朝の宍道湖 -1971年12月21日-


さて、満を持しての新シリーズ登場。というより、いままでのようにシリーズにできる「ヘンな写真や妙な写真」は、これまででほぼ出し尽くしてしまったので、そろそろ本筋に手を付けないと、ネタがない状態になってしまったので、もはやキワモノのピンチ。そんな事情があり、これからはノーマルな(といっても、撮っているのはぼくなので、一筋縄では行かないカットも多いが)蒸気機関車の写真を取り上げることにします。開闢以来の、方針変更だったりして。場所だったり、カマだったり、ミニテーマを決め、数カットをまとまりよく構成してお送りします。第一弾は、山陰地区ミニツアーを行なった1971年の冬。そのスタートとなった宍道湖畔を行く山陰線を撮影した、1971年12月21日の朝のカットをお届けします。この時は、ちょうど16になったばかり。前の晩遅く出雲市の旅館に入ると、宴会で余ったカニがあるからと、いっぱい出してくれた。時効だからいいだろうが、オマケに日本酒までいただいて。でも、70年代だからね。タッパがあって長髪にしてれば、田舎じゃ高校生には見えなかったから。そんなワケで、次の日はかなり寝坊してしまった。本当なら列車に乗って、宍道湖畔の撮影地としては比較的知られていた玉造温泉-来待間まで行って撮影しようと思っていたのだが、急遽変更。手近な宍道-来待間なら間に合いそうなので、そこで撮影することに。列車がないから、バスかタクシーで駆けつけたんだっけ。よく覚えてないけど。西国の冬の日の出は遅いので、撮ろうと思っていた列車にかろうじてなんとかなった次第。ということで、この区間で捉えた、朝の3列車のカットをお届けします。



最初撮影しようと思っていた玉造温泉-来待間は、当時から複線だったので、単線の宍道-来待間は、構図さえ選べばローカルな感じがあふれていていいかもしれないと、発想を転換。日の出からやっと太陽が空に昇ったあたりにやってきたのは、浜田機関区のC5780号機が牽引する下り旅客列車。西向きに走っているので、ほとんど逆光ながら、雲が多かった分、意外といい感じのライティングになった。ちなみに、これと同時に撮ったカラーのカットは、モロ逆光でシルエット強調みたいな画面になっているが、モノクロの方はワリとディテールが写っていて、調整によりけっこういい感じの絵になった。こういう感じの構図は極端ではあるモノの、個人的にはワリと好きだったりするんだけどね。撮影地確認で、Googleストリート・ビューを見たら、国道9号線の感じは、ほとんど変わってないじゃないの。鉄路・道路・水面という三題話は、日本の鉄道風景の典型の一つ。ただ鉄道のハエタタキが、国道を挟んだ湖水側に建っているというのは、けっこう珍しい風景といえるのでは、


さて次にやってきたのは、上りの貨物列車。牽引するのは米子機関区のD51504号機。鷹取工場で製造以来、山陽筋から山陰筋と中国地方一筋に活躍してきた、文字通り西国育ち。山陰中部では、比較的末期まで残ったカマでもあります。これは、メインカットではなく、その前のコマなのですが、スキャンしたネガを見ていて、どうしてもここに出したかったカット。なんたって、国道を走っているのは、オート三輪ですよ。ダイハツの三輪トラックを、D51が牽引する貨物列車が、いまや追い抜かんというシーン。ジオラマやレイアウトでは、昭和30年代っぽいアイテムとして、ボンネットバスや三輪トラックを愛用するヒトは多いですが、現役時代の蒸気の写真で、それらの自動車と列車とが競演しているシーンは、それほど見たことがありません。このときすでに、都会的センスでは三輪トラックは希少なものでしたから、このカットは明らかに当時のぼくが意図的にこの組合せを意識して撮影したものと思われます。そう思ってみると、実物の鉄道写真としては決してバランスのいいカットではありませんが、模型のジオラマの写真としてみると、電柱やガードレールなどの小物類を含めて、なかなかそそるモノがある構図ですね。


前のカットと同じ、米子機関区のD51504号機の牽引する上り貨物列車。こちらはカラーでお送りします。この時のカラーは、ミノルタ・オートコードにネガカラーフィルムを使用したもの。このの組合せで撮影していた、最後の時期でもあります。でもネガカラーとはいっても、さすがにブローニーのコダカラーなんで、充分色が残っています。雲は多いものの、冬の山陰にしては珍しい、青空の覗く晴れの日だったことがくっきりとわかります。この2カットについては、明るさとコントラストはバランスが取れるように調整しましたが、色調についてはレタッチはしてありません。しかし、この枯草と雑草の色調、まんまウッドランドシーニックのターフやフォーリッジですね。パラパラ撒いて、ちょこちょこ植えればできますよ。そうなるとハエタタキと勾配票はエコーモデル製でしょうか。湖面まで背景に書き込んでしまえば、これなら模型でも、900×300のモジュールで作って撮影できそうですね。


最後は、線路際から湖水を望むようにしての撮影です。やってきたのは米子機関区のD51203号機と浜田機関区のC57120号機が、重連で牽引する上り旅客列車。あまり重連向きの構図ではありませんが、先頭のD51が、完全燃焼で雲と一体化しそうな真っ白い蒸気のみを、ドラフトとともに吹き上げているのに対し、C57は装備されている重油併燃装置を使用し始めたところらしく、黒煙が混じった煙になっているのが、その装備までわかる好対照になっています。D51203号機は浜松工場製で、近畿・東海地方で活躍した後、山陰地区には蒸気末期に転属になりました。したがって、山陰育ちのカマとは若干装備が違いますが、後藤工場製の鷹取工場式集煙装置と、前開きスノープラウで、すっかり山陰のカマらしくなっています。次位のC57ですが、これの番号の考証は難儀ですね。当時浜田機関区には12.80.88.120.165と5輌が配属されており、この中のどれかということはわかります。80号機は、今回の一枚目の写真のように集煙装置がないので違います。12号機は集煙装置の形が違う(足3本)ので、これも違います。残りの3輌では、88号機、165号機は、オイルポンプ等補機類やステップの配置・形状が違うのでアウト。ということで、120号機と消去法で比定した次第です。120号機の非公式側の写真が手元にないので、断定できたワケではないのがちょっと歯がゆいですね。


(c)2014 FUJII Yoshihiko


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