京都市電・京阪電鉄京津線 -1974年12月-


「記憶の中の鉄道風景」も、おかげさまで、今回で2年目に突入です。というワケで、かねて予告の通り、すこし趣向を変えてみました。今回は、東京近郊の鉄道風景ではありません。写真に色がついています。おまけに構図も縦位置が中心です(余り関係ないか)。この写真は、大学生になってからの冬休みに、関西在住の友人を訪ねて、関西方面に旅行に行った時の「余り駒」なんで、時期もちょっと違います(でも、ギリギリで昭和40年代だけど)。この時期は、まだ北海道には現役の蒸気機関車が残っていましたが、この年の夏に九州に撮影に行ったのを最後に、「撮り」に関しては「ほとんど燃え尽き状態」となってしまっていました。で、撮影旅行ではない旅行をしてみたりしたわけです。とはいっても、このときの京都では、梅小路蒸気機関車館をはじめて訪ねてみるのが、目的の一つだったりもしてるのですが。てなわけで、梅小路から出てきたところから話は始まります。



梅小路蒸気機関車館を見学した後、市電に乗って移動すべく、ほど近い七条壬生通の電停にやってきました。七条通りの京都駅前方面を見渡すと、停留所には4系統烏丸車庫行きの1900型1920号が止まっています。4系統は、この年の春、地下鉄工事開始に伴い、烏丸通りを下ってくる部分が廃止になり、京都駅前から烏丸車庫までの区間に縮小されました。まるで「連結二人乗り」のごとく続行しているのは1600型のようです。この日は、小雪のちらつく曇天で、光線状態も最悪ですが、かえって冬の京都らしいかもしれません。


一コマ目と同じ、1900型1920号が、信号が青になるとともにスタートしたところのアップです。京都市電は、大都市の路面電車のなかでは、いちばん最後まで路面で営業していましたが、この1920号は、1978年9月30日の京都市電最後の日まで生き残り、最終日にはお別れ記念の装飾付きで活躍しました。それどころか、その後同番号のまま広島電鉄に譲渡され、冷房化された上で今でも活躍しています。よく見ると、北向きの商店の屋根の上には、雪が積もっています。袖口から、寒さがじっとりと入り込んできそうな気配です。


今度は西側に目を転じると、8系統東山七条行きの1600型、1610号がやってきました。この先では七条通りと山陰本線がクロスしているのですが、市電はアンダークロスするのに、道路は踏切という、珍しい構造です。4系統の烏丸車庫に対して、8系統は九条車庫の担当で、それぞれ北の端と南の端から、七条通りを目指してやってきました。この区間が廃止されたのは、1977年9月30日でした。それにしても、市内のかなり太い通りというのに、前のコマにしても、このコマにしても、写っているクルマは圧倒的に商用車ですね。このあとは、友人との待ち合わせ先に、市電で向ったのでした。


さて、これは明けて次の日。この日は、京都市内の観光と、模型店めぐりが中心でした。前日よりは、ちょっとだけ天気も落ちついているようです。ということで、いろいろ市内を廻っている途中で撮影した、京阪電鉄京津線の260型276号です。偶数号車が先頭なので、これは三条行きの「準急」ですね。京津線も、地下鉄東西線乗り入れ以来、全く変ってしまいましたが、この「京阪特急色」の京津線も、さらにそれ以前の記憶というところでしょうか。平坦で専用線ということは、山科付近でしょうか。さすがに、世田谷線とは違い、現地に考証に行くワケにも行かないので、推定でお許しください。こうやって中焦点でとらえると、強力なガニ股感が、インターアーバンをルーツとする、往年の関西民鉄の面影を感じさせます。


(c)2005 FUJII Yoshihiko


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