四条の煙が行き交う路 -筑豊本線 折尾-中間間 1971年12月15日(その1)-


筑豊本線折尾-中間間の未電化複々線区間で撮影した全カットをご紹介するこのシリーズ。前回で最初にこの区間に足を運んだ1971年4月1日の分は完結したものの、今回からは同じ年の12月に足を向けた二回目の訪問でのカットをお届けします。そう簡単には終わらないんですよ。とはいえ、さすがにこの区間で撮影したのはこの2回だけ。しかし若松機関区にC55形式が配属されていた間は、やはり撮影効率も含めて欠かせないし、九州入りして最初に撮る肩慣らしとしても絶好の区間。流石に全く同じコースでは同じパターンになってしまうので、今回は中間駅から折尾方面へと歩きはじめます。基本的に夜行急行「西海2号」で山陽路を抜けるパターンは同じですが、中間まで一駅乗ってから折り返す行程。冬休みの九州は夜明けが遅いので、いずれにしろ折尾で降りてすぐに撮影はできませんからバリエーションとしては適切だったのではないでしょうか。



中間駅を降りてまずやってきたのは、若松方面の上り線をやってきたD60が牽引する旅客列車。この時期の筑豊本線の機関車運用はかなり「何でもあり」でC55形式の牽引する貨物列車や、D60やD51の牽引する旅客列車というのも頻繁に見られました。複線以上でそこそこ列車密度も高いので、ほとんど平行ダイヤになってしまっていたので、どちらでも牽けたということなのでしょう。それにしても、D60の牽引する旅客列車に乗れるというのは、この時代でもここでしかできない贅沢だったわけで、撮る以上に乗るのが楽しかったという記憶があります。遠くに小さく中間駅の跨線橋が見えています。それにしても10輌編成。通学列車でしょうがこの時代の輸送力にはびっくりします。


若松行きの上り旅客列車を牽引しているのは、直方機関区のD6069号機。このカマは新製配置以来、9932/D5033号機だった時代を通して北海道で活躍、追分機関区所属時にD60形式に改造されてからも、池田機関区で活躍と筋金入りの道産子だったものが、1959年に出水機関区に転属以来一転して九州一筋の活躍という、北と南に足跡を残した一台。この時点ではかなり九州のD50/D60らしくなっているが、化粧煙突に延長が無かったり、ぶっきらぼうに角穴を開けただけの苗穂式バイパス弁点検穴など、要所に北海道時代の痕跡を発見することができる。この時間は、まだヘッドライトが点灯しているのも面白い。


おなじみの折尾駅折り返しの香月線直通下り列車が、若松からの下り線にやってきました。今回も運用に入っているのは、春に来た時と同じ若松機関区の88622号機。結局香月線直通列車は、この2回しか撮っていませんから、88622しか撮っていないことになります。こういう「妙に相性のいい」機番ってあるんですよね。何回行っても必ずやってくるカマ。何回行っても一度も出会えないカマ。巡り合わせは不思議なものです。このカマは正面のプレートがAC6425様式で人気がありましたが、テンダのナンバープレートはAD66398様式。房総地域での活躍が長かったので、大宮工場製のものでしょうか。九州ではおなじみの小倉工場製のとはかなり感じが違いますね。


黒崎方面からの下り線を、直方機関区のD6046号機が単機回送でやってきました。これもまだ前照灯を点灯しています。さっきの88622号機も、テンダのヘッドライトを点灯していれば面白かったのに、ちょっと残念かも。こちらはD50157号機だった時代、戦前から戦後にかけて関東エリアで活躍し、戦後1953年に渡道し追分機関区に転属しますが、すぐにD60形式に改造。池田機関区で活躍したのち、これもまた出水機関区に転属となって1964年に九州入りします。69号機より九州歴は短いのですが、こちらのほうがどちらかというと九州っぽい装備になっていますね。C53タイプのキャブは、個人的には気に入っています。


またまた若松方面への上り旅客列車が続けてやってきました。これも長い編成ですね。北九州市内への通学時間帯がまだ続いているのでしょう。牽引しているのは、若松機関区のD51225号機。春には残ったD50の運用にD51も混じってやってくるという感じだったのが、この半年ちょっとで大きく変わり、72年の春にはC55やC57が使われていた運用も含めて、若松機関区はD51の天下となります。225号機は小倉工場製で、九州一筋の生え抜き機関車。西九州で長く活躍していましたが、この年の秋に早岐から若松に移動して来たばかり。今は直方で保存されています。


続けて若松方面への上り線に、セラを連ねた貨物列車がやってきました。牽引するのは若松機関区の49654号機。中間駅で停車して発車したところなのでしょうか、けなげに力行しています。複々線区間なので自動閉塞ですが、若松方面用と黒崎方面用と、別の線の信号機をこうぴったりと並べてしまっていいのでしょうか。遠方からの視認・識別性が極めて問題なんじゃないかと思ってしまいます。実はこの区間、結構街中で家並みとかすぐそばまで迫っているのですが、こうやってみるとけっこう荒涼とした風景に見えてくるから面白いモノです。段々と陽射しも出てきましたね。


近くまで来たところで、ちょっと遊びのカット。バックに見えるのは黒崎方面への上り線が若松方面への下り線をオーバクロスする立体交差の築堤ですが、電柱やましてや架線柱がないので、単なる切り通しに見えますね。そう思うと、いかにもジオラマ然として模型っぽく見えてきます。さっきは力行していたのが、もう加減弁を閉めてますが、それも模型っぽくていいかも。49654号機は昭和一桁の頃まで中部地区で活躍した後九州に転じ、それ以降は一貫して九州で活躍してきました。最後は後藤寺機関区に移動し、田川線の最末期まで活躍しましたから、撮影した方も多いかと思います。



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