多チャンネル時代の番組視聴と媒体価値



・多チャンネル時代の視聴形態
日本でも衛星ディジタル多チャンネル放送がサービス開始され、新聞や雑誌は、本格的な多チャンネル時代を迎えたと書き立てている。それらを読むと、オオカミ少年よろしく、日本のメディアが大きく変わると騒いでいる。かつてのニューメディアブームや衛星ブーム、最近のインターネットブームと、さすがに良識ある人には、この手のハナシは食傷気味でさえある。果たして、このような新しい技術や、それに裏打ちされたサービスは、本当に視聴者の番組選好に変化をもたらすのだろうか。この問題について考えてみよう。
マーケティングの基本的手法の一つとして、ABC分析などの「売れ筋分析」がある。それらの分析結果を見ると、慢性的に物不足の時代はさておき、潤沢な供給を前提とするなら、商品アイテム数が多くなればなるほど、どんな商品もまんべんなく売れることはありえないことがわかる。よく「ニッパチ(2・8)ルール」と呼ばれるが、売れゆき上位2割のアイテムで、売上額の8割を稼ぎ出すというように、マスをつかむ少数のアイテムと、ニッチ的に支持される多数のアイテムに、商品群が分かれるのが一般的だ。これは、多数の人間を母集団とした場合には、人間の行動様式から見て、嗜好や行動の傾向は、正規分布にしたがってマスとニッチに分かれてしまうことに基づいている。
したがってこのルールは、商品だけでなく、多様化したサービスやタレントの人気といったカタチのないものへの嗜好にも応用できる。当然、多チャンネル化して選択できる番組のアイテム数が広がった場合の番組視聴の分析にも適用できる。1980年代、CATVの普及によりすでに多チャンネル時代を迎えていたアメリカでは、83年に発表されたC.ヒーターのチャンネル・レパートリー理論に代表されるように、視聴行動分析の中で、この傾向が顕著に認識されていた。チャンネルが増えて視聴者に届く番組の数が増えても、それらが皆、今のテレビのようにマスをつかまえられるワケではない。そもそもチャンネルが増えても、生活時間や所得が増えるわけではないのだから、考えてみればわかるだろう。

・マス市場はすでに満席だ
ここで重要なのは、そもそもマスから支持される番組と、ニッチ向けの番組とは構造的に異なる点だ。マスの視聴者を引きつける番組は、単に映像があるだけではダメ。エンターテイメントとして優れた、おもしろい番組でなくてはならない。既存のテレビも、日夜激しい視聴率競争を繰り広げている。その中ですべてが当たっているわけではない。電波だけあっても、作り手の勝手な思い入れだけでは、誰も見てくれない。したがってヒットするには、多額の製作費をかけ、優れた能力を持ったスタッフやタレントを確保することが必要になる。アメリカにおいてもこのような番組は、資金力や制作力を持つ3大ネットワークや、ハリウッドの制作プロダクションでしか作り得ない。
実際、アメリカのCATVでの視聴率をみると、マスと呼び得る視聴者を集めているのは、やはり3大ネットワーク系のチャンネルと、地上波独立局のチャンネルだけだ。純粋なCATV向けサプライヤのシェアは限られたものがある。確かにCATVの普及によって3大ネットワークのシェアは落ちた。しかしこれは、ケーブルによる再送信で視聴可能エリアが増えた独立局が、シンジケーションの人気番組を受け入れることで競争力を増したため、ネットワーク系の局に匹敵する視聴率を獲得できるようになった結果であり、決してCATVサプライヤに喰われたのではない。
もっとはっきりいえば、アメリカのテレビ市場に対して、マス向けの番組を提供するチャンネルが3系列というのは過小であった。だからこそFOX-TVのようなシンジケーション型ネットワークが参入する余地があった。日本のようにマス型として民放5+NHK総合の6、準マス型として衛星2、教育1、WOWOW、さらに広域圏U局ネットまである日本では、これ以上マス型の成り立つ余地はないと言っていいだろう。
さらにこれらに次ぐニッチ型のテレビとして、CS放送やCATVへの番組供給を行っている事業者があるし、オンラインでサービスこそしていないものの、VシネマやOAVといったパッケージで提供されているオリジナルソフトや、ビデオマガジン等も多い。これらの映像は、ディジタル化・多チャンネル化により伝送コストが安くなれば、こぞって「放送化」するだろう。彼らが目指すものがマスではないからこそ、当然ビジネスチャンスはある。

・テレビが学ぶべきヒントはどこにある
視聴者が生身の人間であり、一朝一夕には人間のサガが変わらない以上、今後ディジタル化、多チャンネル化、高精細度化がいかに進んだとしても、この視聴における「ニッパチ・ルール」の原理は変わらない。そして番組供給者数が増大すればするほど、多額の資金を持ち、マスを捕まえるパワーのある番組を提供する少数の大規模供給者と、ニッチ層をウマくつかまえて事業化する多数の小規模供給者との棲み分けは一層進むだろう。
この競争の行く末を見る上で、ヒントとなるのが雑誌だ。このところ、雑誌の創刊廃刊ブームが続いている。専門誌、女性誌を中心に雑誌数は増加の一途をたどっている。しかしその裏では、5誌創刊される一方で3誌が廃刊されるという、激しい競争が繰り広げられている。この激しさをもたらしているものは、雑誌の流通構造だ。取り次ぎ、販売店という流通ルートが完備しているため、編集・制作さえできれば容易に新雑誌が創刊できる一方、一旦店頭に並べば、すぐに競争の結果がでてしまう。これが競争を加速している。
今後の多チャンネル化がもたらすものは、いわば、このような映像番組の雑誌化だ。ディジタル化により、番組制作に必要な技術上の手間やコストは、大幅にダウンした。スタジオや送出機材への巨額な設備投資はもう必要ない。おもしろいコンテンツの中身を生み出せるセンスとノウハウ、そして制作に必要な資金力さえあれば、プログラム・サプライヤへの参入はぐっと容易になる。
しかし、それは一方で競争の激化を生むとともに、限られた「能力ある人材」の取り合いとなる。プログラム・サプライヤにおける自由競争とは、参入の自由と、撤退の自由にほかならない。雑誌の創廃刊ブームのように、多くのサプライヤが次々と参入するとともに、採算に乗らないと見るやあっさり撤退するものも多くなるだろう。
このような競争が激しくなれば、当然雑誌と同様、少ない資金で小回りの効く、専門番組指向、クラス番組指向を生み出す。事実この五年程度を見ても、アメリカのCATVへのプログラム・サプライヤの栄華衰勢や、総合編成から専門編成への傾斜にはオドロくべきものがある。少ないマニアをがっちりつかむためには、アイディアと専門分野の知識が必要だ。この両者を持つ人材はやはり少なく、既存雑誌編集業界が強みを発揮するだろう。

・媒体価値のとらえかたが変わる
さて、テレビ放送の「雑誌化」はこれだけではない。同じ雑誌なら、書店で買おうが、駅のキオスクで買おうが、コンビニで買おうが、読者にとっては同じだ。媒体としての雑誌のサーキュレーションを考える場合にも、一応販売ルート別の売上シェアデータもあるが、それはあまり重要ではなく、指標としては全部で何部出ているかが重要になる。雑誌が読まれる上では、どこで買ったかは問題にならないからだ。雑誌のメディアとしての特性は、流通チャンネルには左右されない。今まで番組に関しては、それが届けらけるチャンネルが重視されすぎてきた。確かにかつてのように、厳しい許認可規制により、制作から送出までの垂直統合を余儀なくされた時代ならそうかもしれない。しかし、ディジタルによる多メディア化・多チャンネル化が現実の問題となった今では、時代遅れの考えかただ。
これからはテレビの視聴も、それが届けられるチャンネルではなく、番組の中身単位で考えなくてはならない。地上波を直接受けようが、CATVでの再送信だろうが、衛星からこようが、同じ番組なら視聴者に与える楽しみや感動は変わらない。ましてや、その送信方式がディジタルだろうがアナログだろうが見てるほうからすれば変わりがないのはいうまでもない。もちろん、その番組とともに露出されるCMも、あらゆるチャンネルを足し合わせた、番組を見ているすべての視聴者に対して効果があるのもいうまでもないだろう。もしそれが違うというのなら、全国でネットワークを通して同時に見ている視聴者への効果をまとめ買いする「ネットワークセールス」など、そもそも成り立たないではないか。
時あたかも、個人視聴率の導入が現実のものになった。個人視聴率調査により正確なデータが得られるのならば、ターゲット単位、番組単位で、確実な効果を測定できる。全国展開はもちろん、地域を限った展開でも同じことが言える。ケーブルでの再送信でも広告効果は上がる。この面でも、もはやインフラにすぎないメディアそのものの効果を問う時代は、確実に終わりつつあるといえるだろう。まさに、個々の番組の持つ個性やパワーが、直接メディアの価値として問われる時代がやってきつつある。


月刊ニューメディア 96年10月号



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