ある日の冷水峠 -1970年8月1日-


筑前垣生での撮影から時間をさかのぼっている、1970年8月1日。この日のネタもまだまだ引っ張って、これで4回目。前回は筑前垣生に向かう前の筑前山家駅で撮影したカットをお送りしましたが、今回はその前。前回予告したように、冷水峠の筑前山家側で撮影したカットです。筑豊地区で活躍するスポーク動輪の蒸気機関車をできるだけ撮影するとともに、蒸気機関車牽引の列車に乗っても楽しもうという、欲張りな一日。所詮は14歳の少年ですし、あちらを立てればこちらが立たず。撮影の方はイマイチ当たり前のつまらないカットばかりになってしまいましたが、初めての撮影旅行としてはこんなものでしょう。とはいえ、いろいろ記録としては貴重なモノを押さえられましたから、経験としてはいい思い出です。


まず手始めは、原田から筑前山家まで乗車してきた若松機関区のC5551号機が牽引する上り旅客列車の発車シーンです。この51号機と、この日運用に付いていたD50205号機については、出発前に原田の駐泊所でタップリ撮影しました。その一部は、南の庫から 筑豊本線の沿線で(その1) -1970年8月1日-ですでに掲載しました。51号機については、最末期に関さんのK-7デフにパイプのステイが取り付けられてしまいましたが、このときはまだオリジナルのままの状態です。この位置から見ると、日豊本線でのロングラン用にD51一次型と振り替えられた「8-20型テンダー」の様子がよくわかります。


冷水峠まで筑前山家から国道を登ってゆきます。まずやってきたのは、下りの臨時急行「天草51号」。冷水峠を通過する客車急行「天草」には、直方-鳥栖間でD60の後補機がついていました。この日の補機は、直方機関区のD6069号機。サミットは冷水トンネルの中にあり、ここはもう峠を越した下りのため絶気で涼しげですね。下りで後補機となれば、機関士もヒマそうです。ここは単線自動閉塞区間なので中継信号機があり、進行を現示しています。中継信号機はこの先にある信号機と同じ表示を現示しますので、列車はまだ閉塞信号機のところまで行っていないということがわかります。


「天草51号」は当時新製されたばかりの12系客車で組成されており、新車らしい輝きが写真を通して50年近く経った今も伝わってきます。当時の冷水峠は、急行天草だけでなくキハ82系の特急かもめまで通過する路線でした。今やこの区間は一閉塞で、一日数往復という超閑散路線に成り下がってしまいましたが、篠栗線が開通してもまだ筑豊本線としての矜持があった時代といえます。冷水峠における「特急かもめ」の勇姿は、九州の優等列車 -1971年4月-に掲載してあります。よく見ると、山側の法面に同業者の姿が。どなたでしょうか?心当たりの方はご連絡ください(笑)。


続けてやってきたのは、若松機関区のC5553号機が牽引する下り旅客列車。これまた、下り勾配なので絶気です。実はこの時は、鉄道雑誌に載っていた撮影地ガイドに従って冷水峠にしたのですが、来てみてびっくり。雑誌に掲載のおすすめ「お立ち台」からでは、全然絵にならないではないの。ピンポイントで撮影して移動しようと、時間的にタイトなスケジュールを組んでいたので、撮影ポイントを探して移動するわけにもいかない。ということでこの時は緊急避難的に、持っていた望遠レンズを使用して機関車をアップで撮るカットばかりになってしまいました。これ以降の撮影旅行では、冷水峠はもっぱら筑前内野側中心で撮影しました。

続けて同列車をもうワンカット。見返り気味のショットで押さえます。あくまでも創発的ではありますが、スポーク動輪でテンダーを8-20に振り替えたC55は、見返り気味のカットだと特徴がよくわかって意外と趣があります。それにしても若松機関区は、山盛で石炭を積みますね。終点が近いここまできても、かなり石炭が残っている上に、グラスの日本酒よろしく増炭板の外側にもタップリ石炭が載っています。しかし、こういう見下ろすような角度で撮影すると、いかにも模型っぽくなりますね。まるで卓上のジオラマやレイアウトを、立って見下ろしたような構図です。模型屋としては、こりゃ悪くないですね。


さて、C55形式とならんでこの日の狙い目だった、D50型式がやってきました。若松機関区のD50205号機が牽引する、上り貨物列車。この時、D50型式はすでに1日1運用、1輌使用という状態の絶滅危惧種。ということから、昼間に原田から若松までの貨物運用に就くD50を追いかけながら、筑豊本線を北上し撮影するというのが、この日の撮影プランでした。望遠レンズで撮影していたことが功を奏して、国道の向こう側を力行するD50型式を撮影できました。確かにD50型式なのですが、筑豊本線においてはこういう引きのショットだと、ちょっと見にはD60型式と区別がつきませんね。


築堤のところまでやってきたD50型式を、アップで撮ります。サミットに向かって、気合を入れて石炭を焚いていますね。冷水トンネルの中にサミットがあるので、トンネルに入る前に蒸気を作っておかないといけないので、このあたりの区間が一番煙が上がるところであることは間違いありません。2輌連なるトラは、どちらも空車。この区間を通過する貨物は、鳥栖機関区をはじめとして近距離の石炭輸送が中心となっていたので、返空が多くなってしまうのでしょう。模型で空荷の無蓋車は実感的でないと忌避されがちですが、まんざら実例がないというわけではありません。


さらに近付いてきたD50を、もうワンカット。カマを焚いている最中ですが、助手席側のデッキには人影が見えます。助手が二人乗務なのでしょうか、それとも添乗でしょうか。いずれにしろ、イレギュラーな乗務には違いないようです。この時は、実はD50140号機が狙い目でしたが、来たのは205号機。とはいえ、140号機は翌年に筑豊本線に来た時に撮影していますし、梅小路でまだ動態保存されていた時にも撮影しています。廃車解体されてしまった205号機を撮影できたという意味では、結果的はよかったんですね。このあと筑前垣生に向かうべく筑前山家駅に戻り、前回に続きます。



(c)2017 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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