無意味に望遠 その6 -1971年12月15日-


「無意味に望遠」シリーズも、とうとう6回目。72年の北海道ツアーでのカットは使いきってしまいましたが、無意味なカットはまだ発掘できます。無意味にサブボディーに望遠ズームをつけて、無意味にカットを増やしていたのは、71〜72年の冬休み、72年の春休み、72年の夏休み。予算が10月スタートの欧米式でいう「72年度」の、ほぼワンシーズン。そう思うと、撮影がブローニーのカラーポジ中心になったのと軌を一にして、無意味なサブボディーはヤメたことがわかります。この辺に、一発勝負への「悟り」があったのでしょう。しかし、この間にもいろいろ行っていますので、使えるカットはあるし、まだ当分続きます。今回からは、九州ツアーでのカット。無意味な望遠は、複線区間以上で、むやみに列車がやっているところでこそ出てくるもの。ということになると、北の室蘭本線に対して、おなじみ南の筑豊本線。マンネリだからこそ、こういう「余裕」が出てくるのでしょう。



まずは、折尾-中間間の複々線区間。若松機関区の88620号機が牽引する、香月線直通の上り若松行き旅客列車。複々線が方向別から路線別に変わる、今の東水巻駅付近での撮影です。筑豊本線で撮影した写真は、直方市のビストロ直方でこの9月から10月にかけて開かれた「懐かしい直方の鉄道写真展」に出展するため、全コマ徹底的にチェックしたので、考証の手間が省けます。でもこれはムービーの構図ではあっても、スチルの構図じゃないですね。模型だと、こういう感じはアリだけど。まあ、ガキはガキなりに、望遠を使うカットとして凝ってみたという気持ちはわかるかな。それでも現地行ってみてわかったけど、今はない風景の記録というのは、それを知る人々にとっては価値があるんだよね。


そこにサッと通過していった、9600形式が牽引する下り貨物列車。配給車代用のワム50000、2軸のセラとボギーのセキが一緒に使われているなど(セキ3000は石灰石輸送用)、なかなか楽しい編成です。機関車は多少考証に手間取りますが、九州の9600なら何とかなります。この区間の運用に入っている9600形式は、若松機関区所属のカマ。この時期若松には、いわゆる中高(中中ともいう)でパイプ煙突の9600は、29611、49654、69646と3輌いました。この3輌を見比べると、29611は独特な変形テンダーなので、まずアウト。69646はキャブが2枚窓なので、これもアウト。49654は他の特徴も一致するので、このカマは49454号機と比定しました。


同じく今の東水巻駅付近。まさに方向別と路線別を切り替える立体交差を越える若松からの下り線を行く、若松機関区のC5752号機が牽引する下り貨物列車。トラとセラで構成された、石炭輸送の返空列車です。当時の筑豊本線には、C55/C57の牽引する貨物もあれば、D51/D60の牽引する旅客もありました。北海道でもそうですが、九州でも小規模な炭鉱は、ホッパなどの専用積み込み施設がなく、パワーショベルやベルトコンベアで積み込んでいましたので、専用の石炭車ではなく、トラなど通常の無蓋車が使われていました。複々線から複線になったときに、この立体交差は使われなくなりましたが、築堤は今もそのまま残っており、かつての栄華を忍ばせます。


中間-筑前垣生間をゆく、直方機関区のD6057号機が牽引する上り貨物列車。後ろに続く貨車は、石灰石を積載したホキですから、若松ではなく黒崎方面に向かうのでしょう。57号機のように、パイプ煙突への換装も煙突延長の改造もされず、オリジナルの化粧煙突のままというのは、九州のカマとしてはけっこう珍しいですが、このカマの場合、9939号機として新製以来D60形式に改造されるまで北海道一筋で、改造後に転属してからは九州一筋という、かなり変わった履歴も注目されます。D50/D60自体、すでにこの時代においては希少な存在でしたが、残存機がすべて筑豊本線に集まり、この周辺でだけは最後の大活躍を繰り広げていました。


同じく中間-筑前垣生間ですれ違う、直方機関区のD6028号機の牽引する石灰石ホキ返空の下り貨物列車と、若松機関区のC5752号機の牽引する上り旅客列車。こんなすれちがいシーンを撮影していたんですね。前に「一瞬の邂逅」というネタをやりましたが、その時には全く気がつきませんでした。そう、望遠での撮影は撮影後もネガアルバムに整理した切り、40年間ほったらかしだったのです。しかしこのあたりの風景は、架線柱こそ立ったものの、驚くほどそのままでした。特に遠くに見える稜線など、全く変わっていません。諸行無常ではないですが、人が関わったものは移ろいが激しくても、自然は変わらないということでしょうか。


ということで、続けて同じC5752号機の牽引する上り旅客列車のアップ。C5752号機は、長年北陸・山陰筋で活躍したカマで、蒸気機関車末期にしばしば見られた、全検期限が残っているカマの使い廻しの一環で、この年の7月に豊岡から転属してきました。大分から転属してきたC5753号機と交代という形ですが、全く履歴の違う連番のカマが、最後に揃うというのは稀有な運命を感じます。しかしこの52号機も、1年も活躍しないまま、翌72年の3月には廃車になってしまいます。72年からは、筑豊本線系列の無煙化も急速に進みますので、蒸気機関車が主役だった最後の時期に、仕業に必要な機関車数を確保するのにいかに苦労していたか察することができます。


最後は、筑前垣生-筑前植木間の垣生公園の脇を行く、若松機関区のC5552号機が牽引する上り貨物列車。C5552号機も、基本的に調子が良かったことと全検期限が残っていたことが幸いし、SLブームの目玉として、このあと吉松から鹿児島と転属し、九州のライトパシの再末期まで生き延びました。北九州の蒸気機関車自体は、再末期まで残っていた路線もありますが、筑豊本線系統は、このあと徐々に無煙化が進み、必ずしも効率良く撮影できる線区ではなくなってしまいました。それとともにぼくの九州の初日は、筑豊本線北部から田川線・後藤寺線、日田彦山線等へと移ってゆきました。ということで、これが筑豊本線を訪れた最後の日となり、これ以降今年まで42年間足を踏み入れることはありませんでした。



(c)2013 FUJII Yoshihiko


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