心的な支持者として発達した美術シーンが発達した。それは静物画や風俗画が好まれたことにも表れているし、肖像画や風俗画に登場する人々の肩書や生活の様子にも見て取れる。

一方フェルメール・ルームは今回日本で公開される9点の作品を、一気にまとめて展示するという、何とも贅沢な空間である。こういう展示の仕方にはいろいろ意見もあると思うが、こう並べてみることで発見されることがあることも確かである。もちろん、フェルメール的な世界の凄さは充分伝わってくる。とにかくダイナミックレンジが広いのだ。他の油絵の画家が12ビットぐらいの分解能で描いているのに対し、32ビットぐらいありそうである。

とんでもない目と、それを確実に色調で表現できるワザを持っていたことには改めて驚かされる。しかし問題もある。構図や絵の着想がワンパターンなのだ。多分それが好きだし、一番表現欲を掻き立てられたことは確かなのだろうが、並べてしまうとなんかネタバレしてしまう。これはある意味、ホンモノを並べたからこそはっきりわかったことである。

それはそれで別に問題があるわけではない。料理の写真を撮らせると、シズル感に溢れるいかにもおいしそうなカットに仕上げる、料理専門のブツ撮り写真家がいるが、彼にポートレートを撮らせると結構ふつうになってしまったりする。テクニックの問題ではなく、それ以上の発想の問題なのだ。そういう意味では、作品が少ないのも、自分のワザが映える作品しか描かなかったということがあるのかもしれない。

いつもは展覧会のフライヤーの画像をアップロードしているのだが、この展覧会は何とフライヤーがない。何もないのも寂しいので、件のベタ付けで配っているキャプション・解説入りのガイドブックの画像を上げておく。














(c)2019 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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