苗穂駅通過! -1973年8月-


羽越本線シリーズは前回で打ち止めとなってしまいましたが、次もまた撮影旅行でない時に撮ったネガカラーでのカットで行きたいと思います。これまた家庭の事情ですが、親戚の冠婚葬祭で札幌に行って「写真班」をやったついでに、行き帰りで撮ったカットをお届けします。これ高3の時で、夏休みだったのでどうせ一泊なので息抜きということで一緒に行けたものと思われます。本当に札幌近郊の函館本線で、それも本当についでに撮影したようなカットしかありませんが、それはそれ。当時の札幌周辺の函館本線は電化区間とはいえ、電気機関車の絶対的輌数の問題と、周辺区間や貨物線は未電化だった関係もあり、貨物列車については蒸気機関車牽引のモノの方が多く、運用の都合から一部旅客列車も蒸気機関車が牽引していました。とはいえ登場する機関車はほとんどがD51で、一部区間で9600も顔を出すという感じです。当時はまだ道内では蒸気機関車が数多く現役でしたので、わざわざこんな区間で撮影する人も少ないんじゃないかと思います。そういう意味では、貴重な記録かもしれません。では、その第一回目はここから。



苗穂機関区、苗穂工場は、函館本線を走行中の列車の車窓から、ずっと眺めることが可能です。これはJRになった今でも変わりません。今回は札幌方面に向かう上り列車から、苗穂駅通過時に見えたものに、順次シャッターを切っていった記録です。全部で8カットありますが、これは、本当に「ほんの一瞬」の出来事です。まずは、苗穂機関区のラウンドハウスとターンテーブルが目に入ってきました。ターンテーブル上には、ちょうど出庫準備で方向転換中の機関車が載っています。カマは、鷲別機関区のD51900号機。前年の10月に秋田から転属してきたカマで、それまでは羽越筋で活躍していました。なんか、前回から話が繋がってていますね。


列車が少し進んできて、ちょうどターンテーブル上のD51の正面に来たところでワンカット。900号機の北海道での活躍は、ほぼ一年間だったので夏姿はこの73年の夏だけです。北海道のキリ番は意外と限られています。900番はその中でも活躍時期が短く、貴重かもしれません。でも、広域配転で1年間の使用でも、踏段改造をはじめちゃんと北海道型の酷寒地装備に換装しているんですから、組合対策という面もあったのでしょうが、それなりにコストをかけていたのには驚かされます。逆に九州では、築港のC12が可動式スノープラウを付けたまま活躍してたりしましたが。本線の基幹機関区(おやじギャグではないぞ)だけに、立派なラウンドハウスが目を引きます。


当時北海道の鉄道貨物需要は、そのほとんどが対内地のものか対札幌のものかどちらかで、道内拠点間の輸送は相対的にシェアが限られていました。対内地のものも、一旦札幌に集めてから首都圏行き、京阪神行きと分けられていましたので、札幌には道内各地から列車がやってきました。当然苗穂機関区に入ってくる機関車も、長万部、鷲別から、滝川、旭川あたりまで、道南・道央のいろいろな機関区の所属機を見ることができました。まあ、D51ばかりですが。苗穂機関区自体の所属機は、千歳線の補機と臨時運用に使われるC57、C58と、入換用のC11しかいませんでしたが、他区の機関車が入れ代わり立ち代わりやってくる様は活気を感じさせました。


さて、ラウンドハウスを過ぎると、今度は出庫線が見えてきます。北海道特有のスタイルで、ほとんど車輌限界一杯に石炭を積み上げたD51が、ここから見える範囲でも5輌勢ぞろいし、出番を待っています。1975年末に迫った、本線上の旅客・貨物の無煙化まであと2年半。この時点でも、札幌市内でまだこれだけ蒸気機関車の天下が続いていたと思うと、感慨深いものがあります。これ以降74年春を過ぎると、一部のローカル線を除き、蒸気機関車の主役としての活躍が見られるのは、北海道だけになってしまいました。それからはじめて蒸気の撮影をした方も多いかと思います。模型でもこういうシーンを再現したいものですが、ModelsIMON製のD51でこれをやると200万円近くかかってしまいそうですね。


さて、出庫線のカマをアップで捉えます。先頭はナメクジの1次型。他地区だと、1次型というだけでほぼ機番を比定できてしまうことも多いのですが、さすがに北海道は1次型が多かっただけにそう簡単にはいきません。この時期は臨時運用も多いのですが、苗穂に来ている可能性が高い解放キャブの1次型は、小樽築港機関区の59号機か70号機。エンジン部はこの両機ともよく似た仕様なので判別が難しいですが、この両機はテンダの増炭板の形態が違います。高く短い59号機に対し、低く長い70号機。このカマは低く長い形態ですので、70号機と比定いたしました。その後ろは、極めて一般的な仕様の標準型なので比定のしようがありません。ただ、キャブ屋根の延長が土橋工場仕様のように見えるので、比定は可能と思いますが、私にはそれを考証するだけの資料がありません。


次に見えてきたのは、入換中のD51型式。庫内手が踏段改造の正しい使い方で乗務しています。このカマはクセが強いので、機番の考証ができそうです。カマボコドームですがスポーク先輪なので、準戦時型。丸穴モーションプレート。それだけでなく、個性的な仕様が随所に見られます。大きく縁取りのないバイパス弁点検穴。九州のようにランボードの上に載ったオイルポンプ箱。カバーのない逆止弁。極めつけは、通常と逆の位置に、カマボコドームの縁に合わせて取り付けられた、ボイラ上手摺り。これだけクセが強いカマなら、資料さえあれば勝ったも同然。機関車表と過去の配置表から、この時苗穂に顔を出す可能性のある機番をリストアップし、グーグルで一つづつ検索。ありました、D51857号機です。倶知安と築港を行ったり来たりしてましたが、この時は小樽築港配属です。



苗穂の駅の構内は外れて、列車は段々と札幌の駅の方に近づいていきます。そこで追い抜いたのは、苗穂機関区所属のC1199号機。完全に逆光でシルエットになっていますが、ナンバーはかろうじて読めますし、これはこれで補正しない方が雰囲気があると思い思い切ってトーンを落としてしまいました。でも、キャブの扉も窓も開きっぱなしという九州のような雰囲気と、北海道のC11ならではの装備が見えるシルエットの組合せというのは、わかる人にとってはなかなか興味を惹かれます。夏の北海道ならでは、というイメージですね。でも、これで夏の北海道を感じるというのは、ある意味マニアックな世界かもしれません。普通の人はわからないよね。



この当時苗穂機関区にはC11が2輌配属され、札幌・苗穂地区の入換・小運転を中心に活躍していました。苗穂機関区の配属機はC11、C57、C58でしたが、幹線の主要駅に結び付いた機関区らしからぬ、丙線地区のような感じですね。とはいっても、そういうイメージを理解できる方も、もう限られているのかもしれませんが。99号機は2次型ですが、比較的末期まで残ったC11型式でも、2次型は少なかったですね。軸重が軽めで空転しやすいとか、途中での使用目的/設計変更の影響が残ったのでしょう。北海道ではこの99号機だけでした。そのワリには全検期限が残っていたのか、このあと日高本線に移って、かなり末期まで使われていました。


(c)2016 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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