東急世田谷線 -1972年-


東急世田谷線といえば、世田谷区民にとってはなくてはならないモノ。そう、区役所にしろ税務署にしろ、お役所関係はほとんど「松陰神社前下車」となっているので、神奈川県民にとっての相鉄線(二俣川!!)のように、必要なときには、誰しもがお世話にならざるをえません。さらに世田谷区内でも世田谷地区(区での呼び方ですね、ほとんどローカルでしか通じない)に住むモノにとっては、京王線を経由して、新宿、多摩方面へのバイパスにもなっています。ということで、今では頻繁に利用している世田谷線ですが、これは路上の玉川線が廃止された3年後、世田谷線としてのごく初期の姿です。撮影時期は、前回の京王線と同時期ということが、スリーブのメモからわかっていたので、昭和47年の夏、と特定できました。当時、この手のスナップモノは自分で現像していたので、けっこう雑な仕上げも多く、このネガもあまり調子が良くないのですが、その点はお許しください。



ということで、まずは松陰神社前〜世田谷間を行く、154-153編成。玉電時代からの「連結二人乗り」表示がなつかしいです。車輌の顔ぶれだけは、当時から平成14年に300型に置き換わるまで、基本的に変ってないのでわかりやすいですね。沿線には、昭和7年10月の銘がついている木造架線柱も、まだ数本残っていますし。当時の料金がいくらだったかというと、下のカットに示すように「均一20円」。こちらのほうは、時代の流れを感じずにはいられません。「電車注意」の表示も大時代的ですが、沿線風景も相当変ってますね。これなら、「サザエさんの家」があってもオカシくないでしょうか。高校生が歩く、線路とお墓に挟まれた路地だけが面影を伝えています。だるく、うだるような70年代初期の夏の午後を思い出しますね。



お次ぎは、上町〜世田谷間で世田谷駅に進入する、81-82編成。150型の時には気付きにくいのですが、この時はまだ「更新前」なんですね。おでこライトというだけで、「玉川線」の香りがしてくるよう。よく見ると、踏切警報機もまだ「鐘」付き。夏なのに、線路敷に雑草がほとんどないのも、昨今の様子を考えるとびっくり。昔はそうだったんだよね。まあ、人件費が安くて労力が余っていた、ということなんでしょうが。しかし、踏切の脇の「木造アパート」は、今も健在。なんか、うれしくなりますね。上町側は、家並みが建て替っても、低層の「戸建て」が多いので、比較的面影が残っています。ということで、この時は世田谷から世田谷線に乗車して、下高井戸方面に向かったようですね。とするとこの日は、世田谷区民会館で学校のイベントでもあって、そのあと「ホクトモデル」にでも行ったんでしょうか。


最後は、山下〜宮の坂間で宮の坂駅に進入する74-73編成。宮の坂駅に停車中の下高井戸行きの車内から撮ったモノですが、ぼくの乗っている方の車輌は、窓のRから、80型の正面の窓を開けたもの、とわかります。おまけによく見ると、宮の坂駅の停止位置も、今のそれより踏切側に寄っているようです。しかしさすがに、70型の更新前は重厚ですね。車体のリベットも、まだ残ってますし。40型とか60型とか、玉川線の古豪に通じる風格があります。それにしても、この少年はいったい何でしょうね。モロに警報機が鳴っているハズですが。そのワリに、74号の運転手も大して気にせず、落ち着いた表情。この頃はまだ、路面時代のノリが残っていた、ということなのでしょうか。


(c)2004 FUJII Yoshihiko


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