京王帝都電鉄 井の頭線 駒場東大前-池ノ上駅間 -1972年-


ティーン・エージャーの頃に一番お世話になった民鉄といえば、なんといってもこの京王帝都電鉄井の頭線をおいて他にはないでしょう。なんせ、中学、高校、大学とずっとお世話になった電車です。もともと沿線には学校が多く、それもなぜか男子校や、男子の方が多い学校ばかりという、色気のない路線でした。夏とか、通学時間帯の直後に乗ると、何ともスエた臭いが社内に充満していて、いたたまれなかったものです。しかし、その分ぼくにとっては「ケ」の電車だったワケで、とてもカメラを向ける気など起きませんでした。この写真も、フイルムが余ってしまったので、学校の暗室で現像する前に、なにか埋め草に撮っておこう、というノリで写したもののようです。おまけに現像の不手際で、画面がとても荒れています。とはいうものの、東急、京王とくれば、井の頭線も欲しいので、ネタに取り上げました。このあたり、大目に見ていただければ幸いです。



今回の写真は、全て駒場東大前駅〜池ノ上駅間の、今、駒場野公園の正門前にある踏切付近で撮影したものです。この道の手前側は、今では都立国際高校と駒場野公園になっていますが、当時は、大学入試センターすらなく、まだ東京教育大学農学部でした。そこにやってきたは、吉祥寺行きの各停、3708F。今でも3000系自体は井の頭線にいますが、初期の冷改車は昨年ですでに全滅、先頭車を中心に、多くがローカル私鉄に譲渡され、活躍しています。この先頭の3708号は、上毛電鉄で、クハ722として現存しています。


今度は、渋谷行きの各停、3704Fがやってきました。よく見ると、この編成にはまだデハ3100が組み込まれず、4輌編成のままです。ちなみに、この先頭のクハ3754号は、電装化の上北陸鉄道に譲渡され、モハ8902として活躍しています。バックに見えるのは、留学生会館。このころから留学生会館自体はあったのですが、バブル期に建てかえられる前は、「いかにも」という感じの無機質(というか安っぽい)な建物でした。今、国際高校のあるあたりも、スレート塀が続く、何もない場所だったことがわかります。


さて、続けてやってきたのは、渋谷行きの急行、3713Fです。縦書の方向幕同様、丸急のサボも、今となってはなつかしい限りです。井の頭線の急行は、ぼくが井の頭線で通学している頃に登場したのですが、途中駅に通う学生にとっては、デメリットこそあれ、なんらメリットがなく、なんかイヤな感じでした。もっとも、急行ができてから、渋谷〜吉祥寺間の移動は井の頭線、というイメージが定着したわけですから、一般的には意味が大きかったのでしょうが。


次に来たのは、駒場東大前駅付近で交換したのか、吉祥寺行きの急行です。残念ながら画質が悪く、車輛番号を識別できません。この時代は3715Fまでしかいませんでしたから、どちらにしろ、今はなき編成には間違いありません。こうやって周囲の全体像をみると、なかなかローカル色が強い景色だったことに、改めて驚きます。線路こそ、複線でPC枕木と立派ですが、枕木利用の柵や木製の電柱、周りの木々など、地鉄ムードすら漂っています。そう思うと、3000系が今地鉄で活躍しているというのも、まんざら故ないことではないという気もしてきますね。


最後は、デハ1806を先頭とする4連の、各停吉祥寺行き。いよいよお目当ての「グリーン車」の登場です。井の頭線は、「湘南顔」ばっかりなことも、カメラを向けたくない一つの理由でしたが、そんな中では、デハ1800は一抹の清涼剤でした。デハ1806号は、最後は編成中に封じ込められてしまったものの、グリーン車の最末期まで生き残りました。電車もさることながら、踏切待ちをしているペプシコーラの配達車も、60年代〜70年代らしい雰囲気で、こっちの方にもつい目が行ってしまう方も多いのではないでしょうか。


(c)2005 FUJII Yoshihiko


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