線路端で見かけた変なモノ その2 -1972年7月-


先月からはじめた新シリーズ、「線路端で見かけた変なモノ」。今月は、さっそくその第二弾です。第一弾が九州だったので、第二弾は安易に北海道。最初に北海道に撮影に行った、1972年7月に撮影したものです。まあ、前回はあまりにぶっ飛びすぎて、車輛がほとんど出てこないなど、どん引きさせたキライもありますので、今月は鉄道写真らしさも残したカットを、もうちょっと増やしてみました。まあ、模型のジオラマ作りの参考になりそうな記録とでもいえましょうか。「変なもの」ではなくなっちゃったかもしれませんが。



まず最初は、千歳駅の駐泊所に佇む、苗穂機関区のC5738号機。前に「北の庫から」第一回目の最初のカットに使った写真の別テイク。その時にも書いたけど、この一連の写真が、北海道でのファーストショットです。苗穂機関区は、他区からの出入りは多いものの、所属機はけっこうマイナーな運用というか、千歳線の補機運用が多く、なんでC57が配属されているの?という感じでした。そんなに個性的な景色も施設もないのですが、こうやって見ると、松川さんのジオラマというか、やっぱり北海道ですね。38号機は、もともと関東にいたカマで、北海道に転属になったのは1960年代になってから。そういうことで、開放キャブのまま、踏段改造も扇型手すりもないなど、LP405の副灯も含めて、けっこう関東や東北っぽい印象です。


夕日に映えるモーターカー。一部の皆さんには大好評のモーターカーですが、さすがに北海道では「密閉キャブ仕様」ですね。グリルの上には、メーカーズエンブレムが燦然と輝いています。ぼくはよくわからないのですが、詳しい方ならこれで製造メーカーがわかるでしょう。多分、北海道の地場の産業機械メーカーではないかと思います。朝顔形かプラーがついているところが、ナロームードを盛り上げます。「キハ22」の回に登場した、沼ノ端駅での車上からのすれちがい風景のワンカット前のコマですので、場所は沼ノ端駅です。その脇でたたずんでいる方は、制服や制帽からすると、駅の職員のようです。後ろの建物の、ヴィンテージペプシロゴの琺瑯看板が泣かせます。


苫小牧操車場の、信号所の塔屋から撮影したカット。下り線を走るのは、札幌貨物ターミナル行き急貨を牽く、鷲別機関区のD511052号機。現在では、キリンビールの千歳ビール園に保存されている機番です。苫小牧操車場の入換機は、苫小牧支区のDD1389号機。苫小牧支区には、当時初期型4台後期型2台の6台のDD13が配属され、苫小牧駅と苫小牧操車場の入換に従事していました。給水台のところにチラッと見えるD51は、別のコマから判断すると、鷲別機関区のD51629号機です。マツダファミリアの前で、職員が球技に興じていますが、どう見ても軟式テニスボールを、卓球用ラケットで打っているようにしか見えません。こういうのが、北海道では流行っていたのでしょうか。


次は、旭川機関区のD51738号機。というより、大型炭槽からの給炭の様子を撮影したカットです。ホイストと大型炭槽の組合せは、大迫力で魅力的なのですが、模型ではとても再現できません。コレだけで、畳1枚分以上のスペースを占有してしまいます。おまけに、こういう施設がある機関区は、大型の扇形庫を備えていますので、機関区全体となると、もはや一般家屋の部屋には収まりません。とはいえ、マニアうけする施設の一つで、ファンも多いですね。よく見ると、石炭の積み込みは、直接係員がホッパーの出口を開閉して行なっています。それも、一輌に対し二人の要員がついています。ほんとに蒸気機関車を動かす作業は、人海戦術だったんですね。738号機は旭川が長いカマですが、この年の11月には廃車になってしまいます。


続けて旭川機関区の情景ですが、今度は雨にけむるラウンドハウス廻り。クラの中には、旭川機関区のDD531号機の姿が見えます。短い側線には、DE15用でしょうか、モスボール状態のラッセルヘッドも見えます。まあ、夏ですから、どちらも手持ち無沙汰という感じですね。左に見える壁面までラウンドハウスが続いていますので、その広がりは180゜以上。さすがに大規模な幹線機関区の面影を残しています。そのわりに、けっこう線路はヘロヘロですね。まばらなバラストや、年月を越えて風雪に耐えた建物のやつれかたも含めて、北の辺境という風情が伝わってきます。


DD53が出てきたなら、ということで今度はDD14も出してしまいましょう。自区のラウンドハウス前での、苗穂機関区のDD14314号機。こうやって見ると、ロータリーヘッドのないDD14って、モーターカーの親分みたいな、けっこうコミカルな顔立ちですね。旋回窓と大きなLP403が、ひょうきんさを際立たせています。よく見ると、片側の尾灯が点灯していますので、留置ではなく、入換作業の途中のようですね。クラの中にはC57がいますし、右端にはC58がチラリと見えています。でも、やはり見所は地面でしょうか。線路規格も低いですし。苗穂にしてこれなんですから、当時の北海道の状況というのもわかろうというものです。


さて、最後はこれです。青函連絡船。これ、鉄道なの、なんてのはいいっこなし。ちゃんと、JNRマークが燦然と輝いています。場所は、函館港の防波堤を越えたあたりでしょうか。奥が、フェリーターミナルから七重浜という感じです。函館山の山頂から、港を眺望したシーンで、ちょうど夕方なので、西日に船体が輝いています。航送専用船が函館を出港したのと入れ替わりに、旅客船が入港しようとしています。連絡船マニアならば、色の組合せの具合から船名がわかるのでしょうが、ぼくはちょっとそこまでは…。どなたかお分かりになった方がいらっしゃったら、教えてください。ちなみにこのカット、持っていったズームレンズの望遠側210mmに2倍のテレコンバータをかけた、420mm相当で撮影しています。若気の至りでも、手持ち撮影はこのあたりが限界でしょうかねえ。



(c)2012 FUJII Yoshihiko


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