南の庫から 直方機関区'71春 その2 -1971年4月1日-


予告通り、今回は前回の続き。今度は、直方駅構内からのショットです。当時は世間がまだおおらかで、列車に支障しない限りは、構内で撮影していても大目に見てもらえました。夕方からの撮影でしたので、このアタりの時刻になると日没も近く、写真でも段々と夜闇が迫ってくる感じが伝わってきます。では、1971年4月の直方機関区、二発目をいってみましょう。



まずは最初は、D6034号機の非公式側。当時の直方機関区には、前回のカットに写っている32号機、33号機に加え、31号機まで四連番で所属していましたが、いずれもパイプ煙突に、先端を三角にカットしたデフという、特徴ある仕様で印象的でした。それでも、元が大正期のカマだけに、細かいところは各者各様、個性もあふれています。それにしてもこの角度からみると、煙室周辺のイメージは、「煙突を短くした、16番のC54」という感じ。これはこれで、オリジナルの重厚な感じとは一味違う、スマートなイメージともいえるでしょう。個人的には、この仕様は好きです。16番では、作ったこともあります。


続いて、ほぼ同じ場所で捕らえた、行橋区の79668号。9600のラストナンバーの一つ前、C5058号機の「波に千鳥」のデフを譲り受けてからの姿です。とはいっても、実際の「模様」はこんな状態でした。これだと、磨きだすより塗りつぶした上で、ドライブラシとかで浮き立たせたほうがリアルでしょう。天プラの79668とか買おうと思っている人、よく見ておいてくださいね。ところで、これも前照灯はLP42です。9600の場合、九州でもLP42はけっこういるんですよ。それにしても、バックにそびえる「トランス・タワー」とでもいえるような四角な木製電柱。そそるものがありますね。エバーグリーンのプラ棒材でも使って、サクッと作ってみますか。


さて、視線を筑豊本線のほうに転じると、直方区の49619号機の牽引する石炭列車がやってきました。この時期の筑豊本線経由のセラは、石炭を積んでいます。末期の田川線とかは、セラといっても石灰石でしたが。49619号機は、「前上・中上」という、九州では比較的珍しいタイプのタンク位置です。「前上」というと、北海道っぽい感じもしますが、九州でも「後上」よりは数はいました。タンク位置の違いは、空制化改造した工場の違いだと思うのですが、これに関してまとまった資料を見たことがありません。一度キチンと調べてみたいものです。


筑豊地区では、蒸気時代の末期まで、C11が当初の目的である「短距離の旅客フリークェントサービス」に活躍していた路線が多く残っていました。3次型以降では、支線区の貨物用に主目的がシフトされてしまいましたが、こっちが元来の用途です。1930年代の京阪神圏で、電車を補完する通勤列車で利用されていたことなどは、これを反映したものです。カマは、伊田線経由でやってきた行橋区のC11293号機。ヘッドライト両側の通風孔と、コールバンカーの増炭板が、いかにも九州のC11という風情をかもし出しています。ところで、ずらりと並んだ3灯色灯式の出発信号機。筑豊本線は、未電化ながら複線なので自動閉塞でしたが、古き良き時代の未電化幹線を思わせる迫力ですね。


最後は、直方駅に進入する、門司港発原田行き1741列車。牽引するのは、若松区の1次型、C5519号機です。かつて若松区といえば、ずらりと1次型のC55を揃えていた時代もありますが、この頃は宮崎区から転属してきた3次型と交代し、19号機のみが現役でした。九州全体でも、もはや若松の19号機と吉松の10号機しか、1次型は残っていませんでしたが、この両機とも九州では珍しい、標準デフの1次型だったというのも奇縁でしょうか。九州とはいえ、4月アタマでは、18時半になると走行写真は厳しい状態です。このあとは、この列車に乗って、飯塚までいって泊まりました。 



(c)2008 FUJII Yoshihiko


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