線路端で見かけた変なモノ その20 -ホームでお駄賃(番外編) -1971年4月-


まさに無意味なカットを無意味に引っ張ってきた、「無意味に望遠」シリーズ。さすがに先月でネタも尽きてしまったので、これにて打ち止め。それと一緒に「線路端で見かけた変なモノ」シリーズも最終回のはずだったのが、ちょっと新シリーズをスタートさせるだけの余裕がない忙しさ。ということで、急遽いくつかカットを掘り出して、一年ぶりに「ホームでお駄賃」シリーズを「番外編」として復活です。まだ15歳のときの。2度目の九州ツアーと、その年の12月に再訪した3度目のツアーからのカット。「だから何なんだ」というカットばかりではありますが、しばしお付き合い下さい。



青井岳駅を通過中の、宮崎機関区のC57199号機が牽引する、日豊本線上り臨時急行列車。1971年4月3日の撮影です。今まさにタブレットを受け取らんと、機関助士が体をキャブから乗り出し、右腕を大きく差し出しています。この列車は、来るとは思っていなかったのですが、焦ってカメラを取り出し、ワンカットだけ撮影に成功しました。そのワリには、防火用水のドラム缶や、これぞ九州という蛍光灯の入ったあんどん形駅名票など、模型ファン的に見ると、なかなか味のあるカットになっています。列車の1輌目は、鋼製屋根が目立つオハフ45形式。全検後間もないのか、屋根も含めて塗装がツヤツヤしています。


門石信号所で、下り特急「彗星」と交換する、日豊本線上り普通列車。1971年4月3日。鹿児島機関区のC5721号機の牽引です。同機の小工デフ越しに、ヘッドマークを付けたDF50の正面を拝む構図。その後同じく鹿児島機関区のC5772号機に引き継がれた、C5524号機伝来の由緒あるステイ付きのK-7デフの特徴が、くっきりと写っています。まあ、15のガキが背伸びして思いついた絵柄なので、考えオチ的なところもありますが、デフの隙間とDF50の正面の位置関係をきっちり押えているところは、それなりに評価できるでしょうか。門石信号所はその後も何度も訪れていますが、設置されたのが比較的新しいだけに、上の青井岳駅と比較してもらえばわかるように、路盤も線路もずっとしっかりしています。


おなじみ、ぼくのホームグラウンドとも言える吉松駅。吉松機関区のアイドル、C5691号機が、せわしく入換作業をしています。1971年4月4日。当時は、肥薩線の山線と隼人方面、吉都線と三方面から貨物の流入・流出があり、24時間を通して貨物列車の入換作業が行なわれていました。3番線に到着した鹿児島方面からの貨車を、人吉方面、八代方面に組成替えするところです。誘導係が、今まさにホームから飛び降り、機関車のデッキに乗り移らんとしているところは、ジオラマでもぜひ再現してみたいシーン。スチルのカットでも、これだけ動きを表現できるといういい例でしょう。山線のオハユニかワフに積み込むべく、ホームには小荷物が積み上げられ、作業員が荷物に腰掛けています。これも、活き活きした感じですね。


この前熊本を訪れた時は、機関区にはC60・C61といった大型機がひしめいていましたが、この時は、豊肥本線用の9600、高森線用のC12、三角線用のC11だけになっていました。それでも、30輌近い蒸気機関車が配属されていましたから、日夜煙は絶えません。そんな中、豊肥本線の夕方の通勤列車が、熊本駅を発車するシーン。機関車は前補機が69699号機、本務機が79602号機。どちらもその後北海道に渡って蒸気末期まで活躍したカマです。1971年4月7日。9600形式は、装備が1台1台異なるので、機番考証がしやすいですね。特に79602号機は、日本最後の現役蒸気機関車となりましたが、追分機関区の火事で焼失したことでも知られています。さらにもう一輌の9600が、入換で活躍中。3輌の競演となっています。


この時は、筑豊本線冷水峠でのD60形式の後補機の奮闘を楽しむべく、急行天草で帰途につきました。最後尾の指定席車び乗車、夜行でスハフ43の転換クロスに乗ったのは、前にも後にもこの時だけです。デッキを開けると、そこにはD60の面構え。至近距離で蒸気機関車の力闘を感じられる、至福の時間でありました。力闘はもちろん筑前山家側の上り区間だけですが、補機は直方まで。そんな一仕事を終えた姿を、飯塚駅でバルブ撮影したカットです。1971年4月7日。機関車は、直方機関区のD6046号機。どうしても補機の写真を撮りたかったので、走行中に車内で三脚にカメラをセット、停車とともに飛び出して撮影しすぐ戻るという一撃離脱作戦で、なんとか急行の停車時間の中に収めた記憶があります。


このカットのみ、1971年12月の3度目の九州ツアーで撮影したものです。直方機関区のD6026号機の牽引する筑豊本線下り貨物列車。1971年12月15日、桂川駅での撮影です。筑豊地区は、昨年の10月に40年ぶりに訪問し、いろいろな感慨に浸りました。国破れて山河ありではないですが、ものスゴく変わったところと、全然変わらないところが渾然一体となっていて、そのどちらもが、いろいろな意味で琴線に触れ、大いに心を揺らしてくれました。そんな中では、この桂川駅は比較的雰囲気が変わらなかったところの一つ。篠栗線が開業したときに今の駅ができたので、筑豊本線の中では比較的新しいということもあるのでしょうか。今でも側線に蒸気機関車の牽引する貨物列車が停まっていそうな、そんな雰囲気でした。



(c)2014 FUJII Yoshihiko


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