線路端で見かけた変なモノ その6 -ホームでお駄賃(南九州編)1971年4月・12月-


どんどん企画意図が変わってくる、このシリーズ。もはや、模型のジオラマやお立ち台を連想させる(あるいはストラクチャーやシーナリーの参考になる)蒸気時代のカットの特集という感じになってしまいました。今月も、またまた大暴走。プラットホームや駅構内でのバッタ撮りの特集です。だいたいこういうカットは撮影地に近い駅で、乗ってきた列車やこれから乗る列車を撮影したものです。早く撮り始めたいから、撮ってしまう。最後のワンカットまで撮り逃したくないから、撮ってしまう。ラスヴェガスの空港に行くと、待合室でスロットマシンが営業していますが、あれと同じような心理でしょう。構図や演出のないカットな分、いろいろなものが写り込んでいるものです。ホームでのお駄賃には、おまけが一杯というところでしょうか。今回は1971年、中3から高1にかけて南九州で撮影した写真からお届けします。



まずは、上り旅客列車を牽引して日豊本線青井岳駅に進入する、鹿児島機関区のC5721号機。1971年4月3日の撮影です。C5524号機、C5721号機、C5772号機と受け継がれた、伝統の門デフ。蒸気機関車の撮影を始めた時期によって、どのナンバーの時代が一番鮮烈か変わってきます。ちなみに、ぼくが撮り始めたのはこの時代ですから、21号機が形式入りナンバーに門デフ、72号機は形式入りナンバーに標準デフというイメージがあります。もちろん、門デフ装着以降の72号機も撮影していますが、どちらかというと、21号機の面影を引き継いだ、という印象が強いです。鹿児島区でも大切にされていたナンバーだけに、この時代の南九州の庫でのカマの手入れのよさが伝わってきます。


続いて、肥薩線大畑駅を出発する朝一の山線上り列車。1971年4月4日の撮影です。本務機は、人吉機関区のD51687号機。この列車に乗って、矢岳を越えてきたのでした。あとは、人吉まで下るだけ。人吉を出発する時には磨かれていたカマも、一往復する間に、すっかり燻されて煤けてしまっています。当時の山線は、門司港-都城間の1121/1122列車以外全て混合列車でしたが、その象徴といえるのが、2輌目に連結されているスハフ32。ダブルルーフの初期車です。この当時すでに、ダブルルーフの現役客車というのは、これしかいませんでした。とはいえ、煙害を防ぐためにベンチレータは撤去され、それとともに明かり窓も塞がれていました。それでも、ダブルルーフの客車に乗るのは貴重な体験でした。


次は、吉都線京町駅に進入する、吉松行き混合列車。1971年4月5日の撮影です。吉都線の二番列車で、牽引機は吉松機関区のD51589号機です。長らく出水機関区にあり、鹿児島本線で活躍したカマですが、鹿児島電化で吉松に転属、その後吉都線の無煙化まで活躍しました。吉松や京町は山間の盆地なので、朝は霧が出ます。おまけに完全に朝日が逆光とあって条件はツラいのですが、ナマで見るとけっこう幻想的な風景です。中学生の時の作品ですが、40年後の自分がフォローを入れ、ちょっとだけ補正をかけて、霧に煙る中、朝日に輝く山と街並を浮き出させてみました。京町温泉には国民宿舎えびの荘があり、青井岳荘とならび、撮影旅行で愛用した方も多いと思います。


これは、1971年4月6日の撮影。1日1日完全にシーケンシャルに展開しています。本格的な撮影旅行はまだ2回目なので、見るもの全てがものめずらしく、ワンカットでも多く蒸気機関車を撮りたいという気分だったことが伝わってきます。列車は、吉松駅に到着した肥薩線の上り旅客列車。牽引機は、鹿児島機関区のC5782号機です。九州にC57が増え出したのは、本州の幹線で電化・無煙化が始まり、C57に余剰が生まれた昭和30年代以降。門デフが盛んに装着されたのは、昭和20年代末なので、実はC57にはオリジナルの門デフ機は少なく、当時九州の主力だったC55の方が圧倒的に多くなっています。この82号機もけっこう九州が長いカマですが、九州への転属が昭和30年ですので、最後まで標準デフ姿でした。


ここからは、12月の撮影です。肥薩線表木山駅で交換待ちの、下り貨物列車牽引を牽引する、鹿児島機関区のC57127号機。1971年12月18日です。ぼくらからすると、127号機は梅小路のカマという印象が強いです。実際、この時はまだ転属してから半年あまり。この写真もよく見ると、デフの点検窓の蓋など、梅小路時代の特徴を強く残しています。すれ違う車窓から撮ったカットは、視線の高さが妙に模型っぽくなります。固定レイアウトなどでは、線路上に一眼レフカメラを置いた状態が、一番光軸が低く、それ以上下から狙えないこともままあります。その高さと比較的近いからでしょうか。TMSさんとかは、伝統的にこういう構図を気にせず使うようですが、デジカメ時代になったからには、できるだけ中の人の目線で撮りたいものです。


最後は、肥薩線川線渡駅で交換する、人吉機関区のC57130号機の牽引する下り貨物列車。よく見ると、ぼくの乗っている列車も、蒸気牽引ですね。130号機は、長らく新潟地区で活躍していましたが、1960年代半ばに関西本線での活躍を挟んで九州に転属しました。長工デフを装備したC57は、4号機、130号機と2輌しかありませんが、けっきょくどちらも九州に転属したため、長らく門デフの一種と思われていました。特に130号機のデフは、155号機のデフとよく似ていたこともあり、そういう印象が強かったようです。130号機は強運なカマで、川線無煙化の後宮崎機関区に転属、宮崎電化まで活躍した後、今度は遠く旭川に転じて宗谷本線で活躍。全検期限のアヤなのですが、九州の僚機より結果的に長生きしました。人吉-宮崎-旭川と行動を共にした186号機と共に、鹿児島と稚内に足跡を残した稀有なカマです。



(c)2013 FUJII Yoshihiko


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