南の庫から 直方機関区'71春 その1 -1971年4月1日-


のっけからレギュラー化宣言をしてしまった、この「南の庫から」。まあ、ネタは相当にありますので、九州島内を北から南へ、機関区の中や、駐泊所のある駅で撮影したカットを、撮影地ごとにご紹介しましょう。ということで、若松機関区に続く第二回は、直方機関区。撮影日も前回と同じ、その夕方の撮影です。この時のネタも相当あるので、早くも2度に分けての登場。まずは、当時はまだ筑豊本線の主という感じだった、D60を中心にお届けします。では、1971年4月の直方機関区、いってみましょう。



直方機関区は、カマの出入りが多く、簡単には見学が許可されない機関区の一つでした。とはいえ、機関区を見通す絶好の位置に陸橋があり、ここからならいくらでも撮影ができます。それだけでなく、通常の鉄道撮影ではやりにくい、「模型視線での撮影」が楽々できてしまいます。ディティール加工の資料としても、なかなか得難い構図のカットが撮影できます。ということで、まずは標準的なデフと化粧煙突がオーソドックスな味を出している、D6022号機。この角度から見ると、汽車会社製の角ばったサンドドームが、一段と角張って見えます。見下ろしたときの狭軌感というのも、相当なものであることがわかりますね。


その左側には、巨大な給炭塔がそびえ立っています。数々の支線から、ひっきりなしに列車が集まってくる、筑豊地区の要衝としての直方の象徴とも言えるでしょう。観覧車のようにバケットを連ねたコンベアが塔に石炭を運び、いかにもアナログでメカニカルな印象を与えています。佇む機関車は、D6032号機とD6071号機。奥には何輌か、9600型も見えています。いかにも「蒸気機関車が働いている」という印象です。右側には石炭車のセラが見えますが、これは機関区に石炭を運んできたものです。九州では、2軸・底開きの石炭車を使っていたので、機関区への石炭の配給も、そのまま石炭車でまかなえるようになっていました。だから、ED76の牽く貨物列車に、1〜2輌だけセラが連結されている、という編成もあったんですよ。


そのまま視線をずらせば、駅のホームも見えます。C11の牽引する伊田線の旅客列車が、今まさに発車しようとするところ。番号が判別しがたいのですが、形態からして戦時〜戦後型ですし、ナンバーの1桁目は「3」と読めそうなので、直方のカマとすると341号機でしょうか。筑豊のC11については、特定番号を考証する資料がないので、なんともいえません。バックに見える「日通営業所」も、今となってはなつかしい限りですし、機関車の上方に看板の見える「火薬店」も、炭鉱の街らしい存在です。居並ぶ貨車の先頭、画面の右端のところには、当時直方に3輌だけ配置のあったDD13のボンネットが、ちょっとだけ写っています。


先程の2輌のD60が、すこし位置を前進させてきました。今度は、非公式側から、多少寄り気味でのカットです。大正期の機関車は、その後の装備改装で一輌一輌個体差が大きいのが魅力ですが、こうやってみると、この2輌もけっこう個性を競っています。22号機といえば、前方をカットし通常の点検穴を開けたデフに、パイプ煙突。71号機は、標準的なデフですが、点検穴は蓋つき。煙突も、オリジナルの化粧煙突です。正面でいえば、それだけでなく、ナンバープレートの位置や、ハンドレールの取り付けも違います。清缶剤投入装置の位置や、ボイラ上に登る点検はしごの位置、キャブの窓等々、きりがありません。そもそも、D60に改造する前、D50の頃に、どのエリアにいたかで相当に装備が違うのですから、これは興味が尽きません。


最後は、撮影の向きを変えて、ターンテーブル上のD6033号機です。バックには、何輌もの9600に混じって、D51の廃車体も置かれています。珊瑚模型店から、先日16番用の精密なターンテーブルが発売され、12mm用の発売予定もアナウンスされています。そういうとき、けっこう困るのが「上から見た構図」。模型は、2/3以上この角度で見ることになりますが、なかなか資料がありません。これでも、ナンボかご参考になれば幸いです。こうやって見ると、33号機もまた微妙に違いますね。挿し蓋つきのデフ点検穴というのは、D50、D60では時々見ますが、これもD50時代のどこかの地方の特色なのでしょう。



(c)2007 FUJII Yoshihiko


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