南の庫から 門司機関区'72春


門司機関区は、幹線筋にありながら、主として日田彦山線で使われていたD51、C11を中心に、かなり末期まで蒸気の配属がありました。日田彦山線は、石灰石輸送でそこそこ列車密度も高いし、それなりの勾配のある好撮影地もあったりしたのですが、筑豊地区というと、それ以上に撮影したい線区は多く、両手近く九州に撮影旅行に行ったぼくでも、丸一日を撮影に割いたのは、一回しかありません。門司機関区は、主要機関区らしく、見学・撮影の許可がおりない機関区の一つで、今回のカットも、並行して走る鹿児島本線の列車の中からの撮影です。おまけに、そういう事情でカメラもサブサブのコンパクト+ネガカラー。その後のネガの保存も悪いので、最悪のコンディションとなってしまっています。それでも、今となっては貴重な記録ということで、お許しください。では門司機関区、いってみましょう。



門司機関区は、東京機関区のように、本線の上下線の間に挟まった場所にあります。そういうわけで、本線を通過する列車からは、機関区や、そこに続く門司の貨物ヤードの様子が、パノラマを見るように伺えます。とはいっても、こういう状況では、眺めるのは楽しくても、ちゃんと写真を撮るのはけっこう大変です。まずは給水スポートの脇でたたずむ、門司機関区のD51375号機。標準門デフを装備した、九州らしいカマです。大きく盛り上がったアス殻が、機関車の出入りの多さを示しているかのようです。


門司区にいたD51875号機が、ナンバープレートを外された状態で留置されています。第二種休車でしょうか。それとも、すでに用途廃止になっているのでしょうか。同じような運命のC11たちに囲まれていますが、まだ留置してそんなに時間が経っていないのか、それほど荒れた状態ではなありません。冬の北海道なら、充分現役レベルの外観です。この頃になると、蒸気を使用している線区では、全険切れのカマを廃車し、まだ期限の残っているカマを無煙化された他線区からかき集めて使う「使い捨て」が日常化していましたが、なんともわびしいモノです。


関さんのいわゆる「K-9デフ」を装着した、D51924号機。長崎本線の無煙化で、鳥栖区から門司区に移動してきたカマです。出区したてのようで、増炭板で寄せた中に、まるで筑豊炭鉱のボタ山のように高く盛り上げた石炭が、いかにも九州らしさを感じさせます。チラリと右端に写っている、「真っ黒なワム80000」も、蒸気の時代を思い起こさせる風物詩。それにしても、この鉄色の色味。まるで、「乗工社のD51」のフィニッシュのようですが、これこそ九州のカマらしい色。模型で再現するには、もろグレーに塗ってはいけません。シルバーでもありません。ポイントは、白のドライブラシですよ。


門司区といえば、かつては九州の玄関口のキーパーとして、鹿児島本線の特急をはじめ数多くの列車を担当し、最も重要な機関区だった時代もありました。その威厳を示すかのように、超大型のラウンドハウスが、ずっと残っていました。下り線から垣間見る、ラウンドハウスの威容です。詰所前に駐車中のホンダN360には、妙な時代感とリアリティーがあります。というか、模型で再現する昭和40年代てな感じで。ターンテーブルの上には、標準デフのD51が乗っていますが、この状態では、ちょっと機番の比定はできませんね。


大型の給炭塔もまた、かつての本線を支えた主要機関区としての栄華をしのばせるもの。石炭も、セラで直接運び込んでいた様子が伺えます。奥に見えるD51は、イマイチ、番号が判読できませんが、一桁目が「1」に見えるので、門司区でいうと、160、175、199のどれかということになります。正面のナンバープレートの感じからすると、160号機でしょうか。バックには、電気機関車用の機関庫がそびえていますが、これもまたかなりの規模ですね。


一瞬顔を見せたのは、門司区のD511021号機。入換作業の真っ最中という感じで、誘導員がステップに乗っています。暖地での誘導は、このようにステップにぶるさがって、カラダを全て機外に晒して行いました。これが降雪時に危険なので、北海道ではデフを切り詰めて、フロントデッキ上に誘導員が乗れるようにしたワケです。ところで吉松にいた1038号機にしろ、D51戦時型の門デフというのは、カマボコドームのゴッツさや、船底テンダーの腰高感と妙にマッチして、けっこう似合う感じがします。


これは、ちょっと門司からは外れているようですが、オマケで。黒崎・折尾間で、鹿児島本線と筑豊本線からの短絡線とが合流するヤードのあたりでしょうか。直方機関区のD6025号機が入換中です。この時期、D60も北九州でしか見られない形式となっていましたが、けっこう輌数が集まっているので、必ずしも「希少」というワケではありませんでした。それより、一輌一輌仕様が違うので、好みの機番のヤツを撮影できるかどうか、というほうが気になったりしたものです。それも、今となっては贅沢な話なのですが。



(c)2008 FUJII Yoshihiko


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