ある日の原田駅 -1970年8月1日拾遺-


1970年8月1日ネタだ引っ張りも、前回の4回目で尽きたかと思いきや、その前の朝の原田駅で撮影したカットにはまだ未発表のものがあるではないの。この日原田の駐泊所で撮影した比較的マトモな主要カットは、南の庫から 筑豊本線の沿線で(その1) -1970年8月1日-で公開していますが、はじめて見たD50型式とC55型式のスポーク動輪に魅せられたのか、焦って撮った稚拙なカットは結構たくさん残っていました。所詮は14歳の少年なので、今さら公開するのも恥ずかしい限りではありますが、これも貴重な記録。「旅の恥はかき捨て(違う!)」ということで、恥を忍んでお届けします。


さて、まずはD50205号機の連続カットから。石炭を補給した上で給水し、ターンテーブルで向きを転向するまでを、順を追ってお見せしましょう。まず最初は「南の庫から 筑豊本線の沿線で(その1) -1970年8月1日-」で取り上げたカットの一つ前のコマ。厳密にはこの時点では原田での石炭補給はなく、テンダの石炭を盛りなおして給炭しやすくしたうえで、水はタップリ補給する作業をこなしています。地上作業員のオッサンは、一人でこの作業をこなしているようです。テンダはこの番号では正規の12-17型。しかし、増炭板(正確には炭寄板)のおかげで、山盛りに積んでも6〜7tが限度でしょうか。


そのまま停車中の同機を、ほぼ真横から捉えます。ガキとはいえ、模型資料になるように記録写真を撮ろうという意欲だけはひしひし伝わってきます。C・Dがつく前の制式機は、1輌ごとにパイピングの取り回しや補機類の取付が違いますから、その様子がわかる記録は、やはり貴重です。しかし、先輪はプレート輪芯なんですね。D60型式だと改造時に先台車も交換していますので、プレート輪芯になっている機番も結構ありますが、D50では比較的珍しいかもしれません。205号機も先台車の交換改造をしているのでしょうか。パイプ煙突、LP42前照灯、スチームドームの周辺は、そこはかとなくC53型式のイメージがありますね。


筑豊本線用のホームには、若松機関区のC5551号機の牽引する上り旅客列車がスタンバイしています。D50とC55の両方を入れて撮りたかったのでしょうが、ちょっと位置関係が悪かったようで、画面ギリギリで、両端に両機がチラリと写っているカットになってしまいました。しかしその分、筑豊本線原田駅の構内の様子がバッチリ写っています。給炭台からターンテーブルに繋がる線があり、その手前に留置線が一本。あとはホームとその機廻し線という構造です。ターンテーブルの向こう側の引き上げ線と留置線との間に、大きな水タンクとトランスの載った電柱が立っています。これならそのまま終着駅のセクションにできそうです。ジオラマに作りたいなあ。


折り返しのための準備が終了し、いよいよタンテーブルでの転回に向かって、しずしずと動き出しました。まず、石炭と水を整備してから、方向の転回するんですよ。こういうところは、リアルタイムで見ていた人は良くわかっていますが、なかなか資料や記録からだけではわかりにくいものである。ターンテーブルの前で、一時停止。ここからスローでターンテーブルに乗ってゆきます。ターンテーブルの運転室の作りや、ターンテーブルを動かすメカの構造も、結構よくわかります。カブっちゃってますが、このカットは「ターンテーブルの運転室がメインの被写体」ということでよろしくお願いします。この写真から模型作れますね。


ターンテーブルで転回中のカットも、「南の庫から 筑豊本線の沿線で(その1) -1970年8月1日-」で取り上げていますが、これはその次のカット。ちょっと見返り気味ですが、一応公式側のディテール参考用の写真というつもりなのでしょう。ぼくは走行シーンで見えないからと、そこまで厳密に作らないので鷹揚なのですが、コダわるクラフツマンの方は、キャブの後妻をきちんと作りたいので、そこが写っている見返りショットがぜひ欲しいと思っておられるようなので、そういう意味ではいい記録かもしれません。確かにパイピングでも、斜め後ろから見た写真が欲しくなることはありますね。

準備万端整って、上り方向を向いて給炭台のところに佇むD50205号機。給炭台の向こうには、詰所が見えます。ジオラマだったらここまで作らないと。実はこのカット、露出を間違えて超露出オーバーになり、真っ黒くて40年以上何が写っているのかわからないコマだったのです。しかし、デジタルの力はスゴい。強引にスキャンしてみたら、粒子の荒れはどうしようもないのですが、けっこう味のある写真が写っているじゃないですか。かなり茫洋としていますが、模型、それもジオラマ系の資料としては充分です。ターンテーブルは、さらに半回転してまた運転室が手前に来ています。直方よりにあるのが定位なんですね。こういうのも記録として重要です。


再び、これから乗車するC5551号機の牽引する上り旅客列車がメインの被写体のカット。これも、もっとアップのカットを「南の庫から 筑豊本線の沿線で(その1) -1970年8月1日-」で取り上げています。多分、これは鹿児島本線の方も入れた原田駅の雰囲気を撮りたかったのだと思います。鹿児島本線の方のメジャー感に比して、同じホームの裏表とはいえ筑豊本線のマイナー感。今はもっと落差が開いていますが、当時すでにこのぐらい差があったのです。この落差があるがゆえに、筑豊本線側だけジオラマにして、ホームは1面1線で直接駅本屋がホームに繋がる構造にすることが可能ですね。ここまで言ったら作らにゃアカンか。


ということで、晴れて車上の人となり、出発進行!C5551号機のドラフトを楽しみながら、筑前山家駅に向かいます。この時は前にも書いたように「乗り」も重要なテーマだったので、1号車の先頭のボックスに陣取って、目前の機関車の迫力を満喫します。もちろん、小さい頃には蒸気牽引列車には乗ったことがありますが、鉄道ファンになってからは中学生が行ける関東エリアでは、貨物列車こそまだあったものの、旅客列車はなくなっていました。それだけに「蒸気機関車の牽引する列車に乗る」ことは、撮影すること同様、少年の夢だったのです。まあ、一年もしないうちに「一本いい場所で撮れなくなるのはもったいない」と思うようになったのですが。これで、前回に続きます。



(c)2017 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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