南の庫から 人吉機関区 -'71年4月6日・12月19・20日-


このシリーズも、いよいよラストスパート。ぼくの蒸気機関車撮影旅行では大本命だった、肥薩線・吉都線周辺にやってきました。その手始めは、人吉機関区。川線のC57、山線のD51、湯前線の8620というのが、人吉機関区のメンバーですが、ぼく的には、なんといっても川線のC57です。九州のパシフィックというと、砂撒き管が3本に増設されたカマがおなじみですが、人吉区のC57は、早岐区とならび、最後までオリジナル同様2本のままのカマが多かったコトでも知られています。また、JR九州においては、ローカル線区の廃線や車輌基地の整理統合、最近では九州新幹線の建設等にともなって、蒸気時代の機関庫が、次々と消えてしまってますが、ここ人吉機関区のクラは、SL人吉号が走る今でも、昔のまま残っているのがうれしい限りです。



まずは、山線のヌシともいえる、ダブルルーフの初期型スハフ32、スハフ3243号車と、C57100号機。さすがにこの時期になると、客扱に供用されている現役のダブルルーフ客車は、人吉のスハフ32しかありませんでした。山線に撮影に行き、はじめてこの客車に乗ったときは、大いに感激したものです。人吉機関区は、人吉駅の八代よりにあり、肥薩線の線路と、裏に迫る山との間の限られたスペースをうまく使って展開しています。見学許可が難しかった上に、宮崎機関区のように駅のホームから狙うこともできないので、列車が脇を通過するタイミングをウマく捉えて撮影するしかありません。その分、構図としてはイマイチなのはお許しください。


続けて、正面側から捉えたC57100号機。この日は、夕方かなり深い時間の撮影なので、盆地の人吉はもはや直射光がなく、シャッタースピードは1/60ぐらいでしょうか。さらにこのあたりまでくると、列車もそれなりに速度が乗っていますので、手前側が流れてしまっています。カマも、キャブとかはピシッとシャープにピンがきているのに、正面は流れ気味ですね。それでも2本のままの砂撒き管をはじめ、この機関車の特徴は見てとれます。この頃人吉にいた、C579号機、100号機などは、C55との置き換えで早岐から転入したカマですので、早岐のカマの特徴ということもできるでしょう。この2カットは、1971年4月6日の撮影です。


こちらは、人吉駅のホームから撮影した、8620形式38633号機。空制化とともに、ハチロクでは、キャブのスソを切り詰めた仕様が標準(オリジナル空制仕様のカマがこうなっていたため)なのですが、珍しく、一段ランポード時代と同じ深さのキャブのままで、ご丁寧にも九州らしく、点検用の穴が空いています。この時代は、JR九州の動態保存機である58654号機と、2輌揃って人吉機関区に配属になっていました。湯前線のハチロクは、九州の蒸気最末期まで残っていましたが、全検期限の関係で、36833号機は、その後48647と交代に廃車されました。近傍の過疎線区と構内入替用という意味では、人吉の8620と吉松のC56は好対照をなしていましたが、実は川線は、余剰C55が投入された1960年代まで、8620の天下でした。そういう意味では、伝統を受け継ぐ最後のカマともいえるでしょう。1971年12月19日の撮影です。


人吉といえば、山線の顔役ともいえる、重装備のD51も忘れるわけにはいきません。クラの脇に顔を出した、山線仕様のD51572号機。デフやテンダーなどはオリジナル仕様を重視するワリに、集煙装置や重油併燃はバシバシ取り付ける近畿圏とはことなり、九州管内では、「門デフ」に代表されるように、基本装備の改造はどんどんやる代わり、重装備のカマは、山線しかいません。そういう意味では、あまり九州らしからぬ存在ということもできるでしょう。もうもうたる煙に包まれた上に、光線も逆光と、条件的には最悪ですが、蒸気現役時代の機関区の雰囲気はでてるのではないでしょうか。後にもう一輌、テンダーをつき合わせたカマがいるのですが、さすがに見えません。しかし、上り向きで石炭を満載しているところから考えると、川線用のC57であることは確かでしょう。


最後は、八代よりから見た人吉機関区の全景。すでに、翌春の山線無煙化を控えて、熊本区のDD51が練習用に登場しています。キハ58、キハ55など、ディーゼルカーも多い中、58654号機が、燃料用の石炭を積んだトラの入換をしています。ちょうど前のカットとは正反対の側から撮ったカタチになるので、キレイな順光がきています。人吉は、機関車の付け替えこそあったものの、路線が分岐するような交通の要衝駅ではなかったので、貨物の入換ヤードも必要なく、意外とこじんまりとまとまっています。機関区もそれに合わせて、配置輌数のワリには、小さな規模ということができるでしょう。そういえば給炭台も、まさにシンプルな「台」ですね。この2カットは、1971年12月20日の撮影です。


(c)2009 FUJII Yoshihiko


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