京の夏、保津峡の煙 -1970年8月20日-


今年(2010年)の夏、7月の連休に家族で関西に旅行しました。暑い関西の夏。暑さに万国博覧会の狂乱が加わり、熱気が一段と渦を巻いていた、まだ中学生だった40年前の夏の関西を、ふと思い出してしまいました。余りに暑くて混んでいる万博会場は、最初の一日だけで切り上げ、二日目は予定を変更して(というより、実は予定通りなのだが)、まだ蒸気機関車が活躍していた、山陰本線京都口の撮影に一人で向かいました。万博旅行変じて、二度目の撮影旅行。墨絵のような、いかにも和風の景色の中を走る、ニッポンの蒸気機関車の代表格ともいえる、C57の牽引する旅客列車とD51の牽引する貨物列車。と、くれば、当時から、もちろん今でも、ぼくがもっとも好きな鉄道風景です。翌71年の春には、無煙化が予定されていましたから、是非とも押えておきたいシーンでした。



まず最初は、保津峡駅に進入する、梅小路機関区のC57190号機の牽引する、上り旅客列車から。このエリアには、4次型は190号機しかいませんから、一発で考証可能ですね。この区間の山陰本線は、別線で複線化された際にも、その風光明媚さから廃線とはならず、嵯峨野観光鉄道として生まれ変わり生き残った、稀有な路線です。今でも人気の観光スポットとして、嵐山や保津川下りと合わせて、多くの観光客を集めています。旧保津峡駅も、トロッコ保津峡駅として今も健在です。


さて、今度は河原に降りての撮影です。やってきたのは、福知山機関区のD51708号機が牽引する、下り貨物列車。実は、この時撮りたかったカマは、山陰線京都口の人気カマである、C575号機、C57190号機、D51499号機といったところでした。ファインダーの中で、切取式除煙板を装着しているのが見えたときは、すわC57190号機に続いてD51499号機か、とエキサイトしたことを覚えています。が、こいつも中々の珍機。長工デフの試作機である上に、長工デフと鷹取式集煙装置の組合せというのも個性的です。


いよいよやってきました。当時の梅小路機関区の人気No.1のエース、C575号機の牽引する、下り旅客列車です。確率的にも、中々の引きですね。この保津峡は、布原信号場のような「お立ち台ワンポイント」ではなく、対岸の道路から同レベルで狙っても、山に登って俯瞰しても、河原に降りて見上げても、撮影ポイントをいくらでも見つけられる撮影地です。ただし、どこで撮っても、上から目線、横から目線、下から目線の三パターンしかないのが、玉にキズでしょうか。上のD51とは若干違う場所なのですが、よく似た画面になってしいました。


ということで、C575号機のアップ。ちゃんと、サイドロッドが下に来ていますが、鉄道写真歴半年の状態ですから、これは偶然ですね。意識して撮れるまでには、まだ一年ぐらいかかりました。いかにも、模型をジオラマに載せて撮ったような写真ですが、逆に、初心者だから撮れるんでしょうね。それにしても、この時期の5号機は、手入れが行き届いていて、実にきれいです。それに、九州のC57を見慣れた目からすると、原型の装備をそのまま残している点が多いのも新鮮です。人気が高かったのもうなづけるところです。


最後に、福知山機関区のD51254号機の牽引する、上り貨物列車。このカマは、その後、亀山→奈良→長門と落ち延び、山陰線の下関口で本州の蒸気最末期を迎えました。なぜか、東京の杉並交通公園に保存されています。この保津峡に限らず、福知山線、播但線、伯備線など、近畿・中国地方の陰陽縦断路線は、東西方面が谷のため、光線状態が難しいところが多いのが特徴です。この日も快晴なのですが、そういう理由で日射が来ていませんが、これは仕方がないですね。この日保津峡では、あとDF50の牽く列車を撮っていますが(こちらを参照)、それが、この日撮影した列車の全てでした。



(c)2010 FUJII Yoshihiko


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