雨の加太越え その1 -1971年3月31日-


かつて蒸気機関車が現役時代に訪れた撮影地で撮影した、全カットをお届けするこのシリーズ。始めてから、これでちょうど一年。とはいえその中9ヶ月は、延々大畑の3日間で引っ張ったワケですが。今回からは、大畑にひき続いて重装備D51の峠越えで知られた、関西本線の加太越えの登場です。まあ、わかる方にはお分かりだと思いますが、重装備の蒸気機関車は決して芸風ではありません。ということで、これはわざわざ撮りに行ったものではなく、九州撮影旅行の「行きがけの駄賃」です。山陽本線の夜行に乗り筑豊地区を朝から撮ろうとすると、朝東京を出れば関西で一日空く勘定。二度目の九州ツアーの前夜祭として、数をこなせる線区で本番前のウォーミングアップ、という感じで狙ったのが、今回の関西本線という次第です。



まずは、新幹線で名古屋に向かい、関西本線で加太駅に向かいます。この時はまだ中学生ですし、関西本線はそれほど思い入れもないので、ひとまず定番の築堤まで行って帰ってくる間で、撮影地をロケハンして撮影しようという、極めて安易な計画です。おまけに、この日は強い雨。まあ、もともと足慣らしのような感じですから、ここでシャカリキになっても本末転倒。このぐらいのコンディションの方がちょうどいいかな、というところでしょうか。当時の常で、撮影地までは線路の犬走りを歩いてゆきます。切り通しの中、やってきたまさにバッタ撮りで押えたカット。奈良機関区のD511007号機が牽引する、下り貨物列車です。前灯がLP405一灯というのが、近畿のD51では珍しいですね。


加太越えの撮影に行ったのもこの一回だけですし、土地勘も事前のチェックもない状態での撮影ですので、バメンごとのシーケンシャルな関係から、およその場所の位置関係はわかるのですが、これが一体どこで撮影したものかというのは、今となってはぼくにはわかりません。ぼくにとっての田野-青井岳間のように、加太-柘植間に何度も撮影にいらっしゃった方ならば、見ればわかるとは思いますが。このカットは、前のカットより中在家よりですが、腕木式だと遠方信号機に相当する、場内の中継信号機が見えますので、まだまだ加太駅の近くということがわかります。やってきた下り貨物列車の本務機は亀山機関区のD51689号機。浜松工場製で長らく中部地区で活躍したカマです。


続けて、同列車の後補機のアップ。若干レンズを右方に振っているだけで、ほぼ同一の構図ですが、機関車がアップになっている分、イメージはけっこう違います。しかしこれ、よく見ると後方にある電柱を爆煙で隠しているんですね。やなガキ(笑)。マセたヤツ。でも15歳ながら、ちゃんと見切って撮っているのは褒めてあげましょう。この位アップで、パイピングや補機類、手すりや吊り手などの状況がきっちり見えていれば、関西本線のD51に長けた方なら、機番の考証ができると思います。ぼく的にはこっち方面のカマの詳細は、よほど特徴的なヤツしかわかりません。デフ穴からすると、亀山のカマでしょうか。


ということで、おなじみの築堤までやってきました。やってきた下り貨物列車を、まずはこれまた定番のお立ち台から狙います。思い起こせば、35mmモノクロがミノルタSR-T101。ブローニーカラーがミノルタオートコードという組合せは、この時が最初です。これから一年間、72年の春までは、この組合せで撮りました。加太では雨天ということもあり、モノクロしか撮っていません。このカットは標準の55mmf1.4での撮影ですが、ここからの撮影では、築堤上の列車をワンカットで収めるのがギリギリという構図です。なので、このカットは3:2のノートリミングでお届けします。雨にモヤる景色が、墨絵のような風情を感じさせますね。


同列車の本務機のアップ。奈良機関区のD51403号機です。同機は、長野地区で使われた後、関西地区に移り、奈良区の最晩年まで活躍しました。現在も、滋賀県栗東市の神社に静態保存されているようです。幸いにも、この時は南東側から風が吹いていたようで、煙が列車に被らない状況でした。それにしても、この高湿度のなかでこの黒煙というのは、相当に重油を焚きまくっていますね。せっかくの爆煙が全部画面の左方にながれていますので、このカットもノートリミングでお届けします。この当時は、モノクロは四切とかに伸ばして木枠のパネルに貼って展示することを考えて撮影していましたので、ノートリミングというのは実は考えられなかったのですが。


同列車の後補機、奈良機関区のD51253号機です。253号機は、鷹取工場で製造されて以来、一貫して大鉄局、天鉄局管内で活躍してきた、関西生え抜きといえるカマです。この点、先ほどの中部一筋という亀山の689号機と好対照です。こうやってみると、関西地区のカマのテンダーは、ほとんどオリジナル状態をキープしていることに驚かされます。まあ、バイパス弁点検穴にもフタを付けるような土地柄ですからね。それにしても、右側の標識灯には、この時期にはすでに廃止されているはずの、周囲の赤い枠が残っていますね。後部前照灯のLP42は、ウランガラス付きの古いタイプなので、前照灯をLP403に換装したときに、テンダー用にコンバートしたものと思われます。


(c)2015 FUJII Yoshihiko


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