南の庫から 筑豊本線の沿線で(その1) -1970年8月1日-


すっかりシリーズ化してしまった、「南の庫から」。基本的には、蒸気機関車が活躍していた時代の、九州の機関区風景を中心にしたカットで構成していますが、早くもちょっぴり拡大解釈したくなりました。というのも、この頃の筑豊地区は、各炭鉱への枝線が縦横無尽に走っており、その基点終点の駅には、小さいながらもターンテーブルと給炭台、給水塔などを備えた駐泊所がつきものでした。ネガを漁っていると、けっこうそういう駅に佇む機関車の写真も出てきます。ということで、今回は筑豊本線の沿線のそんな駅でとらえた、蒸気機関車の写真をお届けします。



さて、最初は筑豊本線の南の終点である、鹿児島本線原田駅の駐泊所。ここは、駅のホームからバッチリ撮影ができる位置関係にあり、実は「撮影名所」のひとつでした。ターンテーブル上のC55を撮影した、広田さんの名作は、SLブームをリアルタイムで経験した方なら、きっと脳裏に焼き付けられた写真だと思います。時は、1970年8月1日。はじめての蒸気撮影旅行の2日目は、筑豊本線。熊本側から入って、午前は冷水峠、午後は中間-筑前垣生間の複々線区間という計画で、原田駅に降り立ちました。そこにいたのは、若松区に残った、最後のD50形式の一輌。D50205号機。ぼくにとっては、鉄道趣味を意識するようになってから、D50形式との最初の出会いです。


給水が終わって、件のターンテーブル上でゆっくりと上り方向へ向きを変えるD50205号機。パイプ煙突に換装されている以外は、前照灯がLP42なのをはじめ、けっこうオリジナルの風情を残した機関車であることに、改めて気付きました。D50・D60形式のパイプ煙突は、賛否両論あるところですが、アメリカンスタイルのキャブなど、9600形式やC51形式より一歩近代的なデザインを取り入れている分、ちょっとC53の面影を連想させるところもあって、これはこれで個人的にはけっこう好きです。


この時、ホームで発車を待っていたのは、C5551号機の牽引する普通列車。これまた、C55形式との最初の出会いです。というか、単に「汽車」としか認識できない子供の頃はさておき、鉄道が趣味になってからは、東京周辺の蒸気機関車しか、見たり撮影したりするチャンスはありませんでした。従って、九州や北海道にしかいない機関車は、ホンモノを見ること自体がはじめての体験となります。そういう意味では、D50やC55など、スポーク動輪の蒸気との出会いは、今思い出しても感動的でした。


さて、これは冷水峠での撮影を終わって、筑前垣生への移動の途中。先程峠で撮影した、D50205号機の牽引する貨物列車を、ぼくの乗った列車が追い抜きます。線路配置の具合からすると、ここは桂川駅でしょうか。筑豊「本線」とはいえ、この区間は乙線規格。40kgレールと、間隔の開いた枕木、そして土に埋もれたまばらなバラストが、昭和40年代の亜幹線の風情を醸しだしています。ぼくの場合、この感じがレイアウトづくりの原点なんだよね。12mmやるヒトが、ある世代に偏っているというのも、なんか納得してしまいますね。


さて最後は、夕闇迫る筑前山家駅に進入するC5519号機。九州のC55は門デフ装備機が非常に多く、なんと26輌に及びますが、最後に残った1次型は、10号機、19号機と、なぜか標準デフ装備のカマばかりでした。逆に、門デフでないほうか希少という、不思議な世界です。筑前山家には、農協の側線があり、そこに出入りするホキ2200が留置されています。その隣には、保線バラスト用のホキ700。形式こそホキですが、全く形も用途も違う両者がならんでいます。実はこの写真は、1971年4月2日の撮影。駅員さんも、おもむろに敬礼。これからの峠越えに備えてか、停車前にもかかわらず、投炭を開始しているのが興味をひきます。



(c)2008 FUJII Yoshihiko


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