線路端で見かけた変なモノ その4 -1/1のジオラマII 1971年12月-


新シリーズ「線路端で見かけた変なモノ」も、4回目ですよ。ということで、今月も「1/1のジオラマ」の続き。というより、二ヶ月連続でこの線で行こうと考えていたことも事実。基本的に、ドラゴンボールとかキン肉マンとか、昔の「少年ジャンプ」の長期連載マンガと同じで、続けているうちに最初のコンセプトはどこへやら、ノリとウケでどんどんテーマがエスカレートしてしまうというのがこの企画のいいところなので、今後もいい加減に行きます。でも、このシリーズは今月まで。来月から(つまり2013年から)、この「記憶の中の鉄道風景」も、内容を一新してお届けしたいと思います。



さて今月もまた、レイアウトやモジュール、ジオラマのような風景をお届けしたいと思います。まあご存知のように、ぼくは模型の写真を撮るのが好きなのですが、昔からそのケがあったというとのなのでしょう。実際、初期のTMSレイアウトフォトコンテストに応募して、入選してたりしますし。ということで、今回も筑豊本線の折尾-中間間の複々線区間から。1971年12月15日。冬休みの撮影ツアーの初日は、例によって山陽夜行から折尾駅で降り立ってはじまりました。さて、ちょっと小高い路盤のスソというのは、実はけっこう資料が少なく、作るときに難儀します。この場合は水溜りですね。こういうどんよりした水辺も、模型では作りにくいものです。やってきたディーゼルカー、先頭はバス窓キハ55、2輌目はキハ35と、なかなかマニア向けです。


続けて門司方面の線路をやってきたのは、若松機関区の49664号機の牽引する下り貨物列車。セムの回送です。向かって右側に色灯式信号機が2本立っているので、そのあたりまでは鉄道用地になっていると思われますが、その分、荒地になっています。左側の方には、ちらりと畑も見えているのですが、はっきりいってきれいな景色ではありません。けれど線路端というのは、こんな風に雑然としているコトが多かったのです。スケールで作れば、極端な話、レイアウト全体が鉄道用地で、地味としては荒地ということでも不思議ではありません。昔、駅のトイレをどこまでリアルに作るかという議論がありましたが、こういう雑然とした風景をどこまでリアルに再現するかというのも、真剣に考える意味があるでしょう。


またまた、筑豊本線の複々線区間が続きます。今度は、線路別複々線と方向別複々線が変わるオーバークロスの直方寄り。やってきたのは、またまた若松機関区の9600形式。29692号機の牽引する下り貨物列車です。この貨物列車、もっと手前に引き寄せたコマで確認すると、ワフ・ワフ・ワフ・セフ・ワフ・ヨ(ワフはすべてワフ22000、ヨはヨ6000)と、オール車掌車。回送運用なのでしょうか。でもこう線路が並ぶと、モンカルラインとか赤坂鉄道とか、レイアウトサロンに載っていた、ほとんど線路で埋め尽くされた昭和30年代の個人レイアウトを思い出してしまいます。線路の間にポッコリとハマった工場らしき建物も、どことなく模型的ですね。


日付は変わって、12月16日。日豊本線の夜行普通列車521レで、宮崎に入ります。高1とはいえ、缶ビール買って飲んで、座席で気持ちよく寝てましたから、自己責任な世の中でした。この数年、この時に撮影したC61形式の写真がいろいろなところで使われまくっていますが、このカットは入換中のC6124号機。望遠でとっているので、ポイントが圧縮され、番手がキツ目に見えているのが模型的といえましょうか。構内係がアウトフォーカスになっていますが、こうやってみるとエコーモデル製の人形のようです。遠近法が崩れている分、照明灯のついた電柱がヤケに大きめに見えますが、こうやってみると、模型的には多少オーバースケールでもいいのかなという気もします。


宮崎駅の1番線で、下り列車の先頭に付き、発車を待つ吉松機関区のC2723号機。23号機は、この年の4月に、それまで吉松機関区の主だった流改C55群の全検期限切れに伴い、豊岡から転属してきたカマで、もともとは北陸方面で活躍していました。宮崎駅も、いろいろな記憶があります。当時、蒸気を撮影に行かれた方なら、それぞれ想い出をお持ちのことと思います。実は模型でもこういう構図は好きで、けっこう取りたいのですが、模型の場合は消失点を見せるわけには行かず、そこをどうやってゴマかすかというのがテクニックになります。まあ、なんかで隠すワケですけどね。ということで、「なんちゃって」をきっとやるんでしょう。


今度は12月17日。栗野駅に佇む、吉松機関区のC57151号機の牽引する肥薩線下り貨物列車です。この日は雨でしたが、ちょっと雨が上って、薄日が射したところでしょうか。C57151号機は、長らく熊本機関区のヒロイン的な存在でしたが、やはりC55の置き換えで、吉松に移動してきました。熊本区時代は、大変丁寧に扱われていましたが、吉松ではまあ吉松クォリティーですね。それでも、ナンバープレートにさした緑色が健在なのは、モノクロのカットでもワカります。いわずもがな、ハイライトは通学帰りの女子高生たち。「白線の外側」にお並びですよ。蒸気機関車が日常だった時代のワンシーン。彼女たちも、ぼくと同年代ということは……(以下自粛)。


最後は、これまたみなさんお世話になった門石信号場の写真です。日付は戻って、12月16日。門石というと、田野側で撮られた写真が多いのですが、ぼくは断然青井岳側が好きです。確かに、田野-門石間のほうが、ぼくも踏破した回数は多いのですが、個性あふれるトンネルが多く、あまり作例が発表されていない門石-青井岳間のほうが、なんか気に入っています。しかし、この門石信号場の表札。これはなんですか。昭和30年代のレイアウトならいざしらず、今時皆さんパソコンでキレイに作りますからね。でも、事実は小説より奇なり。当時はあったんですよ、実物でもこういうの。「防火用水」みたいな表示とか、「安全第一」みたいな標語とか、「これ、誰が書いたんだ」みたいなのが。だから、手書きでもいいんですよ。



(c)2012 FUJII Yoshihiko


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