やさしい無体財産権入門



著作権にかかわるビジネスでメシを喰っているヒトなら、一般民間人以上に、権利に関しては慎重になって欲しいものです。自分で自分の首絞めるようなまねはやめましょう。人一倍著作権には神経質になるべきです。

著作権の考えかたは、基本的には簡単です。「著作物を利用したら、著作権者にきちんと著作権使用料を払う」これだけ考えていれば問題ありません。他人の財産や他人の持ち物をちょっと使わせてもらったら、お礼をするのが基本ですし、お礼を払えば基本的には使ってもいいよ、というルールが今の著作権の考え方のベースですね。

たとえば、替え歌にしたり、メドレーに一部だけ使ったり、というような、変形を伴う場合はそれなりの許諾がいる場合もありますが、自分のCDやライブで、オリジナルをカバーする分には、金さえ払えばOK。すべては、「ちょっと使わせてもらうときのルール」の応用です。

個人利用の場合は、という例外規定がありますが、例外はあくまでも例外。厳密にいえば、学校の黒板に歌詞書いたり、クラスのハイキングの時に野原で歌歌うときも著作権利用料は発生します。これは、どちらも個人使用の範囲を逸脱しているからです。学園祭のコンサートでやったって、使用料は払わなくてはいけません。道で唄うのも、当然、公衆の面前での不特定多数の環境での利用です。こういうときの利用料を踏み倒すのは、黒です。

ハナ歌で唄ってても、その歌がほかの人に聞こえていて、誰のなんという歌か認識できたら、「これは侵害だ」といわれれば勝てないでしょう。現実は、ただ黙認されているだけです。権利を侵害していることと、多少の侵害が黙認されていることとは、全く違います。多くの場合黙認されているからといって、権利を侵害していないわけではありません。

とにかく、「著作物は、著作者の持ち物」であって、われわれは、その「他人の財産」を借りて使ってるんだ、ってことを忘れないで欲しいです。無断で使うのは、無断で隣の庭になってる柿を失敬してくるのと同じです。もちろん柿の場合でも、バレなければ、それで済んでしまうのでしょうが、勝手に盗んだのがばれなかっただけで、他人の財産を勝手に無断で頂戴したという事実が消えるわけではありません。

著作権の場合は、喰っちゃうんじゃなくて勝手な借用ですから、隣の住人の自転車を、勝手に乗って使ってるようなものですね。実際、こういう無断借用をしても、罪の意識のない人が、残念ながらいることは間違いないですから、著作権でも侵害事件が起こるのでしょうね。

そういう、「他人の自転車を無断借用しても、ちょっとだけでバレなければいい」という道義感をお持ちなら、それはそれで確信犯ということで、著作権侵害しても仕方ないでしょう。許すという意味じゃなくて、もっとそれ以前のモラルの問題を問うべきだということで。でも、有形、無形で、他人の財産権に対する侵害に関する価値観が違うというのは、ちょっと倫理観として問題ではないでしょうか。

自転車の借用と「歌詞」を借用とは意味が違うと思っていませんか。これを同じと考えるところから、著作権の考え方がはじまっているんです。これは、あくまでも法律上の規定であって、日常的な生活常識とは若干のズレがあります。だからこそ、著作権の侵害というものが、日常的に起こる危険性があるのですね。

もっと、近い例を出してみましょうか。ホテルの本館と別館の間が道路で分けられていて、露天の横断歩道がある。ここに雨の日に、本館と別館の間を利用するお客様のためにと銘打って、傘が常備されていたとする。これは、一種の契約関係をもたらしているわけです。「本館と別館を移動する」「ホテルのお客様」であれば、自由に傘を使ってもいいと、「許諾」されています。

しかし、「ホテルのお客様でないひと」が勝手に使ったり、ホテルのお客さまであっても「本館と別館の移動」以外の目的で使ったりすれば、ホテルの財産である「傘」を無断で使用したことになります。有体財産権の侵害は、「窃盗」として、刑事上の問題になります。別件逮捕みたいですが、この場合傘の無断使用者は窃盗に問われてもしかたありません。それがルールなのです。

著作物の個人利用は、この「本館と別館を移動するお客様に限り利用可」という許諾契約関係と似ています。基本的に他人の著作物は、勝手に「上演」してはいけないものなのです。「歌は勝手に唄ってはいけない」「歌詞は勝手に書き写してはいけない」。これがなにより基本で、許諾を受けたか、例外的に規定されている場合のみ利用可能と考えなくてはいけません。

どうして権利の侵害があっても、事実上黙認の場合が多いのか。それは「道で鼻歌歌った人に、賠償を求めるためのプロセス」に原因があります。この場合、侵害された側が、侵害されたことを立証しなくてはいけません。もし著作権者が、本気で訴えれば、要求というか、侵害した事実は認められるでしょう。

その鍵は、鼻歌を歌っていた人が、歌っていた歌をその権利者が権利を持っている唄と認識して歌っていたかどうかにかかっています。ただ、それを立証するための材料をそろえるのに、ものすごい時間と金がかかりますので、儲けにもならないことは、ばかばかしくてやらない、というのが現実です。だから、黙認されているだけです。

だからこそ、パクられても、ヒットしなければ黙認ですが、ヒットしたら即訴訟になる(印税分が現実に金として見えている)のです。ビジネスを度外視して、本当に訴訟に持ち込む気なら、持ち込めますし、その結果は、無断利用に関するものなら、ほとんどの場合、著作権者が有利です。

訴訟になった場合、鼻歌を歌っていた側は、

「1.その唄は聞いたこともないこと」
「2.その唄ではない唄を歌おうとしていたこと」

の二点を立証しなくては勝ち目はありません。
ソフトウェアのリバースエンジニアリングにおける、クリンルーム作業の証明と同じです。

実際の裁判を考えると、警察の民事不介入原則と同じで、民事は結論を出さず、調停・示談に持ち込むというのが、裁判所の基本ルールですから、運用面では、何らかの調停(謝罪と賠償)に持ち込もうとすると思います。しかし、著作権者側が、徹底的に調停を拒否すれば、判決は出してもらえると思います。ただ、そういう「名」だけのために、そこまで手間と暇と金をかけるひとが現実にいないというだけです。

これは、法律上許されるのとは違います。

それから著作権の争いが、民事上の補償の争いになる点も、ことを曖昧にしています。 民事ってのは、契約次第では、なんでもありが原則だから、曖昧・非合理にならざるを得ないですよね。そもそも著作権自体、利用者との間でどういう契約関係になってるかという点の争いですから、この面からもグレーゾーンが多くなってます。

でもルールはルール。きちんと本質を知っておくことが重要です。著作権の問題は、この本質を知っておきさえすれば、決して難しいモノではないのですから。


(96/01)



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