北の庫から '72夏 -1972年7月-


安易な発想ですが、このタイトルを思いついたときから、一回で終わらすワケにはいかないことが決まってしまったようなモノ。なんせ北海道は二度しか行っていないので、ネタも限られているし、それなら続けてやってしまおうという次第。再び、72年夏の北海道撮影旅行の際撮った機関区でのカットです。当然、旭川、苗穂と、行った場所は同じなのですが、今回はモノクロ編。前回とは、またちょっと違ったシーンをお届けします。気候のせいなのか、日差しのせいなのか、北海道の風景というのは、西日本のそれと比べると、明度の差こそメリハリがありますが、色調の広がりが限られているような気がします。その分、モノクロ写真がフィットすると思うのはぼくだけでしょうか。それに、北海道のカマは、モノクロのほうがきれいに見えるのも確かですし。



まずは、7月17日の旭川機関区からスタート。特徴的な給砂塔の周りに、3台のカマがたむろしています。手前には、深川機関区所属のD51738号機。ナンバープレートの字体が標準のものとかなり違い、なかなか印象的です。その向こう側には、旭川機関区所属の49686号機。北海道では比較的少数派の中中(中高ともいう)ランボードタイプです。製造時から空制装備の9600は、このタイプで製造されていますから、ある意味ではこれが標準なんですけどね。D51の後方には、C5530号機の姿が見えています。3台とはいえ、蒸気機関車がかたまって登場すると、なにか活気を感じます。


庫の中に入ると、本日は非番のC5550号機が英気を養っています。当時の旭川のC55は3輌配置2輌使用という運用で、一日目、旭川→稚内で稚内泊り、二日目、稚内→旭川で戻り、三日目は休みという順番の運用でした。ということは、この日は49号機が稚内にいるんですね。庫の中で撮るカットとしては、ぼくが比較的得意にしているタイプの写真です。この限られたシリーズでも、今までに何度も登場しているので、もうご存知だとは思いますが(笑)。ディスプレイ上でこのトーンを出すのには、ちょっぴり苦労しました。


今でもそうですが、そもそも旭川の街は、道央という北海道の中では比較的集積が進んだ地域と、道北、道東の過疎地域との結接点になっています。これは鉄道についても同様で、旭川は電化区間の北限。今も昔も、道央の幹線と道北・道東のローカル線という、二つの顔を持った駅になっています。それを象徴するような、電気機関車と大型給炭台の組合せ。電気機関車は、岩見沢第2機関区所属(電気機関車はそれしかなかった)のED76521号機。チラリと見えている9600形式は、前後の写真から旭川機関区の29669号機ではないかと思われます。それにしても、給砂塔にしろ、給炭台にしろ、幹線の蒸気機関区らしく貫禄充分です。模型にしてスケールで作っても、これでは置くところがないですね。


次に、場所は移って苗穂機関区。日付は同じく、7月17日です。まずは小手はじめに、D51の形式写真。ロッドの位置と、架線柱の具合がおしいですが、こればかりは公式撮影でない以上、どうしようもありません。機関車は、小樽築港所属のD51465号機。密閉キャブなど、よく知られた仕様以外にも、空気配管やキャブの吊り輪、スピードメーターなど、北海道のD51らしい装備が満載されています。この手のカマは、当時は決して魅力的ではありませんでしたが、今となってはなつかしいですね。この頃はまだ、札幌周辺の電化区間も、貨物では蒸気がけっこう走っていました。


轡を並べる、各機の雄姿。左から、長駆やってきた、長万部機関区のD51737号機。正面のナンバープレートの位置が妙に下よりで、なにか不敵な面構えになっています。けっこう苗穂工場持ちの蒸気機関車には、妙な位置にナンバープレートがついているヤツがいました。真ん中は、苗穂機関区所属のC58415号機。C58というのは、個性が曖昧な分、そんなに好きなカマではありませんが、逆に北海道型は「アクが強くてけっこう似合う」という気がします。その後ろにはD51が控えていますが、機番は判別できません。テンダーを見せているのは、C58416号機。苗穂には、414、415、416と、三連番の戦後型C58が配属されていました。


ターンテーブルに今から乗ろうとしているのは、鷲別機関区所属のD511098号機。札幌圏の主要機関区ということで、配属機関車はC11、C57、C58しかないものの、道央、道南の主要機関区のカマが一堂に見られるのが、苗穂機関区の面白いところでしょう。そんなこんなで、ラウンドハウスやターンテーブルも、そこそこ立派です。ターンテーブルのキャブ(?)も、扉が開けっ放しになっているので、内部の様子がよくわかります。電車のようなマスコンが鎮座しているのが見えますね。あと、軒のところに、モロ蒸気機関車のキャブについているような「吊り輪」がついているのも、興味をひきます。珊瑚のキットを製作されている方は、ご参考にしてください。


続けてターンテーブルに姿を現したのは、苗穂機関区所属のC57147号機。このカマは、採光改良キャブからもわかるように、和歌山から転属してきた元関西のカマです。1970年代になると、まだまだ北海道では現役機が必要なD51、C57、9600などについては、全検期限の残っているカマを、無煙化した線区から転入させることもしばしば見られるようになりました。こういうカマについては、ポイントとなる箇所のみを北海道仕様に改造して使うのが基本になっていましたので、いろいろな地域の特徴のあるカマが、北海道で見られるようになりました。手前にチラリとD51が見えますが、これだけではちょっと機番の判別は難しいですね。


最後に、ちょっと動きのあるカット。そうです、北海道型切詰デフというのは、こういう風に使うためにあるのです。誘導係がステップに乗るのではなく、手すりをしっかりとつかんでフロントデッキに乗っています。もともとは、福知山管内での発明ということですが、組合との交渉の過程から、北海道では、大々的に採用されることとなりました。見栄えについては賛否両論ありますが、それは密閉キャブも同じようなもので、乗務員や職員の環境や安全を考えるようになったという面から考えれば、それはそれで意味のあることではないでしょうか。けっきょく、北海道らしさをかもし出す、重要な要素になってしまったワケですし。


はい、オマケはこれ。苗穂工場の側線に置かれた、キハ09型。この前年の1971年に廃車になっていますので、まだ、塗装も現役並に残っている状態です。最後まで残ったキハ09は2輌でしたが、よくみると、2輌が揃って連結して留置されています。こんなヤツも、まだいた時代でした。


(c)2007 FUJII Yoshihiko


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