南の庫から 志布志機関区 -'74年7月22日-


久々の、「南の庫から」シリーズ。そろそろ復活といきましょうか。残るはあと少し、南九州の庫。そんな中から、今回は旧国鉄最南端の機関区、志布志機関区です。志布志駅自体は、今でも日南線の終点として、一面一線の折り返しホームのみの終端駅として、かろうじて残っていますが、かつては、日南線、志布志線、大隈線の3路線が集まる交通の要衝でした。そして、これら大隈半島を巡る路線の機関車が配備された機関区も設置され、日南・大隈線用のC11形式、志布志線用のC58形式が配備されていました。また、宮崎無煙化の74・4以降も75年1月まで蒸気が残った、九州最後の蒸気機関車使用線区の一つでもあります。そんな、九州の蒸気機関車の「ロスタイム」ともいうべき、74年夏、最後の九州撮影旅行の一コマです。



このときの撮影行は、ある意味燃え尽きてからの余韻のようなもので、九州島内でも、お目当ての線区の撮影の陰で、撮影ができなかった路線や、観光的に寄り道ができなかった場所などを、まったりと廻ったものです。北九州で田川線など後藤寺周辺と、貝島の専用線を撮影した後、南九州に向かいました。志布志機関区で最初にご対面したのは、この年の5月に、米子から転属してきたC1141号機。倉吉線のお別れ列車を牽引した時の、デフに「お化けツバメ」をつけた姿のまま、休車中の姿です。転属後3ヶ月弱経っていますが、ナンバーもなくロッドも外したままの状態ですが、結局あまり使用されないまま廃車されてしまったようです。何のための転属だったんでしょうか。


機関区全体の風景。給炭台の脇にたたずむC58277号機と、キハ17系。どんよりとした曇天が、再末期の蒸気機関車の末路を思わせます。再末期の蒸気配属区の常で、ここ志布志機関区も、全検期限の関係から、最後の数年で配置された機関車が大きく入れ替わっていますが、このC58277号機も、大分から転属してきたもの。志布志機関区のC58というと、ラストナンバーを含む戦後型という印象がありましたが、この時にはすっかり面子が入れ替わっていました。それでも、門鉄デフ装備車という伝統は引き継がれていましたが。前日は大雨だったこともあり、貯炭倉の中に水が溜まりまくっているのも、ローカル機関区らしいのどかさといえるでしょう。


仕業にそなえてしばし佇む、C11194号機。九州生え抜きのC11ですが、この頃は、九州らしからぬやつれ具合になっていました。これにはカラーのカットもあるのですが、かなりはっきりとサビが浮いていて、煙さえ出ていなければ、まるで休車中のカマのようです。志布志は、構内が非常に狭い機関区なので、撮影ポジションに苦労します。この時も、形式写真にはならず、広角レンズを使い極めて寄った構図になってしまいました。再末期に、撮影がギリギリ間に合ったというヒトはさておき、それなりに活躍シーンを撮りまくったモノからすると、後一年ない余命を感じさせ、侘しい限りです。


庫の中に入ると、C1162号機とC11195号機が並んでいました。とはいっても、195号機は現役ですが、62号機は廃車前提の休車中。そのワリには、41号機より状態はいいようです。よく使われ、活躍してきたけれど、全検切れで廃車せざるを得なかった、というヤツでしょう。連番には、61、63、64と保存されている人気機が並んでいますが、その間に挟まれて、不幸な一台でした。195号機は先ほどの194号機と連番です、同様に九州生え抜きのカマです。しかし現在では、なぜか香川県東かがわ市に保存されているようです。石炭を積んだトラ30000まで、庫の中に入ってきてしまっているのが興味をひきます。


最後は、機関庫から顔を出した、C58112号機。関さんの「K-9」デフを取り付けたこのカマも、大分からの転属組ですが、今も志布志で保存されています。C58も、400輌以上製造された機関車ですが、集中配備があった北海道や東北と違い、九州ではどちらかというとマイナーな存在でした。本州ではC58によって置き換えられた線区も多い、8620や9600のほうが、後々まで存在感を持ち、ある種九州を代表する機種となっているのとは対照的です。現役のカマを真正面から撮っているワケですが、他の撮影者もいませんし、ここ南の果ての車庫は最後までのどかだったようです。


(c)2009 FUJII Yoshihiko


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