北の庫から 1972年7月


2007年7月27日は、Web開設10周年。10周年記念月間と銘打ってみたものの、前半はHOMPでのJAMへの参加の準備、後半はガキの夏休みと、平常月以上に忙殺される始末。おかげで、何か記念のコンテンツを作ろうと思ったものの、まったく企画倒れになってしまいました。ということで、せめてこの「記憶の中の鉄道風景」ぐらいは、10周年記念企画を、ということで、この企画始まって以来初めて、ブローニー判ポジ・ノーカットの蒸気機関車の写真を、庫出し大放出いたします。このシリーズの中でも、すでに、大沼、沼ノ端でのカットをお届けした、最初の北海道撮影旅行の中から、ぼくの写真の中では、相対的に機関車がドアップになっている、機関区での形式写真をお届けします。この当時は、北海道では機関区の見学許可申請もユルく、その場で事務所にいって「撮影させてください」といえば、ほぼOKでした(それだけでなく、ダマテンで出区のときにキャブに乗せてもらったりとかした方も多いと思います)。当時でも、九州は事前に往復ハガキで、「何月何日に行きたい」という許可申請が必須でしたし(返信分が許可証として帰ってくる)、本社お膝元の関東地区とかは、申請しても(コネとかないと)許可されることはありませんでした。そういうワケで、ちょっと列車待ちの時間があったときに、さっと機関区にいって、その場で許可を貰い撮影させてもらったものです。



まずは、千歳の駐泊所で給水等の脇に佇む、苗穂機関区のC5738号機。今では千歳というと、札幌の郊外という感じになっていますが、当時はまだ都市化も及ばず、開拓地の風情を残した町でした。もちろん千歳空港は、北海道の空の玄関となっていましたが、鉄道との連絡運輸というのが考えられないくらい、北海道対内地の交通機関として、鉄道のシェアが高かった時代です。さて、苗穂-千歳間には勾配区間があり、室蘭本線経由の札幌着発の貨物列車には補機がつく関係から、千歳にはけっこう機関車がたむろしていました。この撮影は1972年7月14日、札幌からすずらん6号で千歳に到着した直後。実は、北海道での最初のショットです。


当時、北海道の幹線で撮影していると、D51の貨物については、ほんと「おなか一杯」になってしまうぐらいやってきました。手を変え品を変え撮影できるような風景のある撮影地ならいざしらず、沼ノ端みたいなところだと、けっこう「ネタ切れ」になってしまい、同じような構図が続出してしまいます。ぼくは、模型のディティールの参考写真的なものはイザ知らず、いわゆる形式写真はあまり撮っていないのですが、こういう状況だとちょっと変わってきます。ということで、これは7月15日、苫小牧機関支区に駐泊する、鷲別機関区のD51629号機。当時、苫小牧支区は、配属は日高本線用のC11と入換用の9600のみでしたが、苫小牧のヤードで組成するローカル貨物もありましたから、鷲別や追分のD51も見られました。


さて、この時撮りたかったカマの一つがこれです。旭川機関区のC5530号機。九州のC55形式については、当時まだ現役で残っていたカマは、カットの多少はさておき、少なくとも一通りは押さえてありました。なら旭川のも、ということになるのですが、宗谷本線旭川-稚内のロングラン専用なので、一発で全部狙うことは不可能です。当時は、30、49、50の3輌配備。その中でも、流改の30号機はぜひ取りたいと思っていました。とはいえ、コレばかりは時の運なので、行ってみないとわかりません。結果的には、49号機が稚内泊り。50号機が旭川区で運用外れ。30号機が旭川から運用につくという、とてもラッキーなもの。7月17日、旭川機関区給砂塔前のC5530号機。走行写真の撮影に行く前に、機関区に寄って撮影したカットです。


7月17日は、宗谷本線の後、札幌まで戻って、夜行で次の撮影地大沼へ向かう計画でした。しかし、せっかくなら夏の北海道の陽の長さを活かして、夕方の苗穂機関区に立ち寄り、もうワンチャンス稼ごうという突撃作戦。苗穂は、最終目的地である札幌を代表する機関区なので、とにかくうじゃうじゃと機関車がいます。その中から、小樽築港のD5170号機です。この日はあまり天気がよくなく、光量も不足気味で、この時間となるとあまり絞り込めません。ということで、地面と正面のみピンが来て、バックをぼかすという、模型のような撮り方をしていますが、凝ったワリにはあまり効果は出てないですね。しかし、こういうアソびをしたくなるというのも、ある種当時の北海道だからできたことともいえるでしょう。


さて、続けて苗穂機関区。庫の中でたたずむ、同区所属のC5757号機。今、東京世田谷の大蔵運動公園に保存されている同機の、現役時代の姿です。得意の「庫の中のスローシャッター」ですが、夜間ではなく外の陽があるので、妙に幻想的な感じです。実はこの時の撮影行は、けっこう天気が悪く、16日は雨、17日も降ったりやんだりでした。梅雨の末期は、気圧配置の具合によっては、前線が北海道まで北上します。内地の人間からすると、「北海道には梅雨がない」というイメージですが、北海道の人からすると、7月20日前後に、1週間ぐらい梅雨がある、というのが正解なようです。これは、この時の旅行で初めて知りました。しかし、それはそれとしても、雨のおかげで夏の北海道らしからぬショットが撮れたことも確かで、人と同じ写真は撮りたくない、ぼくとしては、それはそれでよかったいうのが思い出です。


(c)2007 FUJII Yoshihiko


「記憶の中の鉄道風景」にもどる

はじめにもどる
inserted by FC2 system