「まっすぐな道」を訪ねて(その2) -1972年7月15日-


さて、今回も前回の続き。「何もない」の白老-社台間での撮影の2回目です。確かに、上り方向は室蘭方面と本土方面、下り方向は千歳線方面と室蘭本線方面と多様な系統が集中する区間ですので、列車の本数は半端ではありません。沢山撮れたのは間違いないのですが、それにも増して変わった構図が作れないという手強い問題が。列車本数が少ないのならまだしも、ここで次々とやってくるというのは、本当に頭の中が飽和してしまいます。すでに前の日に充分お腹一杯になっていたのですが、さらに一層の「飽きと満腹感」を堪能することになってしまいます。もう「わんこ蕎麦」の世界。ある意味この時の北海道は、蒸気機関車の楽しみ方としてはメチャクチャ贅沢ができたのかもしれません。逆に言うと、「蒸気が日常的にうじゃうじゃいるのが北海道」という刷り込みができてしまいました。その感じが上手く伝わるといいのですが、。



まずは追分機関区のD51509号機が牽引する下りのセキ返空列車。純粋にセキだけ50輌の2400t編成ですので、夕張へ戻るのでしょうか。509号機は大宮工場で製造されて以来で北関東の東北本線・高崎線筋で活躍してきたカマで、ずっと大宮工場持ちだったこともあり、当時は典型的な関東スタイルでした。67年に渡道。それ以降は岩見沢機関区・追分機関区と幹線の要衝で活躍してきました。ギースルエジェクタ装備が、追分らしい雰囲気でセキ専用編成にも似合います。カーブに差し掛かる前の姿を望遠で捉えたカットは<無意味に望遠 その3 -1972年7月15日->で公開しています。このカマは早々とこの年の11月には廃車になっていますので、末期に初めて北海道に撮影に行かれた方にはなじみがないかも知れません。


室蘭本線の、いや北海道の国鉄の顔ともいえるキハ82系の特急がやってきました。上りの特急おおぞら、函館行きです。「おおぞら」号は、北海道初の特急として登場したビッグネームで、この当時は函館-札幌-釧路をロングランする北海道の看板列車でした。今も名前だけは、札幌-釧路間で残っていますね。蒸気機関車だけでなく、ディーゼルもちゃんと撮っているのは、逆に蒸機に飽きてきちゃって。時々やってくるディーゼルカーにも気を惹かれている証拠でしょう。色がキレイな分、カラーの方で多く撮っていますが、この時は35oモノクロのカメラでも撮影しています。先頭車はキハ8248と読めます。


岩見沢第一機関区のD51915号機が牽引する上りの車扱貨物列車。前の「特急おおぞら」とほとんど同じ構図で撮っていますので、間髪を入れずに続けてやってきた感じです。複線区間ですが、当時の社台駅には中線がありましたから、社台でおおぞらの通過待ちをしてやってきたのでしょうか。915号機はもともと常磐筋で活躍したカマで平電化後の64年に渡道、その後は名寄・旭川と道北方面で活躍したあと、この年の春岩見沢に転属してきました。現役蒸気機関車の最後の時期まで活躍していたカマなので、けっこうおなじみの方も多いかと思います。これも望遠で捉えたカットは<無意味に望遠 その3 -1972年7月15日->で公開しています。


続いてやってきたのは、岩見沢第一機関区のC57144号機が牽引する上り旅客列車。これまた全く同じポジションです。その理由は、望遠で捉えたカットは<無意味に望遠 その3 -1972年7月15日->の方を見て頂くとわかります。ここは日本最長直線区間が始まるカーブのアウトカーブの外側ですが、上り列車に対して「日本最長直線区間」のちょうど延長上にあり、直線区間を正面から捉えられるんですよ。そう、望遠の方がメインで三脚に固定し、近くにやってきたヤツを手持ちで撮っていたんですね。連続で上りがやってくるダイヤを狙って、ここに腰を据えたということなのでしょう。この頃の144号機は、本当に千葉とか関東のカマみたいですね。


岩見沢第一機関区のD5198号機が牽引する上りの2400tセキ編成。これまた同じ場所での撮影であることは<無意味に望遠 その3 -1972年7月15日->で公開しているカットからわかります。思い切って引き寄せて、バウハウスか未来派かという感じの構図になっていますが、こういう遊びができたのもこの時の北海道ならではという感じです。こういう構図で撮影すると、D51の一次型はちゃんと流線型なんだというのがよくわかります。98号機は、新製直後から北海道一筋。それも追分築港岩見沢とメジャーどころで踏ん張ってきました。しかしこの年の12月には廃車になってしまいますので、最末期には活躍できませんでした。


今度はインカーブに移動して、下り列車を狙います。陽が傾いてきたので逆光気味になっています。煙も出ていますし、なんか山陽本線の勾配区間のような感じもします。岩見沢第一機関区のD5153号機の牽引する上り貨物列車。コキが2輌入っているのと、返空と思われる冷蔵車が目立つので、道央もしくは道東方面への青函航送貨物と思われます。ひとまず滝川か旭川に向かうのでしょう。53号機は首都圏で活躍した後、1955年には早くも渡道。その後はほぼ一貫して岩見沢機関区で活躍し、蒸気機関車最末期まで現役でしたので、撮影した方も多いと思います。


ほぼ同じ位置から撮影した下りの貨物列車です。こっちは陽射しがいい感じですね。牽引機は鷲別機関区のD51894号機。戦後すぐに北海道入り。道南の幹線一筋で活躍してきたカマで、準戦時型の名残である「絞りのないまっすぐなデフ」が特徴です。返空のタキが入っていますので、室蘭行きの区間車扱貨物でしょう。列車の顔のアップしか撮れない今となっては、バッタ撮りでも縦構図というのはけっこうありますが、この当時はけっこう珍しかったと思います。珍しいからこそけっこう好きでしたし、もともと写真部なので縦持ちにもそれほど抵抗がない(SLブームの頃のアマチュアカメラマンには、カメラの構え方が下手な人が多かった)こともあって、そこそこ縦で撮っていました。




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