桜の日田彦山線(その1) -1973年4月7日-


ぼくは今でも春には鉄道と桜を絡めた写真を毎年のように撮っている。模型のジオラマでもこのシーズンは桜を入れ込んだカットを撮影しているくらいなので、けっこう好きなのだ。とはいえ蒸機機関車現役時代に撮影した桜がらみのカットは数えるほどしかない。確かに春休みは九州では桜のシーズンなのだが、ジャストのタイミングで撮影旅行に行けたのは73年の春と74年の春と二度しかない。74年の春は、おなじみの「桜と日南3号」という会心のカットを撮れたが、73年の春は、筑豊は日田彦山線と田川線で桜を入れ込んだカットを撮影できた。今回からは、桜つながりということで、1973年4月7日に田川線と掛け持ちで前にも後にも一日だけ訪れた日田彦山線でのカラーポジをお届けします。



日田彦山線の桜というと今では採銅所駅の周辺が有名ですが、この時は情報も何もなく呼野駅のスイッチバックで撮影しようと思って行ったら、丁度いい感じの桜があったのでこれをフィーチャーして撮ろうとその場で決めた次第。まずはその桜を大々的にあしらったカットから。日本セメントの私有貨車ホキ3500の実車を連ねた上り貨物列車。牽引機は門司機関区のD51344号機です。これは次のカットでアップになっているので読み取れました。快晴ではないですが、露出がジャストだったせいか結構色が残っていて、ポストプロで補正しなくても、スキャン一発で結構色が出ています。桜の色も、九州らしいカマの鉄色も、半世紀前の記憶が読みがえる感じです。エクタクロームは、ジャストの露出にさえなっていればマジ強いですね。



同じ列車が近づいてきたところで、今度は列車中心にもうワンカット。この頃は「瞬発レンズ交換」を頻発していましたが、これは流石に同じ標準のNIKKOR 75mmf2.8のままですね。下りのスイッチバック引き上げ線の脇に菜の花も咲いています。地面屋としてはミニネイチャーのマイクロパックの「黄色い花」を取り出して接着したくなる気分です。桜も4月上旬の後半という遅い時期に、花と葉が同時に出てますから、これは山桜系の野生っぽい品種でしょうか。電柱の間にカマを収めつつ、汽笛を鳴奏した瞬間の蒸気をアクセントにして撮っているのには、3年間撮りまくった進歩を感じます。還暦を過ぎた自分が、高校生の自分を褒めてあげましょう。それにしても、カマの色、地面の色、木々の色、どれをとっても「これぞ九州」という魅力が溢れています。半世紀全く目にしていなかったカットは我ながら新鮮です。



さて呼野のスイッチバックで、今度は小倉から登ってくる下り列車を撮影します。列車はタキ1900の返空、牽引するのは門司機関区のD51814号機です。このカマのナンバープレートは青ナンバーですね。814号機は71年春に門司機関区に転属するまでは鳥栖機関区の所属でしたから、その時代の名残でしょう。しかし呼野は小倉の郊外でそんな山岳地帯ではないのですが、こうやって見ると景色としては姨捨に匹敵しそうな山岳線に見えます。スイッチバックを通過するこの列車も、フルに力行した状態で迫力満点。カマが重装備でない分、かえって大畑越えとかより迫力があって絵になりますね。自分でもよく撮ってた。それにしても日田彦山線、こうやって見てみると、もっと撮りに行ってよかった路線かもしれません。今となってはD51形式ばかりでも、肥薩線の山線より色々撮れて面白い線区だったと思います。



今回の最後は、またちょっとだけ桜の枝が写っているカット。呼野-採銅所間のガーダー橋のところで捉えた、下り貨物列車。荷がワフ29500一台というのは、貨物列車と呼んでいいのか微妙ですが、この日は調べると土曜日なので、次の日は鉱山が日曜で休業のため返空がなかったのかもしれません。牽引機は門司機関区のD51374号機。これは機番の特定が難しいのですが、コンプレッサーの上のランボードが切れているところと、砂撒き管の具合から比定しました。手前のアウトフォーカスの枝のみならず奥にも山桜が写っていたり、なかなか春の筑豊らしさが出ています。というより、この景色。ジオラマを作る地面屋としては異常に創作意欲を掻き立てられる要素に溢れています。まあ、高校時代からレイアウトの地面作りは大好きでしたから。次回も、この続きで行きます。





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