広島・昭和40年夏(先史遺跡発掘シリーズ その4) -1965年8月-


のっけから個人的な話で恐縮ですが、ぼくの父の家系は、祖父の出身地が山口県、祖母の出身地が広島県と、そのルーツは山陽路にあります。まあ詳しい人なら、「藤井」といえば、広島か山口の出身だろうと容易に想像つくのですが。したがって、彼の地には、いろいろ親戚が住んでいます。昭和40年の8月、ぼくが小学校4年生でまだ9歳のとき、広島、山口と、その父方のルーツの地を尋ねる旅行に行きました。今から46年前。今年の広島原爆の日が、66周年ということですので、この時から今までの方が、戦争からこの時までより、倍以上長いことになります。なんとも歳をとってしまったなあ、と、改めて痛感します。この旅行では、買ってもらったばかりの、オリンパスペンを持参しました。まずは、東京からまだまだ花形列車だった20系ブルートレイン「あさかぜ」で降り立った広島駅で撮影したカットから。旅程を考えると、この旅行中、広島駅には都合3回来ていますので、全てが同じ時の撮影ではないかもしれませんが、もはや考証のしようがないので、全部まとめて構成いたします。すでに「鉄道模型趣味」とか読んでいた少年でしたから、鉄道好きは間違いありませんが、実物の車輌を意識して撮影するというのは、この時が初めての体験です。1960年代の、9歳の少年の作品ということで、記録の貴重性に免じて、写真としての出来は大目に見てください。



まず最初は、駅ビル建設中の広島駅1番線に佇む、D52形式牽引の下り旅客列車です。牽引機は、小郡機関区所属のD52129号機。このカットは、ぼくが生まれて初めて、きちんと撮影することを意識してシャッターを押した、蒸気機関車の写真です。確かにD52は好きな機関車ですが、最初に撮影したのがD52というのは、何か因果を感じます。非公式側ながら、一応カブらずに撮れているので、良しとしましょうか。端梁の埋め込み式標識等や、ドーム前の手すり、シンダよけカバーなど、広鉄局のD52らしい特徴がちゃんと捉えられています。山陽本線が全線電化されたのは、このほぼ1年前の、1964年7月。しかし、電気機関車の不足から、主として貨物用に電化後も約1年ほど小郡機関区にD52が残されていました。しかしこうやってみると、旅客列車の運用もあったのですね。


一見、同列車の発車シーンのように見えますが、ドラフトもなく、架線柱との位置関係も同じですので、停車中のまま撮影位置を変えてのカットということがわかります。D52129号機は、戦時中から山陽路一筋にきたカマですが、この直後、1965年9月に第2種休車となり、そのまま1966年1月に廃車になってしまいます。そういう意味では、駅頭とはいえ、なかなか貴重な記録といえるでしょう。先頭の客車は、キノコ折妻で、コロ軸受のTR23(というかTR34ですね)を履いていることから、戦後型のオハフ33です。広島の駅ビルは、この年の12月に完成しました。何度か改装はしているものの、ビルとしては今でも健在のようです。また、本屋から直結した1番線ホームも、新幹線開業とともに高架化してしまう県庁所在地の駅が多い中では珍しく、当時のまま今も残っています。


さて、広島駅1番線ホームの東端には、ホームの端を切り欠いたような形で、0番線ホームがありました。この0番線からは、国鉄宇品線が発着していました。宇品線は明治27年、日清戦争の軍事輸送のため、2週間の突貫工事で開通した路線ですが、1966年には旅客営業を廃止、1972年には専用線扱いとなり国鉄線としては廃止、そして1986年には車扱貨物廃止により、その姿を消してしまいます。今も、0番線はその遺構が残っているようですが、これは旅客廃止を翌年に控えた、0番線の姿。使用されているのは、機械式気動車のキハ04系です。旅客営業をやっている宇品線も貴重なら、国鉄線で現役の機械式気動車も、今となっては貴重な記録です。当時の少年にとっても、機械式気動車との対面は驚きだったと見えて、このあと近づいたカットを残しています。しばしお付き合いください。


きっと、ワクワクしながら駆け寄ったのでしょう。キハ04形式の正面のアップです。本当に正面だけ撮っているのが、子供らしいですね。この車輌は、キハ04106号。100番台の番号からもわかるように、戦後製のキハ06をDMF13に機関換装したモノ。なるほど、ノーリベットの溶接構造車体だし、雨どいはついているし、前照灯はLP403と、その雰囲気のワリには、実はそれほど古い車輌ではなかったりもします。まあ、さすがにこの時期は機械式の末期ですので、残っている車輌は比較的新しいものばかりだったということなのでしょう。表記を見ると、この年の3月に全検を受けたばかりです。広島配置のキハ04は、宇品線の旅客営業廃止とともに廃車になってしまいますので、この頃はまだけっこうこういう無駄に大らかだったんですね。国鉄の決算が赤字に転落したのが、昭和39年度。確かに、40年の3月は、まだまだ親方日の丸を信じていられた頃でした。


ホームには、もう一輌のキハ04が現れました。キハ04104号。次の宇品線は、2輌編成での運行のようです。しかし、機械式の2輌編成。基本的には総括制御のない機関車の重連と同じですから、両方の車輌に運転士が乗務し、運転しなくてはなりません。これまた、優雅な時代の名残といえましょうか。そして連結の瞬間。係員がブレーキホースを結合します。このカットは、ガキのワリによく撮れてますね。機廻し線の30kgレールやへろへろの枕木と、機械式気動車の組合せ。サブロクがナローであることを、まざまざと見せつけてくれる感じです。機械式気動車特有の、簡易式自動連結器の様子もバッチリ写っています。それにしても、尾燈の周りの赤い輪っかが健在なのが、時代を感じさせます。ぼくらが撮影旅行に行く頃には、これは省略されるようになってしまいましたから。


開いたドアから垣間見た、キハ04106号の車内の様子です。車掌さんが写っていますが、車掌は一人乗務だったのでしょう。先ほどブレーキホースを繋いでいたことを考えると、蒸気機関車の重連のように、ブレーキは先頭の運転士が集中してコントロールし、力行のみ、前後の運転士が協力しながら運転したということなのでしょう。室内の運転台は、完全に半室で、その反対側には、戦前の私鉄電車のように、正面にカブりつける「特等席」があることがわかります。当時広島区には、宇品線用として104号、105号、106号と、3輌のキハ04が配属されていました。その3輌のうち2輌を目撃したことになります。本当のことをいうと、今回、このカットをスキャンするまで、現役の国鉄機械式気動車を見たことがあるということは、恥ずかしながら、全く記憶から消えてしまっていました。それだけ、遠い過去ということなのでしょうか。


最後は、広島駅構内で入換作業を行う、広島運転所のC50136号機。ナンバープレートは、オリジナルのスキャンデータを拡大すれば、C5013までは読めるのですが、一桁目が今ひとつはっきりしません。この当時、広島運転所にはC50134号機とC50136号機とが配属されていたのですが、一桁目の文字は上下が丸く、3、6、8、9、0のどれかと思われますので、136号機と比定しました。C50形式というと、ほとんど入換用という感じでしたが、この136号機は、まさに入換専用機らしく、動力逆転機を装備しています。また、皿型の回転火粉止が装着されているのも、広鉄局のカマとしては珍しいですが、これも広島市内での入換専用と考えれば、納得できるところです。使い込まれてタイヤが限界近くまで磨り減っていますが、逆に、ドイツの機関車のようでスポークに映えます。台枠の間に広がったドレンが、その印象を一層強めています。このカマは、2年後の67年7月に廃車になってしまいました。今回登場した車輌全てが、43・10前に消えてしまったことになります。



(c)2011 FUJII Yoshihiko


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