桜の日田彦山線(その2) -1973年4月7日-


今回も前回からの続きで、1973年4月7日に田川線と掛け持ちで前にも後にも一日だけ訪れた日田彦山線でのカラーポジから、残りのカットをお届けします。タイトルこそ「桜の」ですが、これは前回からの流れということで今回は残念ながら写真には桜は写っていません。全て前回の最後のカットと同じ、呼野-採銅所間の築堤とガーダー橋の周辺で撮影したものです。日田彦山線を朝から一番列車が多い時間帯まで撮って、そのあとはまだ列車が多い田川線で締めるという算段だったようです。なんせ受験を控えた高三でしたので、0泊5日で撮影は北九州・南九州・北九州と転戦する三日のみという強行軍。とにかく限られた時間の中で一本でも多くの列車を撮影しようという特攻プランでした。



これは厳密には前回掲載したの最後のカットの一つ前に撮ったカットです。門司機関区のD51924号機が牽引する、タキ1900を連ねたセメントバラ積み列車。この木は実は山桜で前回のカットに写っていたのもこの木の枝なのですが、こっちのカットでは花は写っていませんね。今回のカットは全てサブカメラで持っていった望遠ズームを付けた35mm一眼レフでモノクロのカットを撮っており、それはこのコーナーでも<無意味に望遠 その12 -1973年4月7日->で取り上げています。流石にそっちのカットがあったから機番を比定できました。まあ、こいつは関さんのK-9デフと特徴があるので、判別可能ではありますが。



今度は返空の下り列車がやって来ました。門司機関区のD51382号機が牽引する日本セメントの私有貨車ホキ3500です。モノクロの方は機関車中心のバッタ撮り的な構図でしたが、こちらはバックの石灰石を露天掘りで掘り出している鉱山をメインに据えた構図になっています。秩父の武甲山もそうですが、石灰石の掘り出しは山そのものを切り崩すという、見る見る山の形が変わってゆくいかにも荒っぽいやり方でした。昭和の高度成長期だから許された手法で、今では環境破壊とか言われてとても新規開発は無理でしょう。当時は建物も鉄骨作りではなく、鉄筋コンクリートでその場で打ってましたから、公共事業だけでなく一般の建築でもセメントの需要が大きかったですからね。



次は実車の上り貨物列車が力行でやってきました。機関車は門司機関区のD51275号機。編成はタキ1900とホキ3500が両方連結されています。モノクロでは望遠を一杯に伸ばして、カーブに差し掛かるあたりをアップで撮っていますが、こちらは普通のバッタ撮り構図。その分、煙を強調した感じの縦構図にしてみました。D51275号機は、1939(昭和14)年の製造以来貸出による一次転属を除くと、この年の秋に廃車されるまで一貫して門司機関区(旧大里機関区)に配属されていた生え抜きのカマです。九州の本線機は電化・無煙化の進展に伴い、玉突き的に転属して旧型機を置き換えることが多かったので、こういう経歴のカマはけっこう珍しいですね。



続けて上りの貨物列車がやってきます。機関車は門司機関区のD51374号機。編成はタキ1900が4輌とけっこう軽い荷です。やはり土曜日ということで出荷量が少なかったのでしょうか。これはモノクロとほとんど同じシャッターチャンス。機関車の位置も5mぐらいしか違いません。この時には足踏みリモコンではなく、それぞれ手で切ってましたからさっと持ち換えたのでしょう。374号機は山陽筋で活躍したのち1956(昭和31)年に門司機関区に転属(東海道電化による山陽筋へのD52形式投入による玉突きと思われる)、それ以来門司機関区一筋のカマで、やはりこの年の秋日田彦山線の無煙化とともに廃車されています。





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