無意味に望遠 その11(番外編) -1971年12月-


まさに無意味なカットを無意味に引っ張ってきた、「無意味に望遠」シリーズ。先月でシリーズ最終回のはずだったのが、またいくつかカットを発見してしまったじゃないですか。というか、山陰ツアーのネガアルバムにも、サブカメラで撮影したネガが一本あったってことで。せっかくなら載せたいけれど、一応このシリーズは「完結」をうたってしまった手前、あっさりと出すのもちょっと。ということで、「番外編」といたしました。そもそもこの企画自体が番外っぽいのに、そのまた番外とはこれいかに。まあ硬いことは言わず、飽きれ気味にお付き合い下さい。



最初は、前回の続きのような感じで、おなじみ田野-門石間の清武川橋梁周辺での撮影から。鹿児島機関区のC5772号機の牽引する上り貨物列車、1971年12月16日の撮影です。この日の撮影の主要部分は、「無意味に望遠 その8 -1971年12月16日-」でご紹介していますが、その続き。この日最後の撮影のさらにお駄賃という感じで、完全な後追いです。72号機は、この年の10月に廃車になった同じ鹿児島機関区の21号機から、K-7デフを引継ぎ、正面形式入りプレートと小工デフという、その21号機と瓜二つのルックスになったばかりでした。この年は4月にも九州に撮影に行っていますが、その時は21号機もまだ健在、72号機は標準デフを装着していました。


同じ列車を、もうちょっとやり過ごしてから編成の全景を押えたカット。コキとワム6輌に車掌車という編成が、周囲の景色とも相まって、妙に模型的な雰囲気を醸し出しています。コキ5500には、5台のコンテナがフルに積載されていますが、この頃は全部載っているほうが普通だった印象があります。真ん中の一台だけが冷蔵コンテナというのも、いいアクセントになっています。その後の「霧島ハム」は有名ですが、南九州は畜産王国だけに、冷蔵コンテナはけっこう欠かせないアイテムです。車掌車のストーブから立ち昇るほのかな煙が、なんともいい味を出しています。九州といえども、冬はそれなりに寒いのですね。稲藁干しの「藁坊主」にも、この時代の冬の風物詩を感じます。


さて、日付は変わって、1971年12月18日の大畑ループ。ここでD51の力闘をカメラに収めたヒトはたくさんいらっしゃると思いますが、こんなモノを撮影した方はそうはいらっしゃらないと思います。保線作業のモーターカー2台。ごらんのように真昼間。通常のダイヤの間を縫って、自走してきました。今でこそ、保線用車輌等の「機械」は、線路閉鎖をしなくては線路を走行できません。しかし、このころはまだ、先行列車が閉塞内にいる場合は、続行扱いで入れていたんですね。当然、保線の方々も国鉄職員。なおかつ、旧国鉄内では、車輌の運行とか「上物」屋さんより、インフラ屋さんの方が各上でした。それもあって、文字通り「白昼堂々」という感じですね。


ここからは、連続して強行した山陰ツアーから。サブカメラを望遠で使ったのは、播但線のみ。それも全部で三列車。ここから、それを立て続けに紹介。まずは、キハ55形式。撮影地は思い出せないなあ。多分、長谷-寺前間だと思うんだけど。この日は、北から南へ移動しながら、撮影していったんで、まあ、そのあたりではないかと。さすがにこの列車はこのカット一枚だけ。キハ55なんて、当時は何の変哲もなかったディーゼルカー。どっちかというと、急行用から普通用に格落ちになった感じもあったけど、今となっては貴重な記録ですね。


続けて同じ長谷-寺前間での、上り貨物列車。豊岡機関区のC57128号機の牽引です。前のカットとは、ズームの焦点距離の違いだけで、同じ地点から撮影しました。本当に何もない(かろうじて「ふみきりちゅううい」という立て札だけがある)、究極の第四種踏切がアクセントになっていますが、なんともジオラマっぽいですね。というより、こういう景色が存在しなくなり、ジオラマの中でしか見られなくなってしまった、というのが正しいのでしょう。山陰筋や紀勢筋のC57形式は、集煙装置を装着したカマが多いのですが、個人的にはあまり似合うとは思えません。そもそも集煙装置をつけたいわゆる「重装備」自体が好きではないですし。


最後は、かなり陽射しも傾いているところから、南に抜けた姫路口の列車本数が多くなる区間での撮影。福崎-溝口間でしょうか。これもよくわかりません。豊岡機関区のC5794号機が牽引する貨物列車。けっこう力行していますが、登りがキツいというよりは、遠方信号機が見えていますし、ドレンも切っていますので、スタートダッシュからの力行が続いている感じでしょうか。94号機、95号機は、豊岡までは常に一緒に活躍していましたが、95号機は播但線蒸気全廃前に人吉に転属になったのが幸いして、その後宮崎→鹿児島と転属し、九州の蒸気終焉まで生き残ったのに対し、94号機は播但線の無煙化とともに廃車になってしまいました。



(c)2014 FUJII Yoshihiko


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