すれ違いの時 -車窓からの出会い-


企画モノというのは、いいネタさえ思いつけば、こんな写真があったのか、と思うようなカットを掘り起こすことに繋がったりするので、なかなかやめられません。ということで、また今月も、新シリーズを思いついてしまいました。題して「すれ違いの時」。車窓から眺めた、複線区間ですれ違う、蒸気牽引列車の数々です。かぶりつきで車窓の景色を眺めている子供たちが、一番盛り上がるのは、やはり複線区間でのすれ違いのシーン。単線区間での、駅での交換シーンというのも、なかなか風情があるのですが、これはダイヤで読めますから、「次の駅には、いるぞ」と思えば、心の準備ができるというもの。複線区間では、出くわすタイミングは偶然ですから、思ったようには撮れません。その分、計算できないようなカットになりますが、撮ったことも忘れてしまうのも確か。他のシリーズとは違い、スペックの特定がやりづらいカットが多いのですが、その点はお許しを。



かつて蒸気機関車の撮影旅行に行った頃、複線区間といえば、前にも書いたように、事実上筑豊本線の若松-飯塚間か、室蘭本線ということになります。ということで、1972年夏の北海道撮影旅行から、蒸気機関車とのすれ違いシーンをお届けします。まずはじめは、千歳線-室蘭本線直通の上り列車のキハ22が、D51牽引の上り貨物列車とすれ違うシーンから。場所は、沼ノ端-苫小牧間。西日の半逆光なので、機関車は潰れていますが、キハの側面はキレイな陽射しが当っています。機関車は、滝川機関区のD51561号機。今、川場村で圧搾空気で走るよう復元されたカマの、現役当時の姿です。1972年7月14日の撮影です。


続いて、翌1972年7月15日。白老付近に撮影に昼頃から移動する途中、上りのC57牽引旅客列車とすれ違う、岩見沢第一機関区所属のD51737号機が牽引する、下り貨物列車です。場所は、ちょっと特定できないですね。なんせ、ここは有名な直線区間、なおかつほとんど平坦なので、線形や地形から考証できないんですよ。まあ、周りの景色が多少山がちになってますから、かなり白老よりでしょうか。737号機も、蒸気の再末期まで車籍のあったカマで、今も和歌山県湯浅町に保存されているようです。


ほとんど旅程を追うカタチですが、明けて1972年7月16日。朝の下り列車で、室蘭本線では数少ない勾配区間として撮影地になっていた、栗山-栗丘間に向かいます。北海道らしい景色とはいえない区間ですが、それだけに内地っぽくて、ぼく的にはけっこう好きな撮影地でした。C57144号機の牽く列車が、追分に差し掛かったとき、引き上げ線で入換中の19671号機と出会いました。ま、厳密にはすれ違いではないのですが、その辺は気にせず。追分駅は、上り方、下り方、2輌の9600形式が、構内の入換に活躍し、日本最後の現役蒸気機関車となったことでも知られています。19671号機はこのあと帯広に転属し、今では愛国駅跡に保存されています。


列車はそのまま、追分駅の5番線ホームへと進入します。反対側の4番線ホームには、上り旅客列車が発車するところです。別に単線ではないのですから、同時発着でなくてもいいのですが、昔は、主要駅ではけっこうそういうダイヤが組まれていたりしました。牽引機は、岩見沢第一機関区のC57149号機。事実上、北海道にしか大型機がいなくなってしまった最晩年を迎えることなく、1974年の春には廃車されてしまったので、末期まで残っていたワリには、陰の薄いカマです。追分は、鉄道の要衝として繁栄した街だけに、テルハや貨物ホームなど、街の規模のワリには、駅の施設が幹線の大都市のように立派です。


さて、一日撮影した帰り道、C57168号機の牽引する上り旅客列車が、追分駅に進入します。三番線に停車中の下り旅客列車は、C5757号機の牽引です。C5757号機は、最終的には岩見沢第一機関区に転属し、現役蒸気全廃の時まで車籍があり、そこで廃車になりますが、当時苗穂機関区の所属だったはずです。まあ、当時夏の北海道では、観光需要に対応するための臨時ダイヤの嵐で、本州からの移動も含めて、短期的な機関車の借入がよく行なわれていましたし、苗穂機関区は、車輌運用にはそうとうに余裕があったはずですから、そんなに不思議なことではないかもしれません。このカマも、現在では東京都世田谷区の公園に保存されています。


最後は、1972年7月16日。大沼付近で撮影を終え、東京に帰るべく函館に向かう途中でのカット。D51の牽引する上り旅客列車とすれ違う、D51牽引の下り列車。長万部機関区のカマだと思うのだが、これはさすがに番号が読めない。拡大に拡大を重ねると、かすかに番号一の位が、3か6か8か9といった、中に線のある丸っこい数字。十の位と百の位は、縦線の強調された数字、というところまではなんとかわかる。長万部のカマで、条件に合うものを選ぶと、146か148ということになるのだが。まあ、当時の運用表があれば、この日はまる一日撮影しているので、特定はできると思うが。その反面、撮影地は8キロのキロポストが写っているので、バッチリ判明ですね。


(c)2010 FUJII Yoshihiko


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