無意味に望遠 その12 -1973年4月7日-


さて、久々に復活の「無意味に望遠」シリーズ。マセてナマイキな高校生は「自分の作品は印刷物になることを考えて撮るぞ」とばかりに、鉄道百年の1972年からはブロニカS2によるカラーポジをメインとして撮影するようになりました。それ以降のツアーでは35oの一眼レフにトライXを入れたカメラはサブカメラとして使用。モノクロによる夜間撮影と停車中の機関車の模型資料の撮影ではメインになる一方、72〜73年の撮影ツアーでは一般の撮影地では望遠ズームを装着して「メインとは違うカット」を押さえる使いかたが中心でした。1973年春の九州ツアーは、受験もあったのでちょっと控えて0泊5日。全部夜行で移動しまくりという強行軍でしたが、田川線を中心とした北九州を撮ってから次の日は日豊本線、取って返して次はまたまた北九州という行程。この日はまたまた田川線・後藤寺線と掛け持ちながら、はじめて日田彦山線のD51を撮影。その時のモノクロ側のカットをお届けします。


夜行から乗り換えて日豊本線を城野で下車。撮影可能な朝一の列車から撮影開始。どちらかというと「記録することに意義がある」列車なので、ひとまず駅近くで押さえることにします。やってきたのは、当時の日田彦山線名物の頭合わせの逆行重連による、下り貨物列車。途中駅からも出荷があったので、転向の関係で逆向きのまま回送する機関車を前に連結しての運用。あんまり絵になる列車ではないが、こういう運用もあったという記録としては結構面白い。逆向きの前位がD51175号機。正位の本務機がD51814号機。機関車はどちらも門司機関区所属。これ規定上、逆向の前位機が通票授受とブレーキ操作するはずで、順番変えた方がやりやすかったと思うのだが。


ここからは、サミットを挟んで勾配区間が続く呼野-採銅所間での撮影。日田彦山線はセメント原料の石灰石輸送が中心だったので、上りが実車、下りが返空という非対称の輸送だったので、より重い列車が力行する上りが登りになる採銅所側で撮影開始。まずやってきたのは、関さんの小工式「K-9デフ」を装着した、門司機関区のD51924号機。のっけから中々ポイントの高いヤツが登場。力行し安全弁を吹いてはいるものの、そんなに勾配区間が長いわけではないので、石炭は焚いておらず余熱でカマを加熱している状態。機関助士も着席してこちらを見るなど、余裕の表情ですね。


この時は、カーブした築堤を側面から眺められるポジションで撮影していたので、メインのカラーこそ一発勝負ですが、望遠でのモノクロはその前後で数カット撮影しています。全部並べてパラパラ漫画にしてもしょうがないので、特徴ある2カットのみお届けします。今度は多少見返し気味になったカットですが、線路を挟んで向こう側の採石場と手前の国道とのバランスがいい感じを出しています。というより、極めてジオラマ的な構図ですね。でもこういうジオラマは、本気で作るとめちゃくちゃデカくなって死にます。この雰囲気を60p四方ぐらいのところにどうやって詰め込むかが、地面屋の矜持でしょう。


続けて同じところで構えていますが、今度は下り列車です。呼野駅で交換したのでしょうか。しかし、荷はワフ1輌。この時期は、ある程度貨物の輸送量があった線区では、小荷物輸送を貨物列車のワフに載せて行っているところも多かったので、貨車がなくワフ1輌となっても列車は走りました。機関車は門司機関区のD51275号。前のカットと同じ場所ですが、超短編成ということも相俟って、さらに模型っぽさが強調されています。国道の2台の車、前が三菱ギャランで後がスズキフロンテでしょうか。今の目から見るとアンバランスでプアなタイヤが、食玩っぽさを漂わせてなかなか味わいがあります。


これはもう遊びというか、望遠ならではのギミックというか、思い切って構図を機関車に絞り込んで後ろをカット。もともと編成があったものを、望遠撮影で摘んだようなトリック撮影にしてしまいました。築堤とガーダー橋だけだと、これがどこで写したものか、このカット一発でわかる人は相当な通ですね。ちなみに今回は九州のカマなので、全機番号を比定してあります。門司機関区のD51はこの時期シンプルな標準型が多いのですが、デフの穴の形、ドーム前手摺りの有無、砂撒き管の流れ方、ナンバープレートとタブレットキャッチャーの状態等々、いくつかのポイントに着目すれば区別は可能です。


今度は線路際からの撮影です。こういうセッティングの時は、まずメインのカラーポジで撮影するポイントを決めた上で、そこから望遠で狙えるもう一つの遠方のポイントを探して撮影しました。こういう経験があるので、今のズームならば標準焦点域での撮影位置を押さえた上で、そこから望遠で狙える撮影スポットを探し2〜3カットを撮影するということもワリとやります。下り列車を牽引して来たのは、門司機関区のD51382号機。牽引している列車は日本セメントの私有貨車ホキ3500の返空です。バックに見える採石場は一緒ですが、望遠で引き付けた意味は多少感じられる構図かな。狙った意図は充分わかります。


これも大体同じような場所からの撮影と思われます。上り列車が力行で力強く登ってきます。今度はカマも焚いている最中で黒煙交じりのドラフトが上がっています。機関車は門司機関区のD51275号機。まあこの線区のカマは全部門司機関区なのですが、SEO対策というか、画像が検索されることを考えると、なるべく近くの文章に多くの情報を入れておいたほうがよいので、あえて繰り返しています。編成はタキ1900とホキ3500が両方連結されています。利用目的からするとセメントバラ積みと、ほとんど同じ両形式ですが、タンク車とホッパー車と種別が分かれているのは面白いです。まあ、一目瞭然でカタチは違うのですが。


最後は築堤の反対側に移り、この日最後の獲物を狙います。実はこの日は、日中一時列車が来ない時間帯がある頃を利用して、田川線との掛け持ち撮影でした。上り貨物列車を牽引するのは、門司機関区のD51374号機。この当時門司機関区には16輌のD51が配置されていましたが、そのうち6輌撮れたというのは、それなりに効率よかったのかもしれません。ワフ1輌にタキ4輌。換算23輌は、ここは確か20‰があったと思いますが、それでもD51には余裕の荷という感じです。最近のぼくからすると、こういう写真を見ると「これNだと実写との組み合わせでリアルサイズのジオラマができるんじゃないか」なんてつい思ってしまいます。



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