Gallery of the Week-Sep.99

(1999/09/24)



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役行者と修験道の世界
東武美術館 池袋
聖徳太子や弘法大師が、日本の仏教史における表のスーパースターとするならば、裏世界の偉人のナンバーワンは、役行者こと役小角か。来年が、その役行者の没後1300年とされることから、山林修業者の伝統を受け継ぐ修験道に関わる銘品を集めた展覧会。修験道自体は、オフィシャルな仏教史に比べると今一つ詳しくないので、かえって新鮮な目で見られた。山岳信仰としての修験道が盛んになったのは平安時代以降のことだが、表の信仰と裏の信仰がクロスするのも、やはり平安時代に確立した密教ということになる。
もともと密教は、インドの民間信仰を集大成したヒンズー教の神や教典を、仏教の狭義の中に取り入れ、より広い信仰を集め大衆的な宗教とするべく生みだされたものだ。それだけに、どろどろとした割りきれない現世のいろいろなしがらみを、そのまま清濁併せ飲む形で宗教の中に取り込み、まとめて救ってしまおうといういかにも面倒見のいいところがある。それだけに中国にくれば、中国ネイティブの土俗信仰の集大成たる道教の要素を大々的に取り込んで、大いに開花した。
そう考えれば、密教が日本にきていわゆる神道的要素というか、そこそこの山や森におわす八百万の神を取り込んでも決しておかしくはない。実際そういう原始的な土俗信仰が、まがりなりにも宗教的儀礼の形を持つ神道的な体系となった裏には、道教の考えかたが大きいのもまた有名な事実。もしかすると、もともとそういうオドロオドロしさに惹かれていた宗教者たちほど、密教の本質を見抜き、それをこの地へ伝えたのかもしれない。
でも良く考えてみると、修験道っていうのはどっちかというと小乗的なんだよね。自分が修行の中から、自分の悟りを開くワケだから。タイで国民が一度は体験するという仏法修行みたいに。それが、めぐりめぐって宗教の大衆化と一体化してしまうというのも面白いといえば面白い。でも、四国霊場めぐりでも弘法大師が一緒に回ってくれるっていうし。それなりにネイティブな自然信仰の形態なんだろうね。
そういう意味では、蔵王権現はカレーライス、いやカレーそばだろう。インドに生まれたカレーが、めぐりめぐって日本の国民食たるカレーライスになる。そしてそれだけでは飽き足らず、そば屋の定番メニューとなるに至って、あん掛けカレーと化して、麺類の上にまで鎮座する。明王の顔をした、純和製の仏神を見ていると、何でもありを許してくれる自分に都合のいい文化だけを、世界中から切り貼りして取り入れてきた、この島に住む人達のご都合主義がストレートに伝わってきてかえって心地いい。


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Chairs [チェアーズ]
西武ギャラリー 池袋
今はなきセゾン美術館の二階部分を利用して開設された「西武ギャラリー」で行われた、量産型の椅子に見る、19世紀から20世紀の工業デザインの系譜展。椅子の研究家として知られる、北海道東海大学教授の織田憲嗣氏のコレクションから、歴史に残る代表的作品をより抜いての展示。元セゾン美術館の一階部分は、北欧家具専門ショップのイルムスとなっただけに、それにあわせた企画で、現在も生産されている一部のモデルは、そちらの方で即売も行われていた。
西武ギャラリーは、セゾン美術館の二階の第二室以降の部分を展示室として利用している。建物もイルムス館と名が変わったように、ちょうどかつての出口が入口になっている。空間自体は意外に昔の雰囲気が残っている。が、セゾンカードでなく、クラブオンカードで割り引きというのが、時代の流れを感じさせる。
デザインの流れ的に見れば、近代工業デザインと大量生産という課題に、天才的なデザイナーがどう対応し答を出していったかを振り返ることになる。バウハウス、コルビジェ、デ・スティル、アールトなど、セゾン美術館で特集展が行われたモダニズムのビッグネーム達の作品が並んでいるのが、なぜか郷愁をそそる。
それにしても、近代の歴史って長かったようでも、こうやって振り返ってみるとたいしたもんじゃないなというのが、素直な実感。その初期で近代の枠組みって結局できちゃってたし、それを近代そのものの方法論というか、強みであった大量生産と大量消費という手法でコストダウンし、普及させただけということなのだろう。それだけにある種の空虚さがストレートに伝わってきて感じる所は多い。やっぱり世紀末なんだな。


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GRAPHIC WAVE 1999 鈴木守・松下計・米村浩
Ginza Graphic Gallery 銀座
グラフィックデザインって、ある種広告と共に歩んできた、というか広告のコアの部分そのものだよね。だからぼくら広告屋にとっては、本来の目的であるそこに表現されてたメッセージを越えて、作り手の生きざまや息吹まで伝わってきてしまう。そこが面白いし、いろいろ考えさせられるところでもある。
でも因果なもんなんだよね。この「裏のメッセージ」って、表のメッセージの制約がキツければキツいほど、くっきりとでてくる。その一方で、全て自由に作品作りをできる環境になると、なんか煮え切らなくつまらないメッセージになってしまう。確かにシュアなテクニックはわかるけど、メッセージという面ではやっぱりファインアートに負けてしまうし、場合によってはコミックスにも負けてしまう。
なんともわびしい話だけど、これ事実は事実。それが個性の違うということなんでしょうね。音楽でも、他人が作ってアレンジした曲でフィーチャーされてソロ取るとスゴいいいプレイするけど、自分のリーダアルバムはどうやってもつまらないってタイプのヒトはいるわけだし。
こういうのは生まれながらの性格かもしれない。制約のある枠内でこそ、個性が発揮されるタイプというか。考えてみりゃぼくもそうだよね。音楽にしても、文章にしても。何でもリソース使い放題って状態だと、アイディアが萎んじゃう。ジェンダーぶりぶりな、濃厚な色気のある女性の前だと、へなへなヤる気がうせるのと似てるかもしれない。なんか見てて、自分自身の強み弱みを見てるような感じで、ちと恥ずかしいなあ。


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工芸オブジェの系譜
東京国立近代美術館工芸館 竹橋
本館が改装工事のため、工芸館のみでの片肺営業になっている、国立近代美術館。その工芸館で開かれている、館蔵作品を中心とした、工芸オブジェの作品展。昭和初期のアールデコ的な「置物」から、最近の作品のための作品まで、工芸館の2/3程を使って展示されている。しかし近代美術館工芸館は、なんといっても8月の陽射しの厳しい日に限る。ほとんど「日本のいちばん長い日」だ。建物に刻み込まれた、近衛師団の記憶がにじみ出る。
戦前の作品はさておき、作品の多くは、工芸だ、芸術だと区別することが意味がない。作品が作品として完結し、そこで多くを語っているからだ。特に焼き物や金属を使った作品は、まさにオブジェであって、工芸家が作ったからといってことさら区別が必要なものではない。そもそも工芸オブジェというコトバ自体、ぼくらにとっては奇異に感じられる。
特に大型の立体作品が、純粋芸術(笑)といえどもアーティストと職人のコラボレーションで制作されるようになった80年代以降の作品は、「作家の作品」以外のなにものでもないだろう。作家のイメージが強く刻み込まれているかどうかという問題はあるが、それはファインアートだって同じではないか。
工芸だ、ファインアートだという区別ができたこと自体、まだ「近代美術」の時代であり、「現代美術」の枠組みができていない証拠だ。いまとなっては意味がない。もっと未分化の時代、デザインと工芸との区分も曖昧だった時代の「カタチの追及のプロセス」をもっと見たかった気もする。まあ、近代美術館であって、現代美術館でないというエクスキューズも出そうだが。



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