無意味に望遠 その10 -1973年4月6日-


無意味に引っ張ってきた、「無意味に望遠」シリーズ。まあ、望遠だから引っ張るというワケではないのですが、ついに10回目を迎えてしまいました。この一年近く、こればかりやってた感じです。とはいえ、こういう無意味なカットも、とうとう底を尽きてしまいました。てなわけで、今回でこのシリーズも最終回。前回に引き続いて、73年春の九州弾丸ツアーの2日目、1973年4月6日の午後の巻です。今度もまたまたおなじみの撮影地、日豊本線 田野-門石間の清武川橋梁周辺での撮影です。



まず最初は、北側の段丘の上から撮影した、吉松機関区C5552号機の牽引する、上り貨物列車。ここももう何度も来ているので、一味違った構図をなんどか工夫して、段丘の上に上っちゃったんでしょうね。この時はもう、メインはブローニーのカラーポジになっていましたので、そちらの方でベストタイミングのシャッターを切ってますから、サブカメラの方は川の流れの真上に機関車が来たところで撮っていますが、バランス的にはちょっと中途半端かもしれません。このときはカメラ二台とも、手持ちで撮影したはずです。告白すると、実はこういう景色を模型で作りたいんですよ。でもそれやるには、恐ろしいスペースが必要になっちゃいますね。


せっかく登ったモンだから、同じところから数カット行きます。こんどは、毎度おなじみ急行「えびの」。編成をよく見ると、本来キハ65が2輌入っているのが所定のところ、1輌しか入っていません。かわりにキハ58が入っています。このときはまだ4月、エアコンを使う季節ではないので、キハ58に置き換えて運用しているのでしょう。実際、列車の窓は微妙に開けられ、春の風を取り込んでいるのが見て取れます。それにしても、後方の森。植林された針葉樹と、自然の照葉樹とのコントラストが、白黒写真でもくっきりと見えます。人工林でないところは、決して一様じゃないんですよ。日本の森は。


続いてやってきたのは、宮崎機関区のC57187号機の牽引する上り旅客列車。結果的に、蒸気機関車最末期の宮崎機関区には、186号機、187号機の連番が揃ってしまいましたが、この両機は、新製配置こそ新津機関区で一緒ですが、その後は全く違った流れを経たものの、最後は宮崎で再会という数奇な運命をたどったのでした。187号機は宮崎電化で廃車になってしまいますが、186号機はその後130号機とともに北海道は旭川に転じ、鹿児島から稚内までその足跡を残すことになります。前のカットより、こちらのほうが少し焦点距離を短くしてますね。その分、おなじみのレンゲの花が満開の田んぼがいっぱい写っています、。


やっと無意味に望遠の本領発揮。C57187号機を続けて追っての撮影です。ドーム前の手すりをはじめ、長野工場持ちの新潟地区のカマの特徴をよく残しています。まあ、187号機は3次型ですから、逆止め弁はもとからランボードのワキについていて、移設してはいないので、単に手すりをつけたというだけになっていますが。裏縦貫の無煙化によるC57の余剰と需給のタイミングが合った関係か、九州には新潟地区で活躍していたカマがけっこう転属してきています。4号機、130号機といった、長野工場デフを装着したC57が、揃って九州で活躍したのもおなじみですね。こうやってみると、ここはムービー向きのポイントですね。パンでずっと追いかけながら、ズーム効かせて撮影できますし。


こんどは、段丘に挟まれた田んぼの中に降りてきての撮影です。宮崎機関区のC57109号機の牽引する、下り貨物列車。田野駅から続く切り通しから出てきたところを、まず押えます。だからどうなんだ、といわれてしまうと弱いのですが、こういう感じで引っ張ったカットは、バランスや美的センスはさておき、どことなく模型っぽい雰囲気がして、妙に惹かれるものがあります。この感じだったら、なんちゃってではありますが、ジオラマにできますね。このカットを撮った段階では、メインのカットを撮影するポイントまでまだずいぶん時間がありますから、雑に見えても、機関車のロッドの位置とか、周りの障害物との位置関係とか、ちゃんと見切ってとる余裕があったことがわかります。


近くにやってきたC57109号機のサイドビューを押えます。線路脇の標識柱がちょっとウザいですが、まあこのカット自体お駄賃みたいなもので、模型化資料という意味でサイドビューを撮ったものなので、そのあたりはお許しを。109号機は、宮崎区のカマの中でもキレイで端整なカマで、個人的にはかなり好きなカマの一つです。御召し列車牽引で117号機の人気が出てしまいましたが、117号機の門デフは鹿児島工場でのC5560号機からの移植ぐみで、オリジナルではないですし、70年代の宮崎機関区を代表する一台といってのいいのではないでしょうか。なぜか、輪芯の車軸のところが磨き出されているのが目立ちます。


これまた、同じような場所で続けて撮影した、吉松機関区のC5552号機の牽引する下り旅客列車。長らく、吉都線の都城での間合いを利用した、吉松機関区持ちの都城-宮崎間の運用があり、吉松機関区のC55形式が、日豊本線で活躍する見せ場を作っていました。いくらSLブームの目玉とはいえ、若松機関区の無煙化で余剰となったC5552号機、57号機が、吉松に転属し、再び1750mmのスポーク車輪が見れるとは思っていなかっただけに、この転属は当時のファンも驚くとともに、拍手喝采したのでした。全険期限が残っていたこともあり、結局宮崎電化以降も鹿児島区で入換用として、最後まで残ってしまったんですけどね。


最後のカットは、宮崎機関区のC57112の牽引する上り貨物列車。完全な見返りショットですが、もうこれは「オマケ」ですね。この列車は駅毎の入換をしない急行貨物で、機関車に続いてコキとホキが連結されています。こういう新しいタイプの貨車と蒸気機関車の組合せというのも、蒸気機関車末期の亜幹線以上の路線という感じで、なかなか心をくすぐられるところがあります。まあ、このあたりは思い出の中身と、どういう路線が好きだったかという好みの影響が大きいのでしょうが。コキには冷蔵コンテナが搭載されています。南九州特産の、ハムやソーセージを積んでいるのでしょうか。


これは「無意味に望遠」ではないですが、サブカメラで撮ったカットなので、載っけてしまいます。広角ですが、「意味ある広角」です。門石-青井岳間の門石寄りのあたりと思いますが、蒸気機関車現役時代の車窓の風景。牽引機は、この時期に宮崎区で活躍していた標準的K-7デフの1次型C57ということから、C57109号機と推定されます。地元の女のコが乗っていたので、窓越しにその姿を入れて撮影させてもらったカットです。もちろん承諾はとってますし、多分後から写真を送るので、住所と名前も聞いているはずです。とはいえ、どうみても当時高3のぼくと同年代のコですから、今は…(以下自粛)。それにしても、窓から目いっぱい手を伸ばして(多分、上半身も乗り出していると思う)の撮影です。オウンリスクの時代ならでは。もちろんノーファインダーですが、それなりに撮れてますね。運もかなりあったのでしょうが。



(c)2014 FUJII Yoshihiko


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