無意味に望遠 その2 -1972年7月14日-


今月もまた、新企画を始めようとの意気込みはどこへやら。時間切れで、もう月末ですよ。こりゃいかん。しかし、新たな代打企画を考える時間もない。ということで、苦肉の一策。なんのことはない、先月の企画の続編。開き直って「無意味に望遠 その2」。1972年7月14日は、一日中「あそこ」で撮影していたんで、カットはたくさんあります。この時は、ミノルタの35mm一眼レフ2台に、ブローニーはブロニカ1台といういでたち。メインは当然、ブローニーでのカラーポジ。35mmも、一応メインはブローニーの構図に合わせた(まあ、それを基本にポジション取りしてますから)、標準レンズ的な(35mm、55mm、85mmのどれか)レンズを装着しています。で、80〜210mmのズームをつけたもう1台のボディーは、もともと予備用ですし、はっきり言って遊軍。なんか撮れればめっけモノという「押さえ」でしかありません、だから、何も考えずに撮ってます。その分、アホみたいな構図が出てくるという次第。しかし、こうなったら、これシリーズ化ですね。引っ張れるだけ引っ張りますか。けっこうカットはあるし。というわけで改題しました。



のっけから、こりゃもう前後のコマをここで使いまくってるカット。一瞬の邂逅 -カメラが捉えた離合の瞬間-の2シーン目で取り上げた、C57104号機牽引の上り列車とC5744号機牽引の下り列車のすれちがいの、1コマ手前のカットです。メインは、104号機牽引の上り列車のほうね。ポイントはやはり、「プアマンズ展望車」。旧客の夏はこれですよ。といっても、こいつよく見ると、オハフ62の車掌室側じゃないですか。昔は、乗務員室も勝手に入っちゃってたからね。機器をいたずらしなきゃ、別に怒られなかったし。東武線の貫通になっている中間の運転台なんて、高校生の喫煙所になってたよなあ(ってちょっと違うか)。


続いてこれも連続カット。メインの35mmで撮ったカットは、線路端で見かけた変なモノ その5 -1/1のジオラマ「あそこの立体交差」 1972年7月-の2カット目に出てきてますが、C58425号機の牽く上り車扱い貨物列車。C58はまさに日本の鉄道の悪弊だった「スモールエンジンポリシー(またの名を「貧すれば鈍する」)の申し子のような機関車で、デザイン的にも見るからにバランスが悪いカマだけど、こうやって望遠で縦方向に圧縮すると、北海道仕様だとまあまあ見られるかも。正解は、丙線の路線を二つに分け、重要度の高い路線は路盤強化して(軸重より横圧対策)D51、C57を導入、重要度の低い路線には、9600、8620を集中投入だったんだろうと思うけど。


今度は、C57135号機の牽引する下り旅客列車。これもまた、メインの35mmで撮ったカットが、線路端で見かけた変なモノ その5 -1/1のジオラマ「あそこの立体交差」 1972年7月-の4カット目に出てきてます。そっちは35mmレンズで撮っているし、こっちは立体交差をフレームにしてトリミングしてあるので(500mm相当ぐらいか)、全く違う景色に見えますね。このぐらい違えば、2発撮る意味もあるかな。なんか、マカロニウェスタンっぽい構図ですなあ。でもよく見ると、奥の方にかすかに、千歳線を走っている下りのディーゼル急行(「すずらん」ですね)が写っています。給水加熱器からの排気がでてますから、給水ポンプを使用中。ということは、完全燃焼で力行中なんですね。写真でもわかるように、ここは若干の上り勾配ですし。


ここからは、一応今までのカットでは出ていない列車です。というか、すでに午後も後半戦となり、かなり飽食気味になってきてますね。ワリと手軽に撮ったカットばかりです。まずは、岩見沢第一機関区のD51439号機の牽引する、下りのセキ返空。力行していますが、期間助士はキャブから半身をのり出して涼んでいます。キレイに火床を作って、たっぷり溜めた蒸気での余裕の走りというところでしょうか。勾配のキツい山岳線区などでは、石炭を焚く場所をはじめとし、力行時の加減弁の開き方やリバーのカットオフなども、ほぼ揃っていることが多かったが、さすがに平坦区間の代表といわれる勇払原野では、どんな走り方でも「アリ」だったということでしょうか。


これまた岩見沢第一機関区のD5185号機が牽引する、下り貨物列車。D5185号機は、86〜90号機が標準型試作機ということで、マニア的に見ればキリのいい番号ですが、新製以来ほぼ一貫して岩見沢という、意外と北海道には多い生え抜きガマの一台です。先頭にコキが1輌くっついていますが、それ以外はすべて有蓋車という、北海道としてはちょっと珍しい編成です。まだトップライトといえばトップライトですが、そろそろ逆光気味ですね。ここの悩ましい点のひとつが、線路が南西-北東に走っているというところでしょう。下り列車は、光線がなかなか厳しいんですよね。われながら、何の工夫もない撮り方ですが、ここに一日いればそりゃ思考も停止しますよ。


千歳線の下り線を、札幌に向かって駆け上がってゆく、小樽築港機関区のD51138号機が牽引する、コンテナ急行貨物列車。かつては奥中山の三重連で十三本木峠越えをしていた、まさにライフラインを支えていた首都圏と北海道を結ぶ貨物列車の華も、道内ではD51単機で済んでしまうんですね。ま、この先西の里とかでは補機がつきますが。まさに、まだまだD51が北海道経済を支えていた時代です。ある意味北海道らしく決まってます。そういえば、138号機はこの日の朝、岩見沢からの上り貨物を牽引してきたところを写しており、線路端で見かけた変なモノ その5 -1/1のジオラマ「あそこの立体交差」 1972年7月-の最初のカットに出ています。東室蘭か長万部まで行って帰ってきたのでしょう。


このあたりになると、もう帰りが近くなって面倒になったのか、千歳線下りの築堤の同じところから、続けて動かずに撮影してます。やってきたのは、追分機関区のギースルエジェクタを装着したD51605号機の牽引するセキ返空下り貨物列車。もう、この写真は列車そのものというより、バックの苫小牧臨海工業地帯の全景をバックに入れようという狙いですね。巨大な王子製紙をはじめ、製油所やいろいろな工場が並んでいます。原野と工場の対比は、なかなか大陸的な感じがします。よく見るとすれ違った上り貨物列車が小さく写っています。こちらは岩見沢第一機関区のD51560号機の牽引ということが、別のカットから判明しています。560号機はこの直後の8月に五稜郭に転属、その後名寄に移動し、今は室蘭に保存されています。


最後は、下りの旅客列車。全く番号が読めませんが、運用からするとC57104号機の帰りの運用だと思われます。前のカットとは、200m程度しか違わないポジションでの撮影ですので、そのままではどうにもつまらないので、トリミングを変えてみました。前のが200mmとすると、300mmぐらいの感じでしょうか。違うといえば違いますが、違わないといえば違わないですし、ま、微妙なところですね。その後開発が進んで、沼ノ端駅の近くまで工場地帯になってしまったようなので、こういう景色があったというのも、蒸気機関車の活躍同様、なつかしい歴史の一コマといえるのではないでしょうか。



(c)2013 FUJII Yoshihiko


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